蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ふわりふわふわ、自由な発想

2008-10-08 | 読む人々には興味ない話
「あなたも夢を実現!」とか、「まるで普通の人が億万長者に」とか、
「こうやって成功した、ノウハウのあれこれ」、
みたいな類いの、人の気を引くフレーズをよく見かける。

日常に満足していない人への気分転換に、とか、
モチベーションを上げる、とか、夢をあきらめない、とか、
そういう意味では、とても魅力的なことだと思う。

私は、凡人あるいは、それ以下なので、
もともとモチベーションそのものがない。
なので、自分を中心にコトは動いていないことは、よく知っている。
つまり、客観的に、社会的に、他人を納得させる既成事実がない。

やたら熱く語り、夢に向かってひた走ろう!!
などとブログ(日記)に書いて、ネット内で通りすがりの人の
共感を呼んだりしている若い人を見かけることがある。
そういう人が自ら明かす、これまで歩んできた道を見ると、
学校は途中でリタイア、専門学校もリタイア、仕事もリタイア、
自分探しの旅の途中に、やっと熱くなれるものを見つけたとか。
目下、夢の実現に向かって走っているそうな。
なにひとつ、今まで客観的になにも成し遂げたものがない人が、
いくら熱く語っても、、、、、ねえ。
気持ちだけでは通用しないのが、この世の中。
そういう場合は、なにも、経歴とか載せないほうがいいと思うのだが。
あえて赤裸々に告白することによって、自らを奮い立たせ、
一からの出直し、というスタンスだろうか。
とりあえずは、公表できるような実績を、まずはひとつでも作ることが
第一のステップだと思う。

私の場合、なにひとつとして人様に自慢できる、客観的な経歴がないので、
書きたくても書けないのだが。
ただ、客観の世界とはまた別の、主観の世界を確保して
自分の感性を軸に、いろんなものを感じ取る。
感性は、自由なのだから。
なんの束縛もなく、全てから解放される。
そんな現状に、とてつもなく満足している幸せモノである。

人の持っていないものを持つ人は羨望の的だが、

お金はあっても、教養がない人。
教養があっても、品性のない人。
地位はあっても、友達がいない人。
今はよくても、未来がない人。
頭が良くても、努力をしない人。

実にもったいない。

なにもなくても、希望がある人。
飛びぬけてなくても、充実感がある人。
そのほうが、幸せだと思う。

私が幸せなのは、理想のレベルが低いから?
いえいえ、実はそうでもないのだ。


この人こそ、まさに、私の理想、という人がいる。
私がはっきりと想像できない理想のイメージを、具現化している人物。
小学&中学の同窓の同期生、○○君だ。
しかし私は、彼の私設広報担当者でもなんでもない。
勝手に、ひとりで外野で感激しているだけだ。

そこそこ頭がいい人は多々いるが、その中でも、元々頭がずば抜けて良い。
そこへもって不断の努力家。
先見の明がある。
運もいい。恵まれてもいた。
高い学力、教養、ネイティブの専門家と互角以上にディールできる語学力を身につけ、
 さらに専門スキルがある。
自分のビジョンを明確に持っている。
熟考家。判断は私情に振り回されず、情報を立体的に組み立て、醸成して。
人を切る時は、温かく、しかし冷静に。
ビジネスでは人脈づくりは、ビジネスを作り出すためであり、
 お友達を作ればいいというものではない。
 大企業からの留学社員は、後ろ盾に安心して、(留学先では)人脈を切り開く気力に欠ける。
波の乗り方を覚えるには、何度もの失敗経験が不可欠。
自分の生き方を自分で切り開く。
目標となる人、モデルがない場合は、自分自身をモデルにして創造する。
人格者。お金に振り回されない。
退路を断つ、迫力と意気込み。
人当たりのよい柔和な性格。
誰もが認める力量の持ち主で、リーダーシップを発揮する。
適材適所、人を活かして起用する、人材の使い方がうまい。
いつも決まりきったパターンではなく、時流を読んだ柔軟性をもった判断、方法。
嫌味なく、自分の現状を語れる。
 (謙遜するばかりが能じゃない)
力量に見合ったステータス(社会的地位、信用、交友、富)を保持。

現代の日本において、成功者の一人、
そのモデルとなる人物だと思う。
白洲次郎をもう少し、専門スキルを磨いて、頭を良くしてマイルドにした感じ。

他人の成功話なんぞ、聞いてもなんの面白いこともない、
と多くの人は感じると思う。
知り合いの自慢は、ひいては、自分の自慢でしょ?と思う人もいるだろう。
きっと理解してもらえないと思うが、
大好きな冒険小説がいくつかあって、
さらに今まで読んだことのない大作を読んだような感激、とでも言えばいいだろうか。

私は、成功話が、大好きなのだ。
それも、「濡れ手で粟」、といった類のもではなく、
偉人による偉業、という、正統派のもの。
それが現代人で、今もまだまだ活躍中、となれば、
私が釘付けとなってしまうのも、仕方がない。

なによりも、成功した人のパワー、オーラは、
(私は実業界の住民ではないが)、実に心地よい。