蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

しみじみ、カメラアングル

2015-02-04 | 人生

ここのところ、幸せすぎて、ブログネタがない。

ああ、今、わたしは幸せだなあ~と、しみじみ感じるシーンがある。
まるで、映画撮影のカメラを回しているかのごとく。
映画を観る側ではなく、作り手、制作側の目になっているのが、ちょっと不思議ではあるが。

ここ、作者の意図するとこ、観客側に、幸せを感じ取ってもらうとこなのかな、
などと、へんにねじれたアングルで、幸せを脳に伝達している。


わたしの年齢であれば、もう仕事もひと段落、子供もひと段落。
身体も精神も、まだ深刻な老化には、時間が残されている。
親の介護の時期に、ひっかかる年齢でもあるが。
どうにかこうにか、とりあえず、ここ半年ぐらいは、大丈夫そうだし、執行猶予は、毎月更新、毎年、更新されている。
だが、いつ、前触れなく、どっかーんと、介護の波が押し寄せるかも知れないので、
身が空いている、出来る間に、おもいっきり自由時間を満喫しておく。
自由時間の満喫の仕方は、なんにもしないで、自宅に引きこもる、というのもOK。人それぞれ。
誰の束縛も受けないのが、なによりの黄金時間。


わたしの幸せマックスは、意外に、とても平凡極まりないところにあった。
(どういう状態、状況かを具体的に文字にする途端に、つまらなくなるので、あえて書かない。
表現した瞬間に、幸せが粉々に砕けてしまいそうになる。
自分の喜びは、誰にも言わず、ひっそり胸のうちに暖めておく主義)

それを目標に頑張ってきたわけでもなんでもない。
まだ道の途中なのに、マックスと感じるのは、すべて、どれもこれもクリアできていないところにある。
物語は、完結してしまっては面白みがない。
ほのかに延長を予想できる、次回作があるから、楽しい。期待も膨らむ。
すべてを満足、完結してしまったら、生きる気力がなくなりそうだ。
思い通りにならないパーツ、逆噴射的エネルギーは、必ず要る。

飛びぬけ大きな幸せは要らない。
しかし、小さな幸せは、小さな努力の積み重ねだと気づいた。
そして、自分にとっては、小さな小さな平凡な幸せは、大きな喜びであると感じた。
そんな平凡なことに喜びを感じる自分は、なんて角が取れた、平凡で善良な一般市民なんだろうと、
へんに驚いたりしている。
いったい、自分はどんなに奇異な、変わった、特別の人間だと思っていたのだろう。
特別でもなんでもない、わたしは、いたって普通の人でした。

というか、たんに年とっただけ?

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