蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

涙が出ないお葬式

2025-02-19 | 日々のこと
お葬式に参列した。
平日だったこともあり、家族葬とは言え、がら〜ん。
喪主の姉妹と、参列者の我々姉妹2人以外には誰も知らない人ばかり。
血縁者は、この4人だけ。
参列者は、我々を入れて10人ぐらい?

次世代参列者は、ゼロ。
喪主姉妹が1番若いぐらいか。
平日なので、仕事、学校があるのだろう。
前日のお通夜は日曜日だったこともあり、子供や孫たちも参列していると想像するが。
しかしまあ寂しいものだ。

しかも、故人、、、遺影の写真、、、かつての知っている顔ではない。
棺、最後のご対面、、、ご本人、、、全然、面影がない。
まるで、テレビか映画の一場面のよう。
当然ながら、感情移入できない。
生きている間に、数回しか会ったことがないと、いくら血の繋がりがあっても、こんな感じになるのか。

私が幼い頃、数回、葬式や法要で顔を見た。
それから学生時代に1回、社会人になってから3〜4回、最後は今回の告別式本人(故人)の配偶者のお葬式。
火葬場に向かうバスの中で隣になり、お孫さんの自慢話を楽しそうにしてくれた。
10年以上前か?
顔を合わせたのは、生涯で通算、10回ぐらいか??
そう言えば、わたしが仕事をし始めた頃、1度お会いして、仕事関係で協力してもらった。
わたしが幼い頃と、成長してからと、近年と、ポイント、ポイントで顔を見たが、ラストは、最後に生きて会った時と顔が変わっていた。
喪主姉妹は、彼女たちが子供の頃とイメージは変わらなかった。

故人は、私が知らない顔になってしまった。
魂がもぬけの殻になって、顔は入れ物に過ぎなくなったからだろうか。
一つの時代が終わった。
次世代の顔を見ることが出来なかったせいもあり、終焉を実感した。


※写真は、昨年、秋に訪れた旧山形県庁舎。
(本文と関係ありません)
現在の山形県が成立した翌年、1877年(明治10年)に建築されたが、1911年(明治44年)年の山形大火で焼失。
1913年から復興建築に着手、1916年に完成したのが現在の建物。
写真チョイスは、個人的趣味に走ってます。


「野生の島のロズ」を観た

2025-02-19 | 映画
映画を見た。
「野生の島のロズ」
生まれて初めて見たものを親だと思う雁。
その卵を孵化させたため、ひな鳥に親だと思われてしまったロボットのストーリー。
声優は、綾瀬はるか、柄本佑。
なぜか、ずーーーっと涙がポロポロ、ハンカチが、ぐっしょりになった。
上映中、3分の2ぐらいの時間、涙が流れ落ちていた。
平日昼間ということもあってか、映画館のお客さんは、男性1人と、女性はわたし以外にもう1人だけ。
合計3人。ほぼ貸切状態。
男性には興味ない内容だと思うのに、3分の1が男性!(元々、トータル絶対数は少ないけれど)
しかも彼はまだ40歳前後?中高年にはなっていないような年齢だった。

他の2人よりわたしは、1番後ろの席だったため、彼らからはわたしの姿、様子、気配がわからなくてよかった。
なぜなら、、、わたしの手の動きがおかしい、、、
ずっとハンカチを顔のところに持っていったり、顎を拭いたり、、、頬をつたい流れ落ちる涙の処理のため、落ち着きがない。
タオルハンカチなのに、ショボショボになり、上映終了後、トイレに行って顔を見ると、瞼が腫れぼったかった。
が、それは、元々のわたしの顔かも、、、。

それはいいとして。
わたしが、なぜ、こんなに泣けるかというと、、、
登場するのは動物とロボットという、人間は出てこないところ。
ヘタに人間で実写版にすると、リアリティを追求するとなんだか嘘っぽくなる。
動物とロボットで、しかもアニメ!!
生身の人間ではないところ、生々しい変な熱さが無いところに、無機質感がかえってリアルな想像力を掻き立てる。
ハナから、あり得ない現実味がないストーリーだからこそ、感情や好み、思い込みや偏見、思考に邪魔されない。
ところどころ「この展開、あり得ないわ」とツッコミを入れたりするものの、それはそれとして余裕で楽しめ、その一方で雑念が削ぎ落とされる。
自分が持つ主観とは違う頭脳ゾーンに、真っ直ぐ素直に、内容が入って来る。
とは言え、あり得ないこともないかも知れない。

親の役割を既に終えたわたしには、刺さる、刺さる、、、グサグサ、グサグサ。
子育ては義務観だけでは出来ない。
愛がないと。
親に対しても感謝の念が生まれる。
頭で考えるのではなく、こころから。
子供を自立させるのが親の勤め。
確かに確かに確かに。
子供は自立させたが、かく言うわたしは、自立しているのだろうか。

またもや自問自答に移る。
涙があれだけ出たということは、心身に良かった。
涙を流すのはストレス解消になるらしい。
だが、大量すぎる。涙腺、故障。修理不可能。
きっと心身が泣くことを欲していたのだろう。

帰りは雪雨が混じりかけていた中、早足ウォーキングで自宅に向かった。