蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

実行力パワーが少し足りない

2022-08-14 | 日々のこと
娘婿、急に仕事が入り、主要子守要員メンバーから脱会、離脱。
夫の実家にお盆でステイ中である。
家には、盆休みでじいちゃんもいるし、まあやっていけるか。
今は、長女と孫たちは近所周りの河原に散歩に出かけている。
一緒に行かないとだめかなあ、、、と腹をくくっていると(大袈裟)、家でスタンバイでオッケーとのこと。
川遊びは、絶対に危ないからね!!と、孫たちに言いきかせた。
水に浸かったらダメ!!と。

じゃあ、学校のプールは?
じゃあ、スイミングスクールは?
と、咄嗟に返された。
が、なんでもダメ!!と強く言っておいた。

何かあったら連絡ちょうだいね、と長女に言って見送った。
家を出てから10分程で、2番目孫が靴擦れが出来たからカットバンと保湿液、用意しておいてね、とLINEが来た。
水辺で遊ぶために作られたシューズを履いて行ったので、靴擦れが出来た模様。
行きに靴擦れが出来たら歩けないなあと心配する。
雲行きが怪しくなってきた。
外に干した洗濯物、雨が降ったら入れといて、とLINEあり。
途中、雨が降る。
慌てて部屋から飛び出す。

彼らは傘、持って行ってないのに、どうしよう?
雨シャワーを浴びて水遊び感覚なら、帰ってきてから着替えたらいいか、、、など、もやもやしたり、自分に言い聞かせたり。

着いて行ったら着いて行ったで自分が疲れ、着いて行かなかったら着いて行かないで心配して疲れ、どっちみち疲れて休憩にならない。
お天気雲行きも、晴れたり、曇ったり、にわか雨になったり、持ったり、また晴れたり。

しかし、束の間の静かな時間。
しばらくしたら、ごはん、ごはん、とまたまた騒がしくなる。

※写真は、慌ただしく出かけたあとの彼らの脱いだ服。
自然乾燥中。

お盆。こころの対話

2022-08-13 | 暮らし
お盆。
何度目になるだろう。
お盆の仏さんたちへのお給仕(お供え)、伝統メニューがある。
お迎え団子から始まって三食おやつ付き。
御膳、器、全て、江戸時代のからの朱塗り(漆塗り)もので、決まっている。
のではあるが、、、
プツンと糸が切れたように、伝統メニューを2018年を最後に、それから用意していない。
2019年は定められた器は使ったものの、メニューは手抜き。
2021年は初盆で大変だった。
振り回されていた時代、時期がウソのよう。
こんなに、いとも簡単に伝統行事をパタンと中断してしまってもよいのだろうか。

今は、、、よい、、、と思っている。
また復活する日も来るかも知れない。
司令塔は、わたし。総指揮官は、わたし。
誰も口出しする人も、文句を言う人もいない。
ある日、頂点、トップの座に躍り出た。
なんの策も練らず、たんなるトコロテン方式。
なんと気持ちの良いことか。
見える景色は周りには何もない。
高い聳え立つ山の頂上に立ち、見えるのは雲か霞。
残念ながら、人の姿はない。
モンゴルの偉いお坊さんになったような気分。
権力闘争や跡目争いもない。
誰もこんなポジション、望まないし、人気もないし、実効性や実用性もないし、権力そのものもない。
美味しいウマミはゼロ。
こんな魅力のないポジションはない。
が、眼の上のタンコブがない、素晴らしい絶景。
この絶景に、山から落っこちても、誰にも影響はないだろう。
ただし、援助隊、救助隊も気づかない。

ババ抜き(トランプのゲーム)のババ、今度は誰が持つ?
ハンカチ落としのハンカチ、誰の後ろに落とされる?

