大阪市内の、環状線やら、私鉄やら、いろんな電車が停まる駅の、駅前ど真ん前にある喫茶店。
昭和レトロな雰囲気で、分煙なんか、どこ吹く風。
プカプカ、モワモワ、お構いなく、周りからの濃い煙に、帰宅するとタバコの匂いが服に付着している。
ダンス会場に行く時、そこでボリュームたっぷりな、お値段も昭和の良心的価格のランチを食べるのだが、、、。
今どき、分煙しない店など珍しいからか、はたまた、良心価格のせいか、あるいは、立地の良さからか、いつもその店は混み混みである。
どう見ても時が逆流したような店。
古い、ビニール椅子に脂っぽい手あかが、テカテカついたような、庶民的な風情。
高級志向の人は、行かないかも知れない。
その店では、もちろん周りに遠慮することなく、思いっきり、タバコをプカプカ吸う人も多く利用する。
サラリーマンもいるし、労働者、ブルーカラーも、子連れ主婦も高齢者も、老若男女で賑わっている。
と、長々説明。
そこでわたしが、とても驚き感じることがある。
喫茶店だから昼時は主にその店のオススメランチを食べるが、一人で来る人もいるし、おしゃべりしている人もいる。
で、近くから、おしゃべりが聞こえると、ある種のトーンには、わたしは耳ダンボになってしまう。
まず、声、発音。
わたしは生まれも育ちも国籍も日本なので、日本語や日本人の細かい特徴がよくわかる。
背中合わせなので、顔は見えないが、イントネーションや、話し方で、即座にその人の社会的属性が想像できる。
うわぁ〜、絶対にわたしとは、接点がない人だ!という人がいる。
(昨日のわたしの背後に座っていた女性)
そのダミ声の女性は、マイナス感情を吐き出すように、一方的に話していた。
まずは、状況説明、自分との関係。親族の話のようだ。
長々だらだらと一方的に聞かされる、親族でもなんでもない相手のことが気になった。
なぜなら、あんな話、関係ない人にとっては、なんの関係もなく、しかも不満を爆発させられてもはた迷惑なだけだ。
しかし、相手は、ほんの一言、二言だけ、合いの手を入れる。
わたしは二人の関係性を想像した。
あんな話に素直に付き合ってあげる相手とは?
ちらと見ると、背中合わせの女性の肩越しに、相手の肘から先が見えた。
腕と袖口から、60代前半ぐらいの男性だと推定した。
この、ダミ声の女性の夫ではない。(内容が、相手は知らないと思われる親族の話だから)
では恋人か?
肩から上だけの後ろ姿で想像する、ダミ声女性は50代後半〜60代か?
まあ、恋人でもあり得ないことはない。
男性が、女性に熱を入れているのだろう。でなけれな、おとなしくあんな話を延々と、しかも肯定スタンスで聞かない。
それにしても、ダミ声女性。
なんども振り返ってしまうほど、わたしとは接点も縁もないタイプ。
年齢だけは同世代と思われる。
場所が大阪市内のど真ん中、しかも、梅田とかではない、ちょっとディープな地域だからだろうか?
