じわじわ効いて来た。
ボディブローが。
わたしが人生の核、芯のひとつにしている、「家族」。
別にあえて感謝はしてもらわなくてもいいから、こころを痛めるのは、酷評、非難。痛烈なコメント。
世の中のどんな人から何を言われても、直接、わたしには関係ない。
(当たり前だが、犯罪はダメ。当然、糾弾される)
だが、全てを全面的に否定されたわけではない。
一面、一部を鋭利にえぐり、グサグサと。
とは言え、立ち直れないわけではない。
ちょっと立ち止まろう、というか、立ち止まらざるを得ない。
自分と対峙し、見直す良い機会だ。
ChatGPT は、悩みを抱え投げかける相談者が自分である限り、自分が引き出したい答えに辿り着くまで、延々と質問し続けることだろう。
だが、他者が見たわたしの側面。
わたしはそれに気づかなかったわけではない。
自分が1番よく知っている。
大丈夫、オッケーだろうと自分で自分のことを思っていたが、ダメみたい。甘い自己ジャッジ。
修正しなけばならない。
企業の決算報告、下方修正みたいなものか。
マイナス20点ぐらいかと見なしていたが、マイナス90点ぐらいだった。
まだ少し点数が残っているので、倒れて立ち上がれないわけではない。
修正、修繕して、また、やっていく。
手当てをしよう。
しぶとい。メンタル、強い。
日頃は水面下にあって、口に出さなくてはわからないことも、何かの事態がキッカケになって表面に現れることがある。
今回の出来事は、わたしの今後の人生の大きな舵切りとなった。
キッカケが、夫ではなく、子供たちだったというのが、複雑な心境だ。
わたしも、夫も、似たり寄ったりの甘々夫婦、あんまり何も考えずに今日まで来ている。
平和な道のり。
子供たちも、平和な道のりを歩いているが、現在、令和に生き、これからを生き抜くためには、シビアな見識、視野が必要だ。
我々のような昭和世代には感じないことでも、問題となるようなことは、時代と共に浮き出て来る。
老兵は、老害になる前に、美しく、、、は無理としても、潔く、将来を見据え、未来のために、立つ鳥跡を濁さず。
世代交代である。
老兵は、自らを清め、未来に託すべき。
そんな、いかにも力強い現役みたいな上から目線のことを言っていても、やがてすぐ、自立力さえ失って行く。
与える側、与えられる側。
その考えが間違っていた。
与えない、与えられない、お互い、自立し共存共栄を。
成人した親子間では、自立。依存しない。
親は衰えバランスが乱れる時も来るだろうが、その時はまた支え合い、バトンタッチ。
夫婦は両輪とは、よく言ったものだ。
横並び、横のつながり。
親や子供は縦のつながり。
世代間で順次スライドして時は進む。
負うた子に教えられる。
成長を喜びに感じる。と同時に、自分は出る幕は終わり。
もうダシが出ないダシ殻状態の我々2人夫婦、労り合って慰め合って、協力して生きて行こう。
て言っても、表面上の行動は、全く変わらないと思うけど。(ブログも)
自分に向けての自分だけの、所信表明である。