本来、運動は、継続的に、毎日のように行うのが、効果的らしい。
私は、大の運動嫌い。
そして、面倒くさがりなので、ちまちま毎日、運動するのは苦痛だ。
家の中で出来る運動というのもあるし、日常化すれば素晴らしいのだが、
自主性という概念を母親の胎内に置き忘れて生まれてきた(と勝手に思っている)私には、
そんな人の目のないところでの自発的努力など、できるわけがない。
ウォーキングもいいのだが、ここのところ、家を出る時間がズルズル遅くなってしまい、
歩いて駅まで行く時間がなくなってしまった。
これはよくない、以前のように歩くべきだ、と、頭の中では思っている。
何も用事がないのに、歩くことだけを目的に歩く、というのは、
私は合理主義者で、かつ、怠け者なのでNG。
何か用事があって、そのために歩いて行く、というのが私としてはベストだ。
ジムに行くために、車を利用などというのは、特にNG。
そのジム、だが・・・大嫌いだ。
週に1回だけ、軽快なリズムに乗ってアップテンポの有酸素運動のプログラムを受けている。
その後、引き続きジム、そして、プールで泳ぐ。
本当は、週に3回ぐらい行くのが良いのだが、その気はまるでない。
その週一の、ジムが大嫌い。スイミングは、ちょっと嫌い。
足指骨折の時は、運動が一切出来す、ある意味、ラクラクで、楽しい3か月間を満喫できた。
今は、元通り、で、毎週、その日が憂鬱だ。
ご近所の、かつてのママ友Mさんと、ある日、そのフィットネス・クラブでばったり会った。
彼女は、私と同じ有酸素運動のクラスにいた。
私は「ジムにも行ってる」と言うと、彼女はあからさまに顔を歪めて、
「私、ジムって、大っキライ!!」 だから、利用してないと、はき捨てるように言った。
私だって大っキライなんだけど。
それ以来、私は、ジムで憂鬱な気分に落ち込む度に、彼女の歪んだ顔を思い出す。
大っキライなジムを私は、なぜ、こうまで無理してやっている、続けているのだろう。
好きでやっているわけでないことだけは、事実だ。
今に見返してやる!!!などという気持ちがないといえば、ウソになるかも知れない。
見返すというのは、言葉のアヤだが。
嫌いだからやらない、努力を怠る・・・
そういう、欲望のままのことを続けていると、遠い将来、差が出るだろう。
今は、どういうことはないが、長年続けると、継続は力なり、で、
20年後に、爽やかな顔で、Mさんとご挨拶できるといいなあ、と。
私には私の論理がある。
健康維持は、ジムに行かなくても、出来るように思う。
ジムは、筋力をつける、衰えていくスピードを緩める、そのためだ。
たぷたぷの二の腕、ボコっと出た下腹、そういうの、かっこ悪い。
肉体の見た目の老化に、ちょっとでも抵抗しようという、諦めの悪さが、原動力だ。
ヌードは到底見れたものでなくても、せめて、薄着になれる程度のプロポーションは維持したい。
背筋もビシッと伸ばしたい。
なら、毎日、トレーニングすればいい。それが無理なら、せめて、週3日。
それが行けない。つまり、効率的成果を求めているのではなく、
自分の自己満足のため、心の保険のようなものだ。
今、嫌々やっているが、このまま継続したとすると、20年続けると
やらないよりは、やったほうが良い結果が表れるのでは???
と淡い期待を寄せている。
なので、憂鬱と苦痛に顔を歪ませながら、マシーンと取り組んでいるのだが、
ふとした瞬間には頭の隅っこで、Mさんの顔がどこかに浮かび、闘っている。
しかし合理的に考えれば、
家の中で、寝る前とかにちょこちょこ腹筋などをすれば解決すると思うのだが・・・。
(それが出来ないくせに、人のことはあれこれ言えない)
Mさんも、ひょっとして、家で地道に努力しているのかも知れないし。
やっぱり、私は、カッコばかりのニセモノなのかも。
歪んでいるのはMさんの顔ではなく、私のココロ?
ある意味、自分の欲求に忠実なMさんが、羨ましかった。
嫌だから、やらない、これは、素直な行動だ。
嫌いなのにやる、顔を歪めるほど嫌がる人もいるのに、
そして、自分も嫌なくせに、しかも、やらない人を怨みがましい目で見てまでも。
そんなに無理してやるなら、やめたら?