こんな思いで、長年わたしがいたことを誰が知っているだろう?
じつにけしからん思いである。
が、わたしは宗教に振り回されてきた。
重い、深い、弾圧とはまた全く違う、、、ある意味、信仰の強制。
今、話題の宗教二世とはまた別もの。
全く意味合いが異なるのではあるが、微妙に共通点もある。

それは嫁ぎ先の宗教に染まらなければならないこと。
嫁ぎ先の先祖を敬わなければならない。
見たことも聞いたこともない、実質的アカの他人の皆皆様に、延々と祈りを捧げなければならない。
それは、「女偏(へん)に家」と書いて「嫁」と読む。
字の如く。そのまんま。
宗教行事は絶対的力を持つ。
それを執り行うことは、スゴイことなのだ。
伊勢神宮や平安神宮の宮司さんのようなもの?(ちょっと違うか、明らかに違うな、、、)

なにしろ、全エネルギーと知恵と労力と時間とお金をかけて、義務を遂行しなければならない。
宗派が違っても。信仰する神様が違っても。
旧統一教会などは、結婚までさせられるのだから、驚きを通り越して、完全に意味不明の洗脳をさせられる。
そこまで顕著なわかりやすい過激なことはないが、カテゴリー分けすると、宗教グループに属する。

洗脳されきっていない、中途半端な脳で、冠婚葬祭を執り行う。
麻酔をせずに外科手術を受けるようなものだ。
わたしは、かなり苦しんできた。

最初の頃は、はいはい、と素直に従い、なんとも思わなかったが、次第に眠っていた自分の考えが段々現れてきた。
葛藤。
だが、わたしも日本人に多い、やんわり仏教。
三々九度の盃をウエディングドレスで行う。
神式で、チャペルではなかったが、どっちでもたいして変わりない。
神聖なクリスマスイブはターキーでお祝い?!(意味もわからず、イメージ戦略に毒されている)

呪縛が解けた。


ある次男さん、Aさんのお宅。
墓地を買ったらしいが墓石はまだ。
その墓に眠る予定の人々もまだ元気で、亡くなった人はだれもいない。
だが、子供に後々の負担を押し付けることになってしまい、悪いことをした、と後悔されている。
誰もいない墓。
これからも守る人もいない墓。
これは、墓なのか?
樹木墓にしたらよかったかな、と仰る次男さん、Aさん。
この場合、宗教は?
先祖を祀るのは長男の役目。
たまたま長男に生まれたから、その先祖祀りの役割が回ってきた。
たまたま回避できた人もいる。

そう考えると(どう考える?)
たまたま長男と結婚したわたし。
信仰もしていない祀りごとの係を押し付けられている。
が、先輩嫁である姑たちがやっていた。
さあ、自分の番。
いきなり手を離す。
バトンは、谷底へコロコロ落下。

今は次世代の嫁もいない。
婿なら素晴らしい人々が2人もいる。
が、バトンは渡さない。渡せない。
バトンは谷底へ。

息子はやがて谷底からバトンを拾ってくる日が来るのだろうか。
バトンを谷底に捨てたのは、わたしだけの責任ではない。
渡す相手が不在なのだ。

宗教心の押しつけ、祀りの義務、
夫のため、世間体のために渋々やっている。
樹木葬も商品化される時代。
次男さんなら飛び付ける。
重いものが、どしんと乗っかった長男の嫁は、なかなか一気に思い切った行動はできない。
で、またまた形骸化された行事を行うことになる。

しかし、、、
アタマの古いカチカチの親戚の中から、少しずつ古いしきたりを踏襲しない人が出始めた。
やったーーーっ!!
わたしは両手を挙げて大喜び。
夫はじつに残念そう。
あんなに大切にしていた絆、付き合いが疎かにされるなんて、と。
別に軽んじられているわけではない。
価値観の推移。
時代の波である。
自分の考え方を他の全員も同じようにしているのではないことを、皆さんの行動を通して徐々に知り始めた夫。

わたしは、徹底して、嫌われる勇気を駆使しまくった。
親戚一同、わたしのことは白い目で見ていることだろう。
いいの、いいの。
わたしの余生はわたしのもの。
親戚の皆さんのものではない。

仕事関係、友人関係で、年賀状のやり取りを辞退する人、
お葬式は家族葬にして日時を知らせてこない人、
法事を事後報告にする人、
もういろいろ出始めている。
少しずつ行動も変わり始めている。