どうすれば、あんなに、オール・マイナス要素の掃き溜めみたいなキャラクターが形成されるのだろう。
どんな生き方を積み重ねると、あのようなテイストが醸し出されるのだろう。
マスコミで報道されたり、映画やドラマで見て想像する、犯罪関係者的ニュアンスが漂うイメージ。
もし、あの女性が、同じ地域に住むか、同じ職場にいるか、親族にいるか、だったりして、頻繁に関わりをもたなければならなかったり、利害関係があったりしたら、わたしはこころの病気になるだろう。
というぐらい、、、しかし、わたしが知っているのは、彼女の肩から上の後ろ姿と声と話し方、内容の一部だけである。
決め込み、決めつけが著しいが、だいたい予想は外れたことはない(と自分では思っている)。
(しかし、今までの経験からすると、思い込みは結構激しいようにも感じるが、感受性が強く、どんどん想像が膨らみ、早とちり傾向もあるように捉えられなくもないが。
後になって、なあんだ、思ったほどのことはなかった、ということは、ないことはない、、、
と、自分の間違いを認めたくないものだから、読みづらい文章表現「二重否定が続く」背景、原因、解説を見苦しく付け加える)
で。
なんと長い、まったく見ず知らずの、なんの接点もない彼女の悪口を書きまくったが、、、
驚いたことに、その話を対面で聞かされていた相手は、恋人ではなく、女性だった。(今の時代、同性の恋人かも知れないが)
おかしいなあ、、、腕や袖口イメージでは男性だったのだが、、、女性もある年齢を超えると中性を超えて、逆の性別に変化するのだろうか、、、。
そして、次に、その同性の相手が口を開いた。
今度も一方的にペラペラ状況説明。
その後、またまた一方的に意見、感情を延々と。(話の中身は、人間関係が絡む、職場、仕事の仕方について)
ダミ声女性は、一言も発せず。
この二人、かわりばんこに、感情の吐き出し合いをしているのか、、、。
道理で相手がしゃべっている間、もう一人の人は、なにも話さないはずだ。
相手が話し終わるのを待っている、順番待ちだったのか。
相手にとっては、全く興味のない話であっても、聞いてもらうとスッキリするのだろう。
わざわざ人に話す内容ではないと不思議ではあったが、内容よりも、話すこと自体に意味があるようだ。
気が晴れるんだろう。
わたしのブログと同じだ。
ランチタイム、お昼休みのひとときを、こころのリフレッシュに使う人々だった。
わたしは、同じ時間帯、彼女たちとは背中合わせで、スマホ端末の説明を受けていた。
どっちが有意義か、なんて比べる意味がない。
どちらも、それぞれの思い思いの時間の使い方をしている。
ランチタイムが終われば、それぞれの持ち場に戻る。
大阪ディープ喫茶店は、同じ時間、同じ場所に、いろんな人が交差する。
そんじょそこらのテレビや小説より、ずっと面白い。
昭和レトロな雰囲気で、分煙なんか、どこ吹く風。
プカプカ、モワモワ、お構いなく、周りからの濃い煙に、帰宅するとタバコの匂いが服に付着している。
ダンス会場に行く時、そこでボリュームたっぷりな、お値段も昭和の良心的価格のランチを食べるのだが、、、。
今どき、分煙しない店など珍しいからか、はたまた、良心価格のせいか、あるいは、立地の良さからか、いつもその店は混み混みである。
どう見ても時が逆流したような店。
古い、ビニール椅子に脂っぽい手あかが、テカテカついたような、庶民的な風情。
高級志向の人は、行かないかも知れない。
その店では、もちろん周りに遠慮することなく、思いっきり、タバコをプカプカ吸う人も多く利用する。
サラリーマンもいるし、労働者、ブルーカラーも、子連れ主婦も高齢者も、老若男女で賑わっている。
と、長々説明。
そこでわたしが、とても驚き感じることがある。
喫茶店だから昼時は主にその店のオススメランチを食べるが、一人で来る人もいるし、おしゃべりしている人もいる。
で、近くから、おしゃべりが聞こえると、ある種のトーンには、わたしは耳ダンボになってしまう。
まず、声、発音。
わたしは生まれも育ちも国籍も日本なので、日本語や日本人の細かい特徴がよくわかる。
背中合わせなので、顔は見えないが、イントネーションや、話し方で、即座にその人の社会的属性が想像できる。
うわぁ〜、絶対にわたしとは、接点がない人だ!という人がいる。
(昨日のわたしの背後に座っていた女性)
そのダミ声の女性は、マイナス感情を吐き出すように、一方的に話していた。
まずは、状況説明、自分との関係。親族の話のようだ。
長々だらだらと一方的に聞かされる、親族でもなんでもない相手のことが気になった。
なぜなら、あんな話、関係ない人にとっては、なんの関係もなく、しかも不満を爆発させられてもはた迷惑なだけだ。
しかし、相手は、ほんの一言、二言だけ、合いの手を入れる。
わたしは二人の関係性を想像した。
あんな話に素直に付き合ってあげる相手とは?
