今日はちょっと悲しいネタかもしれません。
少年の頃大好きだった、EF57の最期の頃写真です。
私がEF57を好きになったのが中学1年生のとき。それまで興味が無かった茶色い機関車ですが、鉄道好きの友人にEF57について教えられ、俄然興味を持ったのでした。
しかし、興味を持って写真を撮り始めた頃が、EF57の活躍に終りを告げる頃だということ知る由も無く、ただがむしゃらに写真を撮り続けました。
当時使っていたカメラが性能が悪く、良い写真が全然撮れなかったのですが、それでもEF57に遭えることだけを楽しみにしていたような気がします。
そんな鉄活動も束の間、EF57を突然見なくなるようになりました。
余りにも見なくなったので、いてもたってもいられなくなり、中学1年生の分際で宇都宮運転所まで出掛けて行ったのでした。
そこで目にしたものは・・・
EF571
EF576
EF579
宇都宮運転所でいい加減に手を縛られ留置されているEF57たちでした。
それまで走っていたのは、1~11・13~15のうち1・3~7・9・11・13
だったと思います。おそらくですが、2・8・10・14・15の5両は一足早く廃車となってしまっていたようでした。
特にこの写真の中でも、6号機と9号機は走行している確かな記録がありませんので、先に廃車となった号機たちと大差なく休車になってしまったものと思われます。
そして、この2台はその後本線に復活することなく解体されてしまったようです。
昭和51年の下期くらいでしょうか。
この後奇跡が起きます。全て休車となっていたEF57たちですが、多客輸送でまた走り出したのです。残っていたのは、1・3・4・5・7・11・13だったと記憶しております。多客時の輸送に機関車が足りなかったのでしょうか、本線を走る姿を見られるようになりました。また彼らを追いかける日々となりました。
しかし、それも長くは続きませんでした。多客輸送が落ち着きだすと、またEF57の姿を見る機会が無くなりました。
そこで、また翌52年に再び宇都宮運転所を訪れました。
EF574
EF577
EF5711
この訪れたときには1・4・7・11の4台しか残っていなく、3・5・13は既に大宮工場に送られてしまった後のようでした。
結局、この写真を撮って以降、二度と本線に返り咲くことは無く、また、さよなら運転などのイベントも無く、ひっそりと姿を消してしまいました。
その後、7号機だけは解体を免れ、公園で静態保存されることになったのはせめてもの救いでしょうか。できれば、特殊なスタイルで人気のあった1号機も残して欲しかったと悔やまれます。
少年時代に最大に憧れた機関車EF57。写真も良いものが無く、記録としても全滅としか言えないほどの始末ですが、その存在を永遠に忘れることは無いでしょう・・・。
少年の頃大好きだった、EF57の最期の頃写真です。
私がEF57を好きになったのが中学1年生のとき。それまで興味が無かった茶色い機関車ですが、鉄道好きの友人にEF57について教えられ、俄然興味を持ったのでした。
しかし、興味を持って写真を撮り始めた頃が、EF57の活躍に終りを告げる頃だということ知る由も無く、ただがむしゃらに写真を撮り続けました。
当時使っていたカメラが性能が悪く、良い写真が全然撮れなかったのですが、それでもEF57に遭えることだけを楽しみにしていたような気がします。
そんな鉄活動も束の間、EF57を突然見なくなるようになりました。
余りにも見なくなったので、いてもたってもいられなくなり、中学1年生の分際で宇都宮運転所まで出掛けて行ったのでした。
そこで目にしたものは・・・
EF571
EF576
EF579
宇都宮運転所でいい加減に手を縛られ留置されているEF57たちでした。
それまで走っていたのは、1~11・13~15のうち1・3~7・9・11・13
だったと思います。おそらくですが、2・8・10・14・15の5両は一足早く廃車となってしまっていたようでした。
特にこの写真の中でも、6号機と9号機は走行している確かな記録がありませんので、先に廃車となった号機たちと大差なく休車になってしまったものと思われます。
そして、この2台はその後本線に復活することなく解体されてしまったようです。
昭和51年の下期くらいでしょうか。
この後奇跡が起きます。全て休車となっていたEF57たちですが、多客輸送でまた走り出したのです。残っていたのは、1・3・4・5・7・11・13だったと記憶しております。多客時の輸送に機関車が足りなかったのでしょうか、本線を走る姿を見られるようになりました。また彼らを追いかける日々となりました。
