こんばんわ。
今日は所用により1枚ネタとさせていただきます。
随分前の過去ログになりますが、『489系ボンネット「あさま」(文字マーク時代)』に掲載すべき画像が今になって現れてきましたので、3年前の記事に画像を追加いたします。
昭和54年5月頃 蕨~西川口間にて クハ489-3 上り「あさま」
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今日は所用により1枚ネタとさせていただきます。
随分前の過去ログになりますが、『489系ボンネット「あさま」(文字マーク時代)』に掲載すべき画像が今になって現れてきましたので、3年前の記事に画像を追加いたします。
昭和54年5月頃 蕨~西川口間にて クハ489-3 上り「あさま」
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新幹線開業による183系1000過剰により、「あずさ」の189系との差し替えで余裕ができ、「あさま」からは489系が一時的に撤退していますね。その後、JRになってまた489系が復活し、新色の489系時代にイラストマークの「あさま」が存在しています。その時代は私も撮ってはいません。
ボンネットのイラストは、他に「ひたち」がありましたね。関東以外では、「白鳥」「北越」「加越」「雷鳥」「有明」「にちりん」「みどり」を記憶していますが、遅くまで旧車を抱えていた路線ばかりですね。
「あさま」ってイラストマークはあったのですかね。逆にボンネットでイラスト入りって「白山」「とき」「はくたか」位しか撮ってなかったかも知れません。
この時代の489系はグリーン車と食堂車の付け外しが目まぐるしかったですね。混雑列車だったので、定員の確保とサービスの充実のどちらを優先するか、悩ましいところだったのでしょう。
東北南線部において、最後の特急らしい編成がホームライナーっていうのも、全盛を知る私らの年代からすると、確かに複雑な心境でしたね。まあ、その時代もとうとう終わってしまいましたが・・・。
前年の昭和53年の10.2ダイヤ改正により、この電車の編成内にあった食堂車が外されてしまい、見ていてつまらなかった記憶が心に焼きついています。
高運タイプの貫通・非貫通型ならまだしも、往年の「こだま」以来の風格あるボンネット車の編成が直流型高運車なみに、エサなし編成で運行するようになってしまうのは子供心にショックでした。
(のちの57.11.15ダイヤ改正おいて、2両連結してたG車を1両に変更し、代わりに食堂車を復活して連結されたものの、昭和60年早々に昼行電車特急からの食堂車廃止方針により、今度こそ消えてしまいましたが・・・)
いつの事か、土呂~東大宮間にてこの電車を使った「ホームライナー古河」号を見た時にゆっくりと走ってる姿を見て、往年の「ひばり」「あいづ」がこの辺りを勇ましく走ってた頃を知る私には複雑な心境で通り過ぎて行くのを見ていました。
長文になりましたけど、この辺りにて失礼します。
最後まで国鉄色で残った同車も、厳密に言うと完全な塗り分けではありませんでした。この頃は、まさか変な塗り方されるとは思ってもみなかったことでしょう。
原画像を拡大してみましたら、残念ながら一番上野寄りの1ユニットだけ集中型クーラーが光ってました。ということは、この頃のキセはまだ銀塗装だったんですね。
ついこの間まで残っていること自体が奇跡と言っていいでしょう。一度更新色になって元に戻って引退、という波乱の人生も長く生きた証ですね。
ポチみっちゅ、いただきましたっ!
やはり、ボン車はこうでなくちゃと思える画像です。
もしかしたら中間車も全てキノコ型クーラーかもしれませんね。
そうなら編成としても美しいですね。
ボンネットが生き延びて、貫通形・非貫通形が使われなかったというのも因縁でしょうかね。
クハ489の3番という事で、3ポチですよ~。