ちらと見ると、背中合わせの女性の肩越しに、相手の肘から先が見えた。
腕と袖口から、60代前半ぐらいの男性だと推定した。
この、ダミ声の女性の夫ではない。(内容が、相手は知らないと思われる親族の話だから)
では恋人か?
肩から上だけの後ろ姿で想像する、ダミ声女性は50代後半〜60代か?
まあ、恋人でもあり得ないことはない。
男性が、女性に熱を入れているのだろう。でなけれな、おとなしくあんな話を延々と、しかも肯定スタンスで聞かない。
それにしても、ダミ声女性。
なんども振り返ってしまうほど、わたしとは接点も縁もないタイプ。
年齢だけは同世代と思われる。
場所が大阪市内のど真ん中、しかも、梅田とかではない、ちょっとディープな地域だからだろうか?
どうすれば、あんなに、オール・マイナス要素の掃き溜めみたいなキャラクターが形成されるのだろう。
どんな生き方を積み重ねると、あのようなテイストが醸し出されるのだろう。
マスコミで報道されたり、映画やドラマで見て想像する、犯罪関係者的ニュアンスが漂うイメージ。
もし、あの女性が、同じ地域に住むか、同じ職場にいるか、親族にいるか、だったりして、頻繁に関わりをもたなければならなかったり、利害関係があったりしたら、わたしはこころの病気になるだろう。
というぐらい、、、しかし、わたしが知っているのは、彼女の肩から上の後ろ姿と声と話し方、内容の一部だけである。
決め込み、決めつけが著しいが、だいたい予想は外れたことはない(と自分では思っている)。
(しかし、今までの経験からすると、思い込みは結構激しいようにも感じるが、感受性が強く、どんどん想像が膨らみ、早とちり傾向もあるように捉えられなくもないが。
後になって、なあんだ、思ったほどのことはなかった、ということは、ないことはない、、、
と、自分の間違いを認めたくないものだから、読みづらい文章表現「二重否定が続く」背景、原因、解説を見苦しく付け加える)
で。
なんと長い、まったく見ず知らずの、なんの接点もない彼女の悪口を書きまくったが、、、
驚いたことに、その話を対面で聞かされていた相手は、恋人ではなく、女性だった。(今の時代、同性の恋人かも知れないが)
おかしいなあ、、、腕や袖口イメージでは男性だったのだが、、、女性もある年齢を超えると中性を超えて、逆の性別に変化するのだろうか、、、。
そして、次に、その同性の相手が口を開いた。
今度も一方的にペラペラ状況説明。
その後、またまた一方的に意見、感情を延々と。(話の中身は、人間関係が絡む、職場、仕事の仕方について)
ダミ声女性は、一言も発せず。
この二人、かわりばんこに、感情の吐き出し合いをしているのか、、、。
道理で相手がしゃべっている間、もう一人の人は、なにも話さないはずだ。
相手が話し終わるのを待っている、順番待ちだったのか。
相手にとっては、全く興味のない話であっても、聞いてもらうとスッキリするのだろう。
わざわざ人に話す内容ではないと不思議ではあったが、内容よりも、話すこと自体に意味があるようだ。
気が晴れるんだろう。
わたしのブログと同じだ。
ランチタイム、お昼休みのひとときを、こころのリフレッシュに使う人々だった。
わたしは、同じ時間帯、彼女たちとは背中合わせで、スマホ端末の説明を受けていた。
どっちが有意義か、なんて比べる意味がない。
どちらも、それぞれの思い思いの時間の使い方をしている。
ランチタイムが終われば、それぞれの持ち場に戻る。
大阪ディープ喫茶店は、同じ時間、同じ場所に、いろんな人が交差する。
そんじょそこらのテレビや小説より、ずっと面白い。