自分がやりたければ、やればいい。
否定は全くしない。
だが、他者を巻き込むのは勘弁してほしい。

とかなんとか、既成事実として、古くからの家があるのでどうしようもない。
出来ることはする。
壊すことはしない。
今やっていることを最低限に縮小して、谷底に捨てるものと、小さい箱に入れる物を識別しておく。
大きなものは受け入れがたくても、小さなものなら、細い強いピアノ線のようなものなら、継承出来るのではないかと思う。
マインドの継承。
だが、強制や洗脳であってはならない。
人や自分を大切にする気持ちは、代々受け継がれてきた。

お盆。
仏前で自然に手を合わせると涙が流れた。
姑に対する感謝の気持ちが湧き出た。
これは宗教ではない。
人として、自然な流れを汲んだ気持ちだ。


頑張らない自由

2022-08-11 | 趣味
ぜひ書きたいことがある。
昨日アップした、体育会系の楽しい運動余生について。
益々、ヒートアップした、この体育会系の人物は、鬼軍曹と化した。

何十回と同じことをやらされ、
「違う!」「違う!」とダメ出しは延々と続く。
どこがどう違うのか。
わたしは示された見本と同じようにしている(つもり)。
1ヶ月ぐらい延々と同じことをしている。
1回目も100回目も変化、進歩なし。
耐久性能検査をしている機械のように、101回目に、わたしは壊れた。
「100回やっても500回やっても同じです!!」
被っていた帽子を床に叩きつけた瞬間である。
(帽子、被ってなかったけど)
その前の時間も、ずーっと怒鳴られっ放し。
何故、出来ない?
何故、そうする?
何故、こうしない?
何度、言ったらわかる?

わたしは、何故自分が怒られているのかわからない。
自分の何処が悪いのかわからない。
何しろ出来なくて、一方的にわたしが悪いようだ。
叱られ否定され続ける。
逆転することはあり得なく、こんなことが一生続く。
一方的にやられるだけの、こんな徒弟制度、令和の時代には合っていない。
教えてもらうなんてとんでもない、師匠の技を盗み見て身につけよ、とは昔の職人さん。
わたしは、甘々、甘〜い甘〜いキャラ。
いきなり崖から子供のライオンを突き落とす親ライオンのやり方には着いていけない。
せめてパラシュートが必要。
スパルタは拒絶反応。わたしは今時の若者風、今時の年寄り。
生きて行くには他に方法がないなら泣いてでもしがみつくだろうが、そんなことはない。ぱ〜っと手を放した。
楽しむためのことなのに、苦しんでいるのは本末転倒。
(「楽あれば苦あり」「苦は楽の種」、、、と、ことわざカルタが頭に浮かぶが、、、)
やめたっ!!やってられるか!
カルタを手のひらで、ぐちゃぐちゃに混ぜ返す。

親切に教えてくれる人は他にもわんさかいる。
お金を払えばプロが更に高度なノウハウを効率よく駆使してくれる。
多くの生徒を輩出してきたレッスンテクニックが研究し尽くされている。
歯を食いしばってでも、、、は、やめた。
そんなに噛んだら唇が痛い。

その後の反省会で、わかったこと、、、。
皆さん、ガンガン意見なり考えなりを主張していて、お互い負けてないバトルのしのぎ合いが継続されることによって、お互いが鋼のように心身の強度を増して行く。
心技体。体育会系のセオリー。
この話を聞いて、わたしは、無理!と瞬時に思った。
わたしはそういうキャラクターではない。
熱い夏の甲子園球児たちのような、燃える体育会系人間ではない。
学生時代から帰宅部で、本格的な体育会系クラブに身を置いたことはない。
やはり、住処、棲家は、人それぞれ適材適所、あると思う。

帰りの電車の中で、ポロポロ涙が流れた。
マスクの下は鼻水も。
マスクって便利だと心の底から思った。(感激するのは、そこ?)

