蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

毒親

2019-04-19 | 無題
今日は、ブログ村ランキングAIの目を全く気にしない、自分のためだけのタイム。
(人目を気にすると、どうもギクシャクする)

昨夜、クローズアップ現代(NHK22:00〜)で、「毒親」がテーマになっていた。
東ちづるが、親の顔色ばかりを伺い、自分のためではない、親のための人生を生きてきたことに気づき、母親といっしょにカウンセリングを受けたそうだ。
すると、優等生真面目タイプの、彼女の母親こそ、自分がこうしなければならないという良妻賢母のイメージに囚われていたことに気づいたらしい。
二人同時にカウンセリングというのが、なかなか効果があると感じた。
今では、高齢にもかかわらず、お母さんは、したいことが、いっぱいあって、選ぶのに困るほどだとか。
主体的に生きることに目覚めた、ということだ。

わたしの姑も、人から見られた自分を生きるタイプ。
わたしの母は、自分本位で生きるタイプ。
周りからすると、良妻賢母である姑のほうが、断然良い。
見るだけでなく、実際、関わりがあるとすると、姑タイプが気遣いもしてくれて、とても快適であるし、周りからの感謝や評価も高い。
母は、、、その逆。
しかし、母自身、本人はすこぶる快適。
ひょっとして、わたしは毒親に育てられたのかも知れない。

嫁に行き、実母から姑に、母がチェンジされ、とても嬉しかった。
家庭も、わたしにとって、心安まらない実家と、明るく暖かい婚家、
実母と姑、天と地の差があった。
姑本人は自分に理想像を課していて自身は辛く、大変だっただろうけれど。
こうでなくっちゃ、と、姑から学ぶことがたくさんあった。

が、、、晩年。
やはり、わたしは毒親の娘だ。
自分に忠実なほうを選んだ。
自分に素直になると、それはそれは快適。
わたしはそもそも、もともと優等生の逆タイプなので、優等生を演じることは出来ない。
だが、せめて、落ちこぼれない程度は、すべきことはすべきだと思って、やってきた。
最低ラインすれすれのところ。
上も見て、下も見て。
考えてやっているのではなく、わたしのキャラクターなのだろう。

わたしのような毒親に育てられた、わたしの子供達は?
気の毒な子供時代だっただろうか?
自分の思い出す回想シーンなんて、自分に都合が良いところしか覚えてないに決まっている。
マズイところは、さっさと忘れているに違いない。
でないと心の病気になってしまう。

と、主観はさておき。
客観的に見ると、子供達は普通に育っている。
わたしだけではとても、ちゃんと出来ないので、姑や舅の協力、バックアップもかなり影響していると思われる。
(夫が欠場している、深刻な問題は、ここではさておき)
まともな人々が、非常に近い関係者で、本当に良かったと、胸を撫で下ろしている。

子供達に「あんたなんか、、、、(こきおろす)」と思ったことは、一度もない。
なんて、出来た子供達なんだろうと、いつも目を丸くしていた。
わたしはいつも、親にも学校でも叱られっぱなしだったのに、子供達は、学校で保護者面談があると、褒められる。
わたしの子供ではないかのように、いつも思っていた。
夫サイドの優秀なDNAだろうけれど、わたしには、全くピンと来なかった。
どこかからもらってきた他人みたいで、面白かった。
手を焼いて困るのなら辛いが、良すぎて不思議、なんていうのも、ケッタイである。
しかも、そんなことを他人に言うと、自慢しているように取られてもいけないので、口には出さなかった。
自分の手柄でもないことを自慢、吹聴するなんて、そんなみっともないことは出来ない。
家の中では、「スゴイね〜」と心から思って子供達を褒めた。
本当によくやってくれた。
わたしのような手抜き親にしては、出来過ぎである。
やはり、姑のサポートが大きかったかも知れない。
だから、わたしは姑には頭が下がる思いで、感謝してもしきれない。
にもかかわらず、平素はほったらかし、ポイントしか動かない、口先ばかりのわたしである。


ここで本日のブログ、終わればよいものを、、、
一言余計なことを加えて墓穴を掘るタイプのわたし。

ママ友に、いかにも頑張ってます!タイプの人がいた。
あまりにも大変ぶりを自己アピールするので、いったい具体的にどんなことに頑張ってるんだろうと聞くと、日々、忙しく銀行に用事で行ったり、、、(あとは、聞いたけれど忘れた)とかなんとか日常の普通のこと。
絶対、石を投げられることを承知の上で言うが、日頃、わたしが仕事の合間に、ほんの片手間にやっていることが、彼女のメインだった。
わたしが100分の1ぐらいしか気合いを入れていないことが、彼女の全力、全身全霊だった。
価値観の違いである。
結果が、彼女が100倍なら、周りも彼女も納得するところだが、、、
100倍子供に全力を投入したからといって、100倍のリターンはない。
自分が100倍燃えて、一生懸命生きている実感を味わえて良かったね、ぐらいに思うほうがよい。

かといって毒親になれ、とは、全く、1ミリたりとも思わない。
子供にプラスの過剰なことをしたいのは、子供のためではなく、自分のためなんじゃないかと思う。(ネグレクトとかは論外。わたしは断じて認めない)
過干渉と放任の見極めは難しい。
放任とネグレクトとはまた違う。

一生懸命になりすぎて、幹より小枝に気を取られることがある。
周りが見えない。
わたしも、もう一度子育したら、失敗しているかも知れない。
今の教育事情は複雑、繊細で、孫育てには全く自信がない。

手を抜きすぎると、しっぺ返しもありうる。
とりあえず、安全地帯をキープして、基地を持たなければ、自分を守れない。
番組によると、安全地帯、それが親なんだそうだ。
安全地帯になっているかな?と自身を振り返る。
が、今頃になって、手抜きを反省して、お弁当作りをしたりして自分のサボり罪を軽くしようとしているのだろうか。