こんばんわ。
昨日は更新をサボってしまいましたので、今日はちょっと力を入れました。
過去ログ『キハ82系「おおぞら」:総集編 その1』から随分とまあお待たせしてしまったのですが、キハ82系「おおぞら」の完結編をアップいたします。
写真は全部大きくなるようにしておきますので、じっくりとご覧ください。
昭和56年3月11日 大麻~厚別間にて
電化区間で撮影したものです。リバーサルのマウントに邪魔されて、右側がカツカツになってしまったのが残念です。
思いっきりの逆光ですが、画像の調整でなんとか見られるようになりました。
まだ石勝線の開通前ですので、「おおぞら」は全て滝川~根室本線富良野経由です。ですので、この区間ではもう「おおぞら」を見ることはできません。
昭和56年3月13日 落合~新得間にて
以下は狩勝峠での写真です。
当時は地図を買っておくと言うような知恵もなかったので、ひたすら線路沿いに歩いて撮影場所を探しました。
大きくカーブを描きながら渡る橋梁。言わば新得側から最初のヘアピンカーブになります。
昭和56年3月13日 新得~落合間にて
原版は真っ青な空なのですが、そのお陰で列車がドアンダーになってしまったんですね。
そんなことで、明るさを調整すると、頃合としてはこの辺りが限界なようで。
キハ82の2連続。当時としては珍しいですね。
昭和56年3月17日 新得~落合間にて
これから30km近くある駅間に臨みます。フル馬力で登坂するディーゼルの長大編成は圧巻です。
昭和56年3月17日 落合~新得間にて
こちらは軽やかに坂を下りる「おおぞら」。力を入れないのでさわやかな感じがします。
珍しくピントがバッチリ合ったのですが・・・
右側に荷物が写ってしまって台無しになってしまいました。
北限特急のパイオニア、その名はキハ82系「おおぞら」。
・キハ183系900番代 登場の時 特急「おおぞら」
・キハ183系「おおぞら」 オール900番代だった頃
・キハ82系「おおぞら」:総集編 その1
・キロ80改造 キハ82 900番代 特急「おおぞら」
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昨日は更新をサボってしまいましたので、今日はちょっと力を入れました。
過去ログ『キハ82系「おおぞら」:総集編 その1』から随分とまあお待たせしてしまったのですが、キハ82系「おおぞら」の完結編をアップいたします。
写真は全部大きくなるようにしておきますので、じっくりとご覧ください。
昭和56年3月11日 大麻~厚別間にて
電化区間で撮影したものです。リバーサルのマウントに邪魔されて、右側がカツカツになってしまったのが残念です。
思いっきりの逆光ですが、画像の調整でなんとか見られるようになりました。
まだ石勝線の開通前ですので、「おおぞら」は全て滝川~根室本線富良野経由です。ですので、この区間ではもう「おおぞら」を見ることはできません。
昭和56年3月13日 落合~新得間にて
以下は狩勝峠での写真です。
当時は地図を買っておくと言うような知恵もなかったので、ひたすら線路沿いに歩いて撮影場所を探しました。
大きくカーブを描きながら渡る橋梁。言わば新得側から最初のヘアピンカーブになります。
昭和56年3月13日 新得~落合間にて
原版は真っ青な空なのですが、そのお陰で列車がドアンダーになってしまったんですね。
そんなことで、明るさを調整すると、頃合としてはこの辺りが限界なようで。
キハ82の2連続。当時としては珍しいですね。
昭和56年3月17日 新得~落合間にて
これから30km近くある駅間に臨みます。フル馬力で登坂するディーゼルの長大編成は圧巻です。
昭和56年3月17日 落合~新得間にて
こちらは軽やかに坂を下りる「おおぞら」。力を入れないのでさわやかな感じがします。
珍しくピントがバッチリ合ったのですが・・・
右側に荷物が写ってしまって台無しになってしまいました。
北限特急のパイオニア、その名はキハ82系「おおぞら」。
・キハ183系900番代 登場の時 特急「おおぞら」
・キハ183系「おおぞら」 オール900番代だった頃
・キハ82系「おおぞら」:総集編 その1
・キロ80改造 キハ82 900番代 特急「おおぞら」
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ご訪問ありがとうございます。
早速拝見いたしましたが、すばらしいですね。
この時代、動画というのは完全に縁遠いアイテムでしたので、写真とは違う、歴史の再現効果に感心してしまいました。
このブログを始めたきっかけが「思い出の共有」と「歴史資料としての活用」ですから、正に私の本意としているところです。
どんどん活用してください。
私こと、先頃YOUTUBEにて急行狩勝、特急おおぞらの動画を立ち
上げました。その際、貴ブログの写真、ならびに説明を参考にさせ
て頂きました。感謝します。
1年目は乗りテツや駅撮りのみで、殆ど写真に触れ合っている感じがしなかったし、A-1という電池式のカメラのダウン、機械式FTbによるフィルム破れでヒドイ目に遭いました。そんなこともあって、2回目は結構写真に固執した旅をしていたと思います。
キハ181はなんで北海道に行かなかったんでしょうかね?元々キハ82でも極寒地仕様では無かった筈。いきなりキハ183に飛んじゃいましたね。
函館から釧路まで乗り換えなし、こういった列車も無くなり旅行者とすれば割高になってしまいます。
キハ82、厳寒の地でよく頑張っていたものです。
キハ181が北海道で走っている姿も見てみたかったですが。