蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

くたびれた〜

2022-08-09 | 日々のこと
疲れた〜。
子守り。 
早朝7:30〜21:30まで。
昼食、夕食、オヤツ付き。
孫、下2人は夜、保育所からのお迎え付き。
4人も預かると、ぐったり。 

趣味関係の人、Aさんから、「テキスト勉強できましたか?」と催促され、疲労はピークに。
Aさんは自分の全ての時間を自分に使える人。
わたしは、そうではない。
なので、趣味にかける熱意が不足しているかのごとく叱咤激励される、、、が、、、
わたしは、アナタ(Aさん)とは違うわけで。
無職の人は自由で結構ですねー、と、思わず皮肉のひとつも言いたくなる。(言わないけれど)
自分のことしかしなくていい人はいいですねー、と、憎まれ口のひとつも言いたくなる。(言わないけれど)

わたしは、子守りもするし、食事支度もするし、家事もする。
何にもしなくていい人は、ほんと、羨ましい〜、、、というか、ほんとは羨ましくはないのだが。

自分以外のことに費やす時間は、それも愛する時間なのだ。
自分が大切にしているもの、コトにかける、情熱の発露でもある。
楽しいばかりではなくても、疲労を伴っても、自分が能動的に選択して(選び取り)行動している。
きっと生き甲斐のひとつなんだろう。
生き甲斐を維持するのには手間暇や苦労も伴う。
そういうもの、コトは、人それぞれ。
関わり方は、人それぞれ。温度差はある。

役に立てる時に役に立っておかないと、全くわたしは役に立つ機会がない。
なので、求められたら動く。
求められなければ、動かない。
しんどくても、結果的に意図せず孫たちと距離が縮まることがある。
孫と仲良くなろうとして頑張って愛そうと躍起になるのではなく、お手伝いとして頑張ったら、たまたま孫たちと思い出時間を作ることになった、、、というかんじ。

目的と結果。
わたしは結構、その順序を気にする。
例えば、好かれようとして頑張るのではなく、頑張ったら結果的に好かれた、のような。
人に親切にするのは感謝されたいから、とかではなく。
評価を得ようとするのが目的ではなく、自分で決めて行動したら、たまたまそれが後になって評価された、、、のような。
自分軸で動いたら、周りが動いた、、、のような。
周りに影響を与えようとして意図して動くのではなく、信念を持って行動したら、知らないところで影響を受ける人がいた、みたいな。

他人にこうしてほしい、と望むのではなく、自分がしたいことをしていたら(したくないことでも我慢して信念をもって行動していたら)、結果的に他人を動かすことになった、事態が動いた、、、のような。

さっきから同じようなことを何度も重複して書いている。(言いたいことが、ちゃんと表現できていないような、もどかしさ故)
なにしろ、わたしは自分軸でしか動かないことにしている。

人生も終わりのほうに差し掛かると、自分は何がしたいのか、何がしたくないのか、自ずと分かってくる。
いつまで経っても、いったい自分は何がしたいのかわからない、という人もいる。
それこそ、人それぞれ。
強制されて、ではなく、自主的に、自発的に、自分がしたいことが出来ることは、わたしは最高に幸せを感じる。
自分が何をしたいのか、自覚していなければ、幸せも感じられないと思う。
だが、命令されたり、断りきれずに、だとしても、偶然、予期しない道が拓けることもある。
未知のアクシデントが自分を導くこともある。
自分を楽しませるのは自分。

少々シンドイことでも、自分が決めて選んで能動的に行動する、そういう分野を持っていること、時間をかけて作り上げてきた自分。
生き甲斐とは、、、楽しいだけではなく、苦しみもあるから、より深く強くなる。
かと言って、しがみつく、執着は良くない。
その時点、その時点で燃焼できるのが理想だ。
が、生身の人間には、なかなかサジ加減が難しい。