蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ニュータウン

2008-08-22 | 
ニュータウンとは・・・
あちこちから引っ越してきた人々の集まり。
造成され、売り出される前は、山だった。
山だったところに、人工的に作られた街。
大都会に通う人々のベッドタウンとして、計画的に作られ、発達した。
インフラは整い、交通の便も良好、区画整理され整然とした街並み、
美しく整えられた街路樹や公園、歩道。街灯も常に切れることはない。
街全体が、衛生的で、すみずみまで整備されている。

もともと地域に根ざす、絶対的な既存のオリジナルなどなく、
行政によってお膳立てされたハード面の上に、新しく入ってきた人々が、
自分たちで個々に時代に応じてソフト面を創造しようという、
地域の特徴を持っている。
カラーで表現すれば、透明or白? 
全国のどこにでもある、大規模チェーン店のように、
金太郎飴的で、どの地方も画一的で似たかんじ?


歴史や伝統がない分、気楽で自由だ。
(もはや、ニューではなく、何十年もの年月が過ぎてはいるが。)
快適さを追求するあまり、他人に干渉しない結果、
結束力に欠け、自己中心的傾向があるかも知れない。


私は、閉ざされた昔ながらの地域の、重苦しい家から(一時的に)開放され、
自由闊達なニュータウンで生活し、見聞きし、子供を育て、いろいろ経験した。
とりあえず、(親の惜しみない協力も得たが)、
今日まで来て、これから先の道をあれこれ模索中だ。

ニュータウンの、実にあっさりした人間関係、
開放的で、人工的、計画的、住みやすい環境は大いに気に入っている。
このまま終の棲家にしたいとういう思いは、重々だ。

ニュータウンに住みながら、ちょいちょい、田舎の重苦しい家を管理しつつ
(実際のところ、それは叶わぬ希望なのだが・・・)
やがて身体がいうことをきかなくなったら、
重々しい家は、息子に任せて、(息子、かわいそー)
介護付き施設に入り、最期は病院で、この世とお別れしたい。

もっともっと年齢を重ねた時、どのように考えが変わっているかは
自分でもわからない。未知数だ。

「自宅で家族に看取られて、最期を迎えたい」なんて、超贅沢なことを言って、
家族を介護に巻き込み、生活のリズムを狂わせ、嫌がられ、
一日も早い死を待ち望まれているかも知れない。

正気なら、そんな贅沢なことを希望しないと思うが、
正常でなくなる可能性もあるので、なんとも言えない。
頭がおかしくなる前に、今から、一筆したためておこうかな。
あるいは、バリバリに正気だけれど、ころっと気が変わるかも知れない。

なにぶん、今は健康そのもので、なんでも自分で出来る。
行こうと思えば、世界中のどこにだって行ける。
自立できなくなっている自分を、今は想像できない。

その時その時に、絵を描くしかない。