こんばんわ。
メチャクチャ疲れている筈なのに色々作業していたらこんな時間になってしまいました。
さて、今年も残すところあとわずか。明日の更新はご挨拶だけになるかもしれないので、実質的には2008年締めくくりのネタとなります。
今年の年頭は「銀河」廃止に沸いておりましたが、お祭り騒ぎの嫌いな私としてはコレを静観し、地道に別の分野の撮影に精を出しておりました。その一つが「富士」「はやぶさ」こと「ふじぶさ」です。
平成20年1月5日 川崎~品川間にて
Fe4の新春撮影会で捉えた多摩川橋梁を渡る「ふじぶさ」。事務局長lineさんの発案で実現したロケーション。
このとき初めてシービーさんが参加され、「Fe4」という名称が位置づけられました。
平成20年1月26日 早川駅にて
新春の撮影会で「銀河」を取り逃し、小田急LSEの復活塗装を撮ることができなかった私は一大決心の上、単独行動を強行。「銀河」はまたしても遅延で撮り損なうものの、「ふじぶさ」、500系「のぞみ」、小田急LSE復活塗装と、大満足の内容となりました。
平成20年3月9日 東戸塚駅付近にて
早くも2回目のFe4撮影会。「ゆとり」のさよなら運転に合わせ、私の発案で20年以上振りの東戸塚へ。
平成20年7月22日 東京駅にて
梅雨の間、あまり行動を起こす気になれず、仕事も滅法忙しくなった頃、取り敢えず取得しないと大変なことになってしまう夏休みを充て、489系「ホームライナー」の撮影を挙行。時間を見て、東京駅に「ふじぶさ」を見に行きました。
発車シーンを撮影する時間が無かったので、ホームでの様子を中心に撮影するという、私としては変わった手法。しかし、そこで余りにも荒れ果てた車両に『廃止当然』という現実を見ました。
平成20年7月29日 有楽町駅にて
霞ヶ関に出張後、いつもなら直帰出来ないパターンの出張が多い中、会議が長引いて何ともちょうど良い時間に。
夏場でもそろそろ厳しい日照量ではありますが、ラッシュの始まりである時間に多数の京浜東北線を上手く避け、発車のシーンを撮影することが出来ました。
平成20年11月22日 東京駅にて
「ふじぶさ」廃止が現実のものとなりましたが、天気が悪い上に仕事も忙しく、遠出する時間があまり取れませんでした。
突然のオフ会の設定があった日、尾久センターの撮影会からの流れで東京駅にて時間調整。シービーさんと機回しの様子を眺めていました。
瑞穂さんと初めてお逢いしたのもこの日の夜です。
平成20年12月20日 湯河原~真鶴間にて
何と、私の誕生日に撮影会の設定が・・・結婚してからはこんなこと初めてでは内科医?
18きっぷを使った撮影は、先日アップしました岳南鉄道、富士山と500系「のぞみ」など、今年最後を飾るに相応しい撮影会でした。
しかし、11月末から体調を崩して以来、現時点においても調子悪いので、ストレスが抜けないまま年を越しそうな雰囲気・・・。
来年3月の改正で廃止となる「富士」「はやぶさ」。日照時間も限られてしまいますし、また「銀河」の時みたいな葬式テツが沸いて出てくると思うと、もうこれ以上撮影に行くかどうかはなんともいえません。
でも、これを機会に東海道方面への撮影機会がなくなってしまうと思うと非常に寂しいですね。経済的に余力があったら、新幹線にでも乗って遠出してみようかな・・・。
鉄道ブログランキング ← 東海道・山陽・九州最後のブルトレに声援を!
