蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

お盆

2008-08-16 | 
お盆には、ご先祖様が家に帰ってくる。
今年は11日にお墓に仏様をお迎えに行き、
家に着くとまずは「お帰りなさい」と、お迎え団子をお供えする。
生前から直接知っている舅には、好物のコーヒーを、
舅の母(義祖母)には、高野豆腐を供えたりもする。
皆さん、1年ぶりのふるさと。それぞれに寛がれている。
よもやま話に、花が咲いていることだろう。

13日は、お坊さんが来られて読経だ。
仏間の隣の部屋で夜、寝ていると、真っ暗で、静まり返ったなか、
直接、顔を知らない人々が、団体さんで隣の部屋にワイワイ居るかと思うと、
なんだか怖いような気もする。
写真でしか知らない人、
遺品があれこれ現存する人、
達筆の書を残した人、
蒐集家の人が残したコレクション類、
代々伝わる秘伝の万能薬の処方箋、
語り継がれている人、人、人、人、・・・・
何かしら現在に、足跡を残している。
けれど、夜中に、誰も私に話し掛ける人がいなくて、ほっとした。
とりあえずは、不足はないようだ。

14日朝から、昔から伝え決められた通りのお供えを、順々にお出しする。
味がほとんどついていないような精進料理のオンパレだ。
次から次へと、1日にわたり忙しい。
最後のお供え物をしたあと、家の者でお経を唱え、
いよいよお墓へ仏様をお送りする。

その時、姑に、お経の本を手渡され、
「『何ページのココから、何ページのココまで』般若心経を唱えなさい」
と言われた。

ただし、お経は私は新米なので、
無縁仏さん(迎え入れてくれる家のない仏様をお祀りする
お盆の間だけ、屋外に祀っている簡易で粗末な祀りもの)向けの読経だ。
ご先祖様の分のお経は、仏間のご仏壇に向かって、姑が唱える。

ところが、私はこの年になって、反抗期を迎えていた。
「はい、わかりました」と言えばいいものを、
素直にすんなりお経を唱える気持ちになれなくて、
「心の中で、唱えます。私は、仏教徒じゃないので・・・・」
と予期せぬ反応を見せたのだ。
姑は、驚いたような、一瞬「??」の顔をしたが、つかさず、
「皆、どことも仏教徒です」と、ひるまなかった。

とりあえず、私は、わざと必要以上に早口で、あちこち、つっかえながら
(デタラメも入れて)、お経もどきを読んだ。

そこから、姑との宗教戦争が始まった。