蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

マダムの驕り

2018-03-23 | 趣味
せっかく閲覧数が順調な数を保っているのに、多くの人に受け入れられそうな無難なものではない、自分が書きたいことがムクムク出てきた。
守りとは逆のテイストの、ムクムクの思い。
もともと自分のためのブログなので、せっかく高めをキープしていた閲覧数が下がっても、まあよい。しかたない。
あっさり。


別SNSで、サロンやダンスパブでプロをチャーターして、踊る人がいる。
周りはみんなそうだ、という。
プロをチャーターする人もいる。
女性がそうやってプロに流れて行くから、下手な男性は、踊る相手の女性がいない。
プロと踊ると(プロに踊らせてもらうと)目が肥える。上質をお金で買って知ると、後戻りできないようだ。
男性向けにもプロを用意したらよいが、今のところプロ女性リボンちゃん(ダンスアテンダント)は、圧倒的に少ない。

社交ダンスは、男性はリード役で、女性はフォロー役となっている。
下手な女性の相手をするより、下手な男性の相手をするのは至難の技である。
しかも男性は大きくて力が強い。
リードする人が下手で間違ったリードをするにもかかわらず、女性ダンスアテンダントは、ちゃんとしたダンスを望まれる。

まあ、それはよいとして、、、
サロンやチャーターにお金がかかる女性。
趣味にはお金がかかりますのよ、オーホッホッホ、と、札束でプロの頬をピシパシ。
それがあたかも、セレブでお金持ちの特権であるかのような驕りを感じる。
そういうことをしても何も感じていない札束女性は、頭がすでに半分天国へ行っている。

しみったれた、下手な素人男性に、しかも偉そうに言われて合わせて踊るぐらいなら、プロと踊る。
それはわからなくはない。
素人に相手にされなくて、お金でプロを買っているのに、「お金持ちマダムは、素人なんか相手にしないのよ、オーホッホッホ」
なんか違うんじゃない?

もし目立つようなら、こっそりすればよいのに、こちらは聞きもしないのに、サロンだ、チャーターだと自慢する。
彼女たちは決して上手くはない。
そこのところを自覚しないで、素人に選んでもらえず、やむなくお金で踊ってもらっている側面は、まるでそんな事実は存在しないかのごとく。
ホストクラブよりお安いわ、と豪語する。

イマイチ女性でもお金を出せば一流のプロに踊ってもらえるし、レッスンも受けられる。
一流のプロと踊る段階で、女性も自動的に一流の仲間入りのつもりのようだ。
まあなんと、ハッピーマインド。
私はお金持ちだから、そういうことが出来る、一流と踊れる、と上から目線。
明らかに頭の構造がわたしとは違うので、話し合っても、説明しても、分かり合えないのは見え見えなので、近寄らない。

なのに、向こうからセレブマダムがいつも寄って来る。わざわざ自慢をしに来る。
やめてんか。
自慢なんぞ聞きたくない。
しかし、趣味にはお金がかかるのよ、お金がないなら無理をしないでね、と言われて、わたしはキレた。

分かってない人と話してもラチがあかないので、自分の考えを別SNSで公表した。
たぶん、自分のことではない、お金持ちなのだけど、気の毒な下手な女性のことだと思っていることだろう。

別のルートから、そのマダムの踊り能力をご丁寧にも、わたしに知らせてくる、ヒマ人がいる。
その人もかねてから、サロンマダムの振る舞いに批判的な感情を抱いていた。


お金の力を誇示するのは、自分に能力がないことを強調していることと同じだと思う。
一種の劣等感の裏返しなのだろう。
最初から一線を引いているので、どうってことはなかったが、最近、なんだか鼻について来た。
わたしは、来る者拒まず去る者追わず、がモットー。
そのマダムもわたしの考えに腹が立てば、もう寄り付かないだろう。
それでよい。

お金を武器に、実力がない分、かさ上げしているんだから、人目につかないよう、そっとすればよいものを、自慢げに言いふらしまわるのは、賢いとは思えない。
自分の能力の無さをアピールしているようなもの。
なぜ、それがその人がプラスに捉えられるのか、わからない。
お金が無い人は、残念ね、お気の毒ね、こんないい思いが出来なくて、と思っているようだが、こちらの見方は違う。
考え方に大きな開きがある。

自分の状況を、客観的に見れないのはなぜなんだろう?
非常に不思議である。
価値観がごそっと違うと、相手を理解できない。