最近は毎日の様にフィルムからスキャニングを起していて、かなり寝不足な日が続いております。なかなか中途半端にしかネタが揃わないので、アップする記事についても苦悩の日々といった感じです。
さて、今後ネタがカブってしまうのか不安なところもあるのですが、久し振りに房総特急です。
今日のネタは、183系特急「しおさい」と「あやめ」です。
房総特急では、3番目4番目として誕生した、当時では珍しい短距離特急です。
東京地下駅が開業以来、房総方面各線には快速列車が運転されており、急行ですら乗車率が悪かった時代に、特急列車を運転することに当時は疑問を持っていました。今でさえ、銚子や鹿島神宮程度でしたら快速列車でも十分な距離・所要時間と思われるのですが、成田空港までの特急がこれだけ多数運転されている時代背景を捉えると、距離に関係なく車両グレードの問題なのかな?とも思うわけですが・・・。
そんな「しおさい」「あやめ」が誕生したのは、新幹線が博多まで開業した昭和50年3月のことです。偶然ですが、ちょうどその頃に成田山新勝寺に連れて行かれたことがあり、その存在をいち早く知っていた訳です。ただし、特に思い入れがあるというわけでもないので、あまり写真を撮ったことがありませんが、スキャニングしたものが数枚準備できましたのでご覧いただきたいと思います。
昭和54年頃 総武本線 錦糸町駅にて 183系「しおさい」
総武本線用のATCを搭載した特急型としてデビュー。一部は東京地下駅に入らず、新宿まで足を伸ばす列車も存在しました。この頃はまだ非貫通型の1500番代は誕生していません。
昭和57年8月23日 総武本線 佐倉~南酒々井間にて 183系「しおさい」
マミヤ645を買って写真を撮りに行きました。間もなく急行が全廃になるということで、急行「犬吠」を撮りに行ったときに撮影したものです。
この場所は、比較的に南酒々井駅から近いところだと思いました。
昭和57年8月23日 総武本線 佐倉~南酒々井間にて 183系「しおさい」
同じ日に撮影したもので、かなり佐倉駅寄りまで歩いたところ。こちらは平らな田園地帯です。少し離れたところには、佐倉駅で分岐した成田線も見えた記憶があります。
昭和51年頃 総武本線 錦糸町駅にて 183系「あやめ」
こちらは、どうも唯一残っているらしい「あやめ」の写真。まだ文字マークの時代です。
ポケットカメラでの撮影で本来はネガカラーですが、プリントにした際にかなり変色して見栄えが悪いため、敢えてモノトーン加工しました。房総特急の中でも一番本数が少なかったからでしょうか、本当に撮影したコマが見つかりません。
現在でも「しおさい」「あやめ」の名称は残っていますが、183系0番代は既に全滅してしまいました。中学~高校生の頃錦糸町で何回か撮ったくらいで、あまり追いかけることが無かったので、良い写真も残っていません。今になっては、歴史のページに穴をあけてしまったような無念さが残ります。
さて、今後ネタがカブってしまうのか不安なところもあるのですが、久し振りに房総特急です。
今日のネタは、183系特急「しおさい」と「あやめ」です。
房総特急では、3番目4番目として誕生した、当時では珍しい短距離特急です。
東京地下駅が開業以来、房総方面各線には快速列車が運転されており、急行ですら乗車率が悪かった時代に、特急列車を運転することに当時は疑問を持っていました。今でさえ、銚子や鹿島神宮程度でしたら快速列車でも十分な距離・所要時間と思われるのですが、成田空港までの特急がこれだけ多数運転されている時代背景を捉えると、距離に関係なく車両グレードの問題なのかな?とも思うわけですが・・・。
そんな「しおさい」「あやめ」が誕生したのは、新幹線が博多まで開業した昭和50年3月のことです。偶然ですが、ちょうどその頃に成田山新勝寺に連れて行かれたことがあり、その存在をいち早く知っていた訳です。ただし、特に思い入れがあるというわけでもないので、あまり写真を撮ったことがありませんが、スキャニングしたものが数枚準備できましたのでご覧いただきたいと思います。
昭和54年頃 総武本線 錦糸町駅にて 183系「しおさい」
総武本線用のATCを搭載した特急型としてデビュー。一部は東京地下駅に入らず、新宿まで足を伸ばす列車も存在しました。この頃はまだ非貫通型の1500番代は誕生していません。