メチャクチャ疲れている筈なのに色々作業していたらこんな時間になってしまいました。
さて、今年も残すところあとわずか。明日の更新はご挨拶だけになるかもしれないので、実質的には2008年締めくくりのネタとなります。
今年の年頭は「銀河」廃止に沸いておりましたが、お祭り騒ぎの嫌いな私としてはコレを静観し、地道に別の分野の撮影に精を出しておりました。その一つが「富士」「はやぶさ」こと「ふじぶさ」です。
平成20年1月5日 川崎~品川間にて
Fe4の新春撮影会で捉えた多摩川橋梁を渡る「ふじぶさ」。事務局長lineさんの発案で実現したロケーション。
このとき初めてシービーさんが参加され、「Fe4」という名称が位置づけられました。
平成20年1月26日 早川駅にて
新春の撮影会で「銀河」を取り逃し、小田急LSEの復活塗装を撮ることができなかった私は一大決心の上、単独行動を強行。「銀河」はまたしても遅延で撮り損なうものの、「ふじぶさ」、500系「のぞみ」、小田急LSE復活塗装と、大満足の内容となりました。
平成20年3月9日 東戸塚駅付近にて
早くも2回目のFe4撮影会。「ゆとり」のさよなら運転に合わせ、私の発案で20年以上振りの東戸塚へ。
平成20年7月22日 東京駅にて
梅雨の間、あまり行動を起こす気になれず、仕事も滅法忙しくなった頃、取り敢えず取得しないと大変なことになってしまう夏休みを充て、489系「ホームライナー」の撮影を挙行。時間を見て、東京駅に「ふじぶさ」を見に行きました。
発車シーンを撮影する時間が無かったので、ホームでの様子を中心に撮影するという、私としては変わった手法。しかし、そこで余りにも荒れ果てた車両に『廃止当然』という現実を見ました。
平成20年7月29日 有楽町駅にて
霞ヶ関に出張後、いつもなら直帰出来ないパターンの出張が多い中、会議が長引いて何ともちょうど良い時間に。
夏場でもそろそろ厳しい日照量ではありますが、ラッシュの始まりである時間に多数の京浜東北線を上手く避け、発車のシーンを撮影することが出来ました。
平成20年11月22日 東京駅にて
「ふじぶさ」廃止が現実のものとなりましたが、天気が悪い上に仕事も忙しく、遠出する時間があまり取れませんでした。
突然のオフ会の設定があった日、尾久センターの撮影会からの流れで東京駅にて時間調整。シービーさんと機回しの様子を眺めていました。
瑞穂さんと初めてお逢いしたのもこの日の夜です。
平成20年12月20日 湯河原~真鶴間にて
何と、私の誕生日に撮影会の設定が・・・結婚してからはこんなこと初めてでは内科医?
18きっぷを使った撮影は、先日アップしました岳南鉄道、富士山と500系「のぞみ」など、今年最後を飾るに相応しい撮影会でした。
しかし、11月末から体調を崩して以来、現時点においても調子悪いので、ストレスが抜けないまま年を越しそうな雰囲気・・・。
来年3月の改正で廃止となる「富士」「はやぶさ」。日照時間も限られてしまいますし、また「銀河」の時みたいな葬式テツが沸いて出てくると思うと、もうこれ以上撮影に行くかどうかはなんともいえません。
でも、これを機会に東海道方面への撮影機会がなくなってしまうと思うと非常に寂しいですね。経済的に余力があったら、新幹線にでも乗って遠出してみようかな・・・。
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私も山陽側では1回も撮ったことなかったですね。
山口に行っている時、撮ろうと思えば撮れましたが、SLの撮影ではブルトレなんて目もくれませんでした。
まあ、あの頃はブルトレが廃止になるなんて夢にも思って無かったですからね。20年も前の話です。
サンライズは時間的にちょうど良い距離を走っているんですね。博多でも13~14時間掛かってしまうでしょうから、バスには勝っても飛行機には勝てないということでしょう。大阪~博多だと逆に近すぎるんでしょうかね。
しかし、サンライズのような電車化することでスピードアップして存続させる道は無かったのでしょうかね。
そのとおりでございます。
以前、上野駅で「あけぼの」を見たときも、あまりにもスゴイ惨状を見て思いました。JRになってからは、個々のコストを検討しながらお金を掛けているようですので、『儲からないものには極力金を掛けない』という姿勢が顕著に表れていますね。
本で読んだのですが、ロビーカーを連結したのは需要が増えたからではなく、新幹線の開業によって客離れが進み、この客離れを防ぐための苦しいアイディアだったと。
機関車は電車や客車に比べて長持ちする設計になっているらしいです。ですから、40年くらいは当たり前にも使いますが、むしろ客車の寿命でしょう。特に寝台客車は機密性も大事ですしね。
客が乗れば新車も導入出来るんですから、要は乗らなくなった世間が廃止に追い込んだということになるのでしょう。寂しいですが現実です。
そういわれると、最初も最後も「ふじぶさ」でしたね。本当の最初は「銀河」だったんですが、ことごとく嫌われました(笑)。
JRになってから統一的な保守姿勢が無くなって、車両ごとに個性が出過ぎましたね。でも、今まで残っただけでも良いのでしょうか。
東海道へのテツの活力が無くなっちゃいそうですね。
電車寝台はどうしてもモーター音や横揺れが大きいので客車が最後まで残ったのですね。写真のぼろいヤツは35年くらい使っているのですが、保守すればキレイに使えます。無くなる以上は金掛けないと言う姿勢の現われですね。
鉄道会社のやる気のなさなんでしょうか?
