蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

他人によく思われたい

2018-03-14 | 趣味
最近、良い子ぶりっこの傾向がある、わたし。
行きつけのSNSでも、コメントには、まるまる思っていること全てを書かなくなった。
書いていることは本当なのだが、言いたいことは別に隠されていることがある。
わざわざ書かない。
リード導入部で終わっていたりする。

コメントにかこつけて、自分の憂さ晴らしだったり、裏自慢だったり、怨み節だったり、妬みだったりを吐き出したいのだが、あえて書かない。
ほう、それは素晴らしいですね、実はわたしも、、、、と、延々、自慢話を書き連ねる人もいる。
優れた者同士なら、分かり合えると錯覚するのだろうけれど。
なんか、臭うし、読む人は優れた人ばかりでもないだろうし。
自慢したくて、ウズウズしているのは、わかるが。
他人の抱く優越感に対して、劣等感がある人は敏感に嗅ぎつける。

なので、吐き出してスッキリする自己満足よりも、行きつけSNSでのわたしの保身、品位を保つほうが勝っている。
自分の評価を気にするというわけだ。
SNSは、社会の縮図だと感じる。

で、上澄みの美しい上側だけを行きつけSNSで出し、下に沈んだ醜い部分を自分のブログでさらけ出し、バランスを取っている。
蝶ブログは、生ゴミ処理ブログなのか?
生々しい汚らしいものを吐き出す。
といっても、吐き出したものの、非公開にしているものも結構ある。
やはり、いくら匿名性を享受しているからと言って、自分の暗闇を公にしたところで、余計に救われない。

時の人。大臣にも「辞める美学」があるようだ。
(が、しがみつく大臣もいる)
わたしの自分だけの美学は、全てをさらさない、全てを出し切らない、見かけより、中味が多い、濃い路線。
少し手前で止める。ピーク絶頂期よりは、絶頂期手前にやめる。
絶頂期で止めるのがベストだが、誰しも、どこがピークだなんて、わからない。
わかれば苦労はない。
惜しまれてやめる、この世を去るのが理想だが、そんなに上手くいかないのが世の常だ。

わたしの美学は、控えめ、やり過ぎないことである。