夫のことが大嫌いな奥さんたちは、少なくないようだ。
ブログに、ばんばん悪口を書きまくっておられるブロガーさんもいる。
男性の場合は、奥さんの悪口を書く人はあまりお目にかかったことがなく(わたしが素通りしているだけかも知れないが)
若い恋人(愛人?)とのノロケ自慢話っぽいものを(半分、嘘でも)書いたりしているブログは、見かけることがある。
わたしは、両方、読まない。ヒントも解決もなく、時間の無駄。
かくいう、わたしのブログも、そうとう悪口ざんまい。
懺悔するのに相応しい。
しかし、わたしのブログは、重いものや、理屈っぽいものもあるが(ほとんど全編?!)、暗くはないはず。
一時、近しいリアル人から、「あなたのブログは暗い。だから最近は読んでない」と言われたことがある。
が、「わたしのブログ、読んでみて!」とセールス、プッシュしたわけでもなんでもなく、
むしろ、人知れず、こっそりひっそり楽しんでいたのに、ブログの存在を発見されてしまって、非常に心を痛めた。
で、ずけずけと感想を言ってこられて、まいった。
ブログで鬱憤を発散していたのに。(現在もその傾向あり。ちょっとはマシになったけれど)
まさに私生活だけでなく、こころの奥深くまで土足でズカズカと踏み込んで来られた気がした。
「暗いから読んでない」、ってことだが、またブログ内容が面白い調子になったら、読まれてしまう・・・。
暗くしなければ、読まれてしまう・・・。ああ・・・。
こう書いていると、面白がって、また読まれてしまう・・・。ああ・・・。
(→いま、お読みになっている方々へ
わたし、書いて遊んでいるだけなので、まともに取らず、スルーしてください)
しかし、その人物も最近、多忙のようなので、人のブログまで暇そうに読んでいないと思う。
もし、読んでいたら、読んでいることをわたしに伝えないで、胸のうちにしまっていてほしい。
ましてや、感想など、ぜんぜん、求めてませんから。
聞かれもしないのに、ご自分から感想を言わないでください。
お願いします。
と言いつつ、基本的にはわたしは、おちゃらけ、ちゃらんぽらん性質なので、
人のことなど、たいして、どうでもいいのだ。
ハナシは、変わり・・・
リタイア後の生活を書き綴った、シニアブロガーさんが書いておられる人気ブログがある。
その中で、奥さんに対する機嫌の取り方が紹介されている。
奥さんにお茶や、コーヒーを入れてあげる、というのは、とても良いことだと感じた。
かんたんな、ほんのちょっとしたことなのに、絶対にしない男性の多いこと。
「おい、お茶!」と頭ごなしに命令するのは、さすがに、このご時世、はばかられるので、
「お茶にしませんか」と夫は言う。
が、絶対に死んでも、夫は自分では入れない。
「すみません、○○取っていただけますでしょうか?」と、自分で取らないで(取れるのに)、人に取らせる。
「すみません。おっしゃるとおりです、私が悪うございました」と、やたら慇懃無礼な言い方をする。
まったく、悪いなどとは、微塵も思っていないこと、ありあり、見え見えで、慇懃無礼ぶりが余計に癇に障り、気分が悪くなる。
包装紙を変えても、中身が同じなら、変えないほうがマシである。
変化の兆しだとか、変わる前の前兆だとか、そんな風には思えない。
小手先で、お茶を濁そうたって、そうはいかない。
おそらく、溝は埋まらない。
埋めようなどと考えるからストレスが溜まるのである。
埋まらないものだと理解していたら、それなりに生活していけばよい。
知恵は、なんのためにあるのか。使うためにある。生きていくために。
生きていくには欠かせない心臓が悪くなっても、
ペースメーカーを埋め込んで、ふつうに生活している人もいる。
なので、方法は一つではない。
融通性、柔軟性を持つ。
いがみ合って生活していては、つまらない。
いがみ合わないように、工夫するとよい。知恵をフルに駆使して。
解り合おう、和解しようなどと、大それたことを考えたり、トライしてみたり、そんな無駄なことは、省エネに反する。
お互いに理解できないもの同士である、ということを理解しさえしていれば、
まあまあの平和は保てる。
ある程度の年齢になると、大手術より、内服薬で
破綻を来たさない程度の現状維持がローリスクかと思うのである。
デフォルトは、避けたい。