蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

お付き合い、嫌いです

2010-03-10 | お付き合い
私には友人と呼べる人は、あまりいない。
小さい時からそうだ。
友人は一人いれば、それでいい。
お遊び専用、学校専用、お稽古専用、ご近所専用、趣味専用、嗜好専用、買い物専用、
グルメ専用、カラオケ専用、飲み会専用、映画専用、相談専用、愚痴専用、賑やかワイワイ専用・・・
友人がいくつものジャンルに分かれて何人もいれば、バラエティに富んでいてイイのだろうけれど。
私は、一人の友人がだいたい全部を兼任する。
あとは、その周辺に関連の人々が少々。
大人になってからは一人行動が多いので、「友人が多い、交際範囲が広い人」とは正反対。
ひたすら、付き合いが悪い。

なぜ、そうなるのか?
面倒くさいから? 労力を惜しんでいる?
目的を達したら(例えば、お稽古など)、とっとと帰ってきてしまう。
アフター レッスンのお茶会に滅多に顔を出さない。
きっと、「人付き合いが悪い人」としてパーソナル・イメージが定着し、
「あの人は参加しない人」ということで、それが普通になり、いずれ誰も声をかけてくれなくなる。
自分が蒔いた種なのだが。

いつも、自分の時間を削ってまで、付き合いのいい人は、あちこちから声がかかる。
というか、自分の時間を削ってお付き合い、と考える、その考えがおかしいのかも?
削っているのではなく、優先的に進んで、自分の時間を人付き合いに使っているわけだから。
メリットは、顔が広くなる。色々情報が入る。デメリットは、多忙。


さて、ここからが、私の悩み。
今、学生時代の同級生(女性)Mさんから、ランチのお誘いを受けている。
その人は、広く誰とも付き合う、交際発展家。大きな会の役も引き受ける行動派。
別件のメールのやりとりから、一昨日に声をかけてもらった。
わざわざ姫路からやって来るNさんと、別の同級生Bさんのお店(心斎橋)に顔を出し、
その後、軽くランチとか。
明日のその日を前に、行こうか、行かないでおこうか、迷っている。

いつも私たちは、メールでも年賀状でも、
「また、お茶しようね」「今度、ランチしようね」と社交辞令で結ぶ。
ほとんど実現しないことをわかっていながら付け加える、挨拶のひとつだ。
本当におしゃべりしたい人なら、二つ返事で引き受けているんだろう、きっと。
(来週末、別の友人Fさんとディナー予定あり。これは即断即決OKの返事をした)
イベントや催し、なにかの会など、はっきりした目的でもないと、
スケジュールを都合してまで、わざわざ会うのは、腰が重い。

今、たいして会いたいわけでもないからといって、せっかく向こうから声をかけてくれたのに、
断ると、自分から付き合いの糸を切ってしまうことになるのを恐れている?
本音は、今は、定例の予定を変更して、会いたい気分ではない。
気分だけでコトを運ぶと、
今後、自分のノリがいい時に、自分から声をかけても、誰も乗ってきてくれない可能性がある。
そういう事態を回避するためにも、保険のようなかんじで、付き合っておくべきか・・・。
その時、その時の事情、気分なんて、お互い様か・・・。

こんな風に、そんなことをウジウジ考えて付き合う人(=私)なんて、
誰もが、最も付き合いたくないタイプだろう。絶対に。


またまた迷い、迷い、迷って迷って、で、期限直前。
今のところ、保留の返事をしているが、本日中にどっちにするか、返事をする予定だ。
ぐにゃりぐにゃり、どうして、こうも決定が遅い?! なぜ、決められない?!
「行く」と返事し、キャンセルして、キャンセルをまた取り消して・・・
会っても後悔、会わなくても後悔・・・
なんてことに、なりませんように・・・・(ありえる・・・??)


きっと私は、人生のタイミングをキレイに外すタイプの人間だ。
こんなにダラダラ長文を綴っている時点で、アウト、終わっている。


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