しかし、それも長くは続きませんでした。多客輸送が落ち着きだすと、またEF57の姿を見る機会が無くなりました。
そこで、また翌52年に再び宇都宮運転所を訪れました。
EF574
EF577
EF5711
この訪れたときには1・4・7・11の4台しか残っていなく、3・5・13は既に大宮工場に送られてしまった後のようでした。
結局、この写真を撮って以降、二度と本線に返り咲くことは無く、また、さよなら運転などのイベントも無く、ひっそりと姿を消してしまいました。
その後、7号機だけは解体を免れ、公園で静態保存されることになったのはせめてもの救いでしょうか。できれば、特殊なスタイルで人気のあった1号機も残して欲しかったと悔やまれます。
少年時代に最大に憧れた機関車EF57。写真も良いものが無く、記録としても全滅としか言えないほどの始末ですが、その存在を永遠に忘れることは無いでしょう・・・。
一緒に撮りに行った写真もあり、懐かしいです。
そうそう、数年前の宇都宮運転区(あってる?)公開の時に1号機の動輪の記念碑を発見して驚きました。
中1の頃、良く一緒に写真撮りに行ったよね。上野~大宮辺りは良く乗りました。
宇都宮の今の正式名称って良く知らないんだけど・・・1号機の動輪保存されているんだ。宇都宮ももう20年以上行ってないかな・・・。かなり変わっちゃったんだろうね。
宇都宮運転所、一回行った事がありましたが、やはりお目当てはEF57でしたね。
高校時代でしたが、友人何人かと行って、撮ってきました。
やはり上野駅にボ~っと姿を現していると、まだ回送するなするなと心で呟きながら、ホームを走ってましたね。
クワガタのように出っ張ったパンタ、これが魅力ですが、改造前はちょっと引っ込んでいましたね。
改造してスンバラシイ姿になり、この機関車とリアルに出会えた事に感謝ですね。
翌年まで走ってたのですね。
やはり偶数機は早めに廃車になってたんですか。
どうりで全然残ってなかった訳だ。
EF57は、夏輸送が終わった辺りから運用離脱→休車になったようです。最初の3枚はその頃の写真だと思います。そして、年末年始輸送辺りで復活したものの直ぐに休車、それからは復活することなく廃車になったようです。4~6枚目の写真がおそらく52年の1月~2月くらいだったと思います。
偶数車で頑張っていたのは4号機だけでしたね。私も番号不明な写真が多いのですが、4号機以外ほとんど奇数機だと思います。
コメントの順番が前後してしまいすみません。
シービーさんで高校生のときということは、ほぼ同じ時期に運転所を訪れていたことになりますね。多分、ゴナナの最末期の頃ですね。
東海道時代はパンタの台座が円柱形で真っ直ぐ立っており、角ばった車体にチョット不釣合いな感じでしたが、改造によってこれ以上にない洗練されたスタイルになりました。あと1年早く一眼レフを手に入れられれば、もう少しマシな写真が残っていたと思うのですが、そんなこと言っても仕方ありませんね。
まぁ、写真が残っているだけでも幸いと言えるんでしょうね。
30年前、なんですね。あの頃は30年後のことなんて予想もできなかったですが、経ってしまえば早いもんです。もう人生の半分を越えてしまいましたからね。
『22歳の別れ』を聞いて、自分でギターを弾くようになったとき、「22歳って大人だなぁ~」と思いましたが別れる相手もいなかったですからね。
そんな若かりし頃、失恋よりもEF57との別れの方が現実つらかったです。それも思い出・・・。
本当に出来れば1号機も保存したかったですね。量産機とは違い、56の2次型をEG付きにしてヒサシをつけた様な独特の姿もいいですね。模型が欲しくなっちゃいましたが20年前と比べてとんでもないほど高くなってしまったんで・・・。Nではカトーや学研か永大で出してますね。1号機はワールド、あと蟻も確か?
ゴナナの引退直前に臨時あけぼのを牽引したと言う記述も見たような気がしましたが・・・。
1コ違いだとちょうど小学生ですね。まだ年齢的にギリギリ難しかったところでしょう。
EF57良さって表現しづらいかもしれませんが、長く大きなデッキ、パンタが突き出た分車体が長くスマートに見える、車輪が丸出しになっていない先台車、長く続く屋上モニタなどトータルバランスなんでしょうね。旧型電機の完成形と言えるのではないでしょうか。EF58はデッキが細すぎて貧弱になってしまった感じがしました。
HOを集めるのは勇気が入ったでしょう。私は高校~国鉄時代にカメラと撮影費にカネを掛けたので、その頃は模型には手が回りませんでした。
EF571は買っていないみたいです。KATOから出るのを期待しています。