そのほうが、精神衛生上、絶対にいい。
でも、とりあえずは、虫の息ながらも続けている。
いずれ、ジムもギブアップ、家での地味なエキソサイズもグウタラでアウト、
そうなった時は、「もう年だし・・・健康第一。いまさら、外見なんか、どうでもいいわ~」
って、サプリとかいっぱい飲んで、開き直っているんだろうな。
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私は、大の運動嫌い。
そして、面倒くさがりなので、ちまちま毎日、運動するのは苦痛だ。
家の中で出来る運動というのもあるし、日常化すれば素晴らしいのだが、
自主性という概念を母親の胎内に置き忘れて生まれてきた(と勝手に思っている)私には、
そんな人の目のないところでの自発的努力など、できるわけがない。
ウォーキングもいいのだが、ここのところ、家を出る時間がズルズル遅くなってしまい、
歩いて駅まで行く時間がなくなってしまった。
これはよくない、以前のように歩くべきだ、と、頭の中では思っている。
何も用事がないのに、歩くことだけを目的に歩く、というのは、
私は合理主義者で、かつ、怠け者なのでNG。
何か用事があって、そのために歩いて行く、というのが私としてはベストだ。
ジムに行くために、車を利用などというのは、特にNG。
そのジム、だが・・・大嫌いだ。
週に1回だけ、軽快なリズムに乗ってアップテンポの有酸素運動のプログラムを受けている。
その後、引き続きジム、そして、プールで泳ぐ。
本当は、週に3回ぐらい行くのが良いのだが、その気はまるでない。
その週一の、ジムが大嫌い。スイミングは、ちょっと嫌い。
足指骨折の時は、運動が一切出来す、ある意味、ラクラクで、楽しい3か月間を満喫できた。
今は、元通り、で、毎週、その日が憂鬱だ。
ご近所の、かつてのママ友Mさんと、ある日、そのフィットネス・クラブでばったり会った。
彼女は、私と同じ有酸素運動のクラスにいた。
私は「ジムにも行ってる」と言うと、彼女はあからさまに顔を歪めて、
「私、ジムって、大っキライ!!」 だから、利用してないと、はき捨てるように言った。
私だって大っキライなんだけど。
それ以来、私は、ジムで憂鬱な気分に落ち込む度に、彼女の歪んだ顔を思い出す。
大っキライなジムを私は、なぜ、こうまで無理してやっている、続けているのだろう。
好きでやっているわけでないことだけは、事実だ。
今に見返してやる!!!などという気持ちがないといえば、ウソになるかも知れない。
見返すというのは、言葉のアヤだが。
嫌いだからやらない、努力を怠る・・・
そういう、欲望のままのことを続けていると、遠い将来、差が出るだろう。
今は、どういうことはないが、長年続けると、継続は力なり、で、
20年後に、爽やかな顔で、Mさんとご挨拶できるといいなあ、と。
私には私の論理がある。
健康維持は、ジムに行かなくても、出来るように思う。
ジムは、筋力をつける、衰えていくスピードを緩める、そのためだ。
たぷたぷの二の腕、ボコっと出た下腹、そういうの、かっこ悪い。
肉体の見た目の老化に、ちょっとでも抵抗しようという、諦めの悪さが、原動力だ。
ヌードは到底見れたものでなくても、せめて、薄着になれる程度のプロポーションは維持したい。
背筋もビシッと伸ばしたい。
なら、毎日、トレーニングすればいい。それが無理なら、せめて、週3日。
それが行けない。つまり、効率的成果を求めているのではなく、
自分の自己満足のため、心の保険のようなものだ。
今、嫌々やっているが、このまま継続したとすると、20年続けると
やらないよりは、やったほうが良い結果が表れるのでは???
と淡い期待を寄せている。
なので、憂鬱と苦痛に顔を歪ませながら、マシーンと取り組んでいるのだが、
ふとした瞬間には頭の隅っこで、Mさんの顔がどこかに浮かび、闘っている。
しかし合理的に考えれば、
家の中で、寝る前とかにちょこちょこ腹筋などをすれば解決すると思うのだが・・・。
(それが出来ないくせに、人のことはあれこれ言えない)
Mさんも、ひょっとして、家で地道に努力しているのかも知れないし。
やっぱり、私は、カッコばかりのニセモノなのかも。
歪んでいるのはMさんの顔ではなく、私のココロ?
ある意味、自分の欲求に忠実なMさんが、羨ましかった。
嫌だから、やらない、これは、素直な行動だ。
嫌いなのにやる、顔を歪めるほど嫌がる人もいるのに、
そして、自分も嫌なくせに、しかも、やらない人を怨みがましい目で見てまでも。
そんなに無理してやるなら、やめたら?
そのほうが、精神衛生上、絶対にいい。
でも、とりあえずは、虫の息ながらも続けている。
いずれ、ジムもギブアップ、家での地味なエキソサイズもグウタラでアウト、
そうなった時は、「もう年だし・・・健康第一。いまさら、外見なんか、どうでもいいわ~」
って、サプリとかいっぱい飲んで、開き直っているんだろうな。
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