まだ「はやぶさ」「富士」が単独だった頃、
ロビーカーとかソロ入れてお客さん増えたと思ったのに。
残念です。
やはりロクロクや24系の疲れ果てた姿を納めるのは気が重いし、時間がなければ駅撮りもと思いましたがやはり。
ブルトレ全盛時代を知るものにとっては現実を受け入れたくないのかもしれません。
妄想ではEF210+?とも思いたいですが。
全盛期のあさかぜのような金帯統一といったような優美さがないままに消えていってしまうのでしょうか。かつて日本最長距離を走る特急として競った両者がこういった形で消えていくのはとてもいたたまれない気持です。
私が乗った時、物凄いなと思ったのはオハネ15-2001という車両でしたが。
安全性が最優先されなくてはならない以上、基準を満たせないものは使えないけれど、あの雰囲気は「電車寝台」だと味わえるのかしら・・・
着眼点が良いですね。
最初にブルトレで多層を組んだのは「あかつき」「彗星」でしょう。その後、「いなば」「紀伊」が特急格上げで誕生しましたね。いずれもヘッドマークは取り付けられませんでした。
「明星」「あかつき」からヘッドマークも誕生し、「あかつき」「彗星」、「なは」「彗星」と変遷がありましたが、ショックだったのは「はやぶさ」「さくら」でしたかね。
関西夜行は昔からの流れがありましたが、東京口での多層化はブルトレの斜陽を目の当たりにした感じで、今このときを迎える覚悟を求められていたのでしょうね。
正月、暇だったら撮影をお奨めいたします。巷では話題が少ないようですが、シービーさんちの方では成田臨が見られるのではないでしょうか?
九州、遠いですね。旅行で2度ほど行きましたが、最初のときは新幹線で新大阪で「彗星」に乗り換え、帰りは「阿蘇」でやはり大阪~京都乗り換え。2度目は0系ではるばる東京~小倉、帰りは山口線や大井川鉄道に寄りながら帰ってきたので、翌々考えてみると、九州夜行には何度か乗ったことはありましたが、東京~九州を直で乗ったことは1度も無かったのですね。
仕事や家庭の関係で連休も取りづらくなり、九州へはそれきり行ってませんので、それらしい使い方もしないうちに九州ブルトレがなくなってしまうのも、今になってみればテツ人生でも汚点を残してしまったような気がします。
「富士」「はやぶさ」といった名門列車が後3ヶ月で廃止ですか。
暗い中で、機回しのシーンが撮れたのは、つばささんの執念でしょうか。
私は、上手く撮れるように見守っていましたが。
私は平日休みに、駅撮りでもって思っていますが、朝起きて気力があるかが問題です。
当分はSで~す。
今から30年くらい前に当時の運輸大臣[確か森山真弓氏だったかな?]が「夜行列車全廃論」というのを提言して物議を醸し出してたことは有名でしたけど、とうとう九州ブルトレが姿を消すこととなり、時代の変化とはいえ寂しい限りです。
私はかつて鹿児島の親類宅に行く時には「はやぶさ」に乗るか、ヒコーキに搭乗するかの二通りで行ったものでしたけど、はやぶさに乗ったさい寝る時に列車は高速で走るから、ポイントを通過する時には脱線しないかとマジでヒヤヒヤしたものでした。
では、ここいらで失礼いたします。