蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

眩しすぎる、コロー展

2008-10-14 | 展覧
先週、舞子ビラで夜から開催される、古田選手のトークショーついでに、
三宮で途中下車して、コロー展を観た。

私は、いつも、ちょっとのことで出かけるのは、能率が悪いと感じる。
はやい話、面倒くさがりだ。
遠くまでわざわざ出かけるからには、ジャンルは、まるで無関係でも、
2件はハシゴしたい。

なので、強引に、コロー展。
地理的に、大阪より西に位置するところから、選んだ。
前に、「オルセー美術館展」を観に来て以来の、神戸市立博物館だ。
平日の閉館近くということもあり、他の人が邪魔にならなくてよかった。


カミーユ・コローは、1796年、パリのブルジョワ家庭に生まれた。
26才で、家業を離れて本格的に画家を目指すことが許されたコローは、
自然に対するみずみずしい目と感性で、 風景画家としての地位を築き、
人物画でも傑作を残した。
古典の伝統をふまえつつ、確かな造形力で独自の詩的世界を作り上げ、
彼の影響を受けた芸術家は、ルノワール、モネ、マチス・・・と後を絶たない。
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誰もが一度は見たことがある、学校の教科書にも載っているコローの絵。
絵画といえば、コローを知らない、と話にならないかなあ・・・と
後学のため、観にいったようなものだった。
時代の表舞台に光り輝く、超正統派、優等生中の優等生といったかんじ。
時代の先駆者となる構図、色使い、筆致、ストーリー性、当時の風景・・・
説明にあるままに、素直に、ふむふむ、なるほどなぁ、と歴史的大作の数々を
ひとつひとつ丁寧に観た。

確かに素晴らしいのは、言うまでもないが、なぜか、すんなり、行き過ぎてしまった。
前回観た、首の長い、アーモンド目の、やたら赤い顔、はっきり言って、へんな絵の
モディリアーニのほうが、ずっと後々、心のどこかにひっかかって印象的だった。
ひょっとして、私は、絵を見る目が、変化したのだろうか?
これも成長? 
それとも、正統派に対する、コンプレックス?

モディリアーニのときは、音声ガイド器(有料)を借りなかったけれど、
今回は、奮発して(500円!!)借りたというのに。
中村吉右衛門が説明指南役だった。
行政も、予算がたっぷりなのか、
彼が、芸術理解者で、安めのギャラで引き受けたのか、
はたまたナレーション料は、相場として、そう驚くほど高くないのか?
ガイドが終わる頃になって、名前が流れ、意外だった。
渋いというか、思い入れたっぷりの年配の声だなあ、とは思っていたが、
無名のナレーターでも別によかったのでは、などと小市民的な私。


なんの先入観も、知識もない真っ白なままで、いろんな絵を観たい。
それは、絵に限らず、芸術全般、建物、人物、風景、街、・・・なんでもかんでも。
見るものだけでなく、五感で感じるすべてを。
自分の好みをリトマス試験紙でチェックしているようなかんじ。
感性に触れるかどうか。
少しでも、感性に触れるものに出会うと、しあわせ。
感性に触れなくても、勉強になって蓄積されるから、しあわせ。
その時はなにも感じなくても、積み重なって、色んなものが、じわーっと混じって
熟成されていく感覚に、こころ満たされる。
少しずつ変化する自分を感じることも楽しい。
どっちにしても、しあせわなのだ。

で、いつものごとく、絵はがきは、2枚チョイス。
閉館時間ぎりぎりまで、目一杯ねばり、博物館を後にした。