昭和57年8月23日 総武本線 佐倉~南酒々井間にて 183系「しおさい」
マミヤ645を買って写真を撮りに行きました。間もなく急行が全廃になるということで、急行「犬吠」を撮りに行ったときに撮影したものです。
この場所は、比較的に南酒々井駅から近いところだと思いました。
昭和57年8月23日 総武本線 佐倉~南酒々井間にて 183系「しおさい」
同じ日に撮影したもので、かなり佐倉駅寄りまで歩いたところ。こちらは平らな田園地帯です。少し離れたところには、佐倉駅で分岐した成田線も見えた記憶があります。
昭和51年頃 総武本線 錦糸町駅にて 183系「あやめ」
こちらは、どうも唯一残っているらしい「あやめ」の写真。まだ文字マークの時代です。
ポケットカメラでの撮影で本来はネガカラーですが、プリントにした際にかなり変色して見栄えが悪いため、敢えてモノトーン加工しました。房総特急の中でも一番本数が少なかったからでしょうか、本当に撮影したコマが見つかりません。
現在でも「しおさい」「あやめ」の名称は残っていますが、183系0番代は既に全滅してしまいました。中学~高校生の頃錦糸町で何回か撮ったくらいで、あまり追いかけることが無かったので、良い写真も残っていません。今になっては、歴史のページに穴をあけてしまったような無念さが残ります。
勢い余って「すいごう」まで出てきましたが、結局みんな短命でしたね。いまも「しおさい」はE257の5両編成で、昼間はいつもがらがらで走ってます。
しおさい、あやめともに並行する高速バスの敵でないくらいの状況ですが、私が言うのもなんですが頑張って欲しいと思います。(うーん、複雑です)
自分も房総特急は、あまり撮っていないです。
なんか魅力を感じなくて、東北・上越の特急ばかり追っかけてました。
文字時代は、一枚も撮っていないなぁ~。
今ではこの画像も記録の一コマですね。
全国的な特急格下げブームの火付け役だった気がします。ただ、今となってはこれ以下とも思える特急が各地で生まれています。
昔は特急料金が200km・400km・・・と区切られていたので、100km未満なんて勿体無い気がしました。今は50kmなんていうのもあるそうで。
でも、彼らの名前、決して嫌いではありません。
「潮騒」といえば山口百恵を思い出します。ジジィです・・・。
随分細かい計算をされましたね(笑)。
「あやめ」に関しては、佐原で3分先に発車させた快速に終点東京まで追いつくことができないという情けなさを時刻表で見せられました。内・外房はまだ良いのですが、総武本線・成田線系は特急は必要ないと思います。むしろ、定額制の観光ライナー(一律300円)とかで183系でも良いのではないでしょうかね。
489系「能登」に比べればまだ車齢は若いのですから、長持ちできなかったのは海岸を走る金属車の宿命かもしれません。
先程遊びに行ったら20日振りのお休みだそうで。お疲れ様でした。この間、私は雪景色や臨時列車の撮影を満喫させていただいちゃいました。
さて、私も基本的に房総特急にはあまり興味を示しませんでした。それは、今まで写真をアップしていないことでお判りのように、撮影枚数も少なく、プリントすらちゃんとしていない状況ですから。むしろ、ヘッドマーク付きの房総急行のほうが好きだったので、そのついでで撮っていたようなものです。
文字マーク時代の写真ももう何枚かはあると思うのですが、その頃はポケットカメラで写りが悪く、今のスキャナで再現できるのか判らない状況です。
できれば、その歴史を復活させたいものです
絵入りマークになってからは殆んど撮らなかったです。
成田、総武線系統は夏でも増発がなくほんとに地味でした。かえって今の方が季節臨が盛り上がってるくらいですね。
併走区間の撮影という意味では行ったことがありませんでした。このとき以来現地に行っておりませんので、今はどのようになっているのでしょうか?
昔から過疎な感じがする区間で、当時首都圏では珍しかった無人駅として、南酒々井駅に興味があって行ったものです。
銚子は初日の出が有名ですが、それ以外は「シーズン」というのは感じませんでしたね。成田線の方は成田臨で盛り上がりますが・・・。