家に帰って、また涙がはらはら流れた。
鼻水は今度は流しっ放しではなく、ちゃんと拭き取った。
こうやって少しずつ積み重ね、強くなり、、、だといいが、、、そんなのは世の中に横行する美談だ。
弱音を吐くのは、悪いことではない。
頑張らない自由だってある。


「わたし、つぶれるかも知れません」
と、鬼軍曹に伝えた。




慰め合う同年代

2022-08-10 | 趣味
毎日、暑い。
もうじきお盆、ああ、これまた暑い。
さらに法要を控え、もっともっと暑くるしい。

今、終戦関係のニュースや番組が多い。
こころを痛めている。
平和を願わない人はいない。

さて。
わたくし。
ある人とにこやかに話していて、
あとどれぐらい生きるつもり?と投げかけられた。
うーん、30年ぐらいかなあと。
あと30年、どうしよう?という流れになった。
もう少し伸びるかも知れない。
それはそれで、大変だ。

毎日、健康にいきましょう、と、その人とまとまりのない〆になった。
話していて、あらほんと、あと30年も?と意外に長いことにビックリ。
最後の5年を引いて、あと25年ぐらい、どうしよう??
と話しながら、趣味の運動を続けようね、と落ち着いた。
まだまだ毎日、新しい筋肉痛が起こる現状を嘆くと、筋肉は使わないと衰えるらしい。
だから筋肉痛はwelcome、嬉しい状態なんだそうな。
だがしかし、、、その人物にわたしはただ今、モーレツにシゴかれている。
バリバリ体育会系のその人に。
お手柔らかに、ほどほどに、とお願いしているのだが、容赦ない特訓は続く。
いつまで、どこまで、行くのか?
まあ運動系なので、悪の道には突き進まないことは確かだ。
頑張ろうね、と、励まし合っている。

他の、趣味運動仲間の年配の皆様とも、慰め合い、励まし合っている。
(労わり合いは、まだするに至らない)
皆さん、運動会場の姿と、帰宅時の姿は10歳ぐらいの差がある。
帰る時は、歳相応のお年寄りに。
シンデレラのドレスはボロ普段着に、馬車は、かぼちゃになってしまうかんじ?
魔法は解けてしまう。
ではあるが、魔法が効いている間にイキイキと運動に勤しむ。
悪くはない。
若さを保つために頑張るのではなく、楽しむために身体を動かす。
結果的に、心身の健康を保つ。
あまり健康オタクみたいな、目的にとらわれすぎるのは、しんどい。
タスクように課すのは疲れる。
自然がいい。
やりたいように、したいように。
mustマストでもなく、betterベターでもなく、as you like.
楽しく、ちゃらんぽらんに。
目指したり目標にしたりするのも張りがあって良いが、自然体がわたしは好き。
サボりのわたしは、自由解放の中で、遠い目標に向かっている。



くたびれた〜

2022-08-09 | 日々のこと
疲れた〜。
子守り。 
早朝7:30〜21:30まで。
昼食、夕食、オヤツ付き。
孫、下2人は夜、保育所からのお迎え付き。
4人も預かると、ぐったり。 

趣味関係の人、Aさんから、「テキスト勉強できましたか?」と催促され、疲労はピークに。
Aさんは自分の全ての時間を自分に使える人。
わたしは、そうではない。
なので、趣味にかける熱意が不足しているかのごとく叱咤激励される、、、が、、、
わたしは、アナタ(Aさん)とは違うわけで。
無職の人は自由で結構ですねー、と、思わず皮肉のひとつも言いたくなる。(言わないけれど)
自分のことしかしなくていい人はいいですねー、と、憎まれ口のひとつも言いたくなる。(言わないけれど)

わたしは、子守りもするし、食事支度もするし、家事もする。
何にもしなくていい人は、ほんと、羨ましい〜、、、というか、ほんとは羨ましくはないのだが。

自分以外のことに費やす時間は、それも愛する時間なのだ。
自分が大切にしているもの、コトにかける、情熱の発露でもある。
楽しいばかりではなくても、疲労を伴っても、自分が能動的に選択して(選び取り)行動している。
きっと生き甲斐のひとつなんだろう。
生き甲斐を維持するのには手間暇や苦労も伴う。
そういうもの、コトは、人それぞれ。
関わり方は、人それぞれ。温度差はある。

役に立てる時に役に立っておかないと、全くわたしは役に立つ機会がない。
なので、求められたら動く。
求められなければ、動かない。
しんどくても、結果的に意図せず孫たちと距離が縮まることがある。
孫と仲良くなろうとして頑張って愛そうと躍起になるのではなく、お手伝いとして頑張ったら、たまたま孫たちと思い出時間を作ることになった、、、というかんじ。

目的と結果。
わたしは結構、その順序を気にする。
例えば、好かれようとして頑張るのではなく、頑張ったら結果