モテたい、有名になりたい、名声を得たい、お金持ちになりたい、、、
そう憧れ、願うのは悪いことではない。
モチベーション、活力の元。
好きな酒が飲みたい、好物が食べたい、好きな人の顔が見たい、、、
これも良い。
現実で叶わない場合、TV越し、インターネット越し、スクリーン越しでも良い。
食べ物ぐらいは、無茶を言わなければ現実的に実現可能だろう。
病気で制限されていたら厳しいが。
夢、要望の中身がどんどん変わっていく。
アップデートされる。
(わたしの場合、削ぎ落とされていく)
要望が叶ったら、引き続き、叶い続けることを願う。
これは普通だ。ランクアップしたくなるかも知れない。
山の高みに上がり、頂上から景色を見てみたい。
これは自然な欲求だろう。
山からの光景をしばし眺めた後は、下山が待っている。
せっかく苦しい思いをして登って来たのに、また再び苦しい下山をしなければならない。
頂上で終わりなら良いけれど。
でも、山は色々たくさんある。
また登ればいい。
登らなくてもいい。
登れなくなれば、自室で山の番組でも観ればよい。
登れなくなったら、山にも関心はなくなるかも知れないけれど。
やったことがないこと、味わったことがないことを体験してみたいと思うのは自然だ。
やったことがあるものは、興味が失せる場合もあるし、さらに興味が増す場合もある。
常にやりたいことがあるのが、生きている証拠みたいなものか。
情熱があるか、ないか。
それがどうしたの?
だから何なの?
と、低温になるのは、それはそれで省エネモードではあるが。
湧き続ける情熱を提供してくれるものに、楽してぶら下がっている、わたし。
エネルギーが中途半端で、自分から自発的に、自家発電できない。
最低限度の灯火で生きている。
ちなみに。
いかに普段、運動していないか、痛感する事態が起こった。
腹筋あたりと、臀部あたり、太ももの後ろあたりが筋肉痛。
なぜだろう???
と、思いあたることを振り返り辿る、、、
痛みを感じ始めた前日に、張り切って頑張って、たくさん踊ったからかなあ、、、と、想像していたのだが、、、
どうやら違うような気がする。
今週あたまに参列した告別式。
ぎゅうぎゅうに締め付けられた衣服に身を包み、姿勢を意識して、びしっと背筋を真っ直ぐにして座っていた。
1時間にも満たない時間なのに、あれが、普段使っていない筋肉に負荷をかけたのではないだろうか。
そんな気がしてきた。
背筋を伸ばすのは、良い運動になるようだ。
家でTVを観ながらでも出来そうだが、なかなか出来ない、、、。
気合いが足りない。
腹筋が、今もチラリチクリと痛む。
だが、姿勢を正して座っていたからだとは情けなくて思いたくない、、、やはり、ダンスのせいもある、、、と思いたい。
等身大の自分には目を背け、自分への期待、過大評価。
どっちにしても、筋肉痛が現れるのに時間がかかるのは、はっきりした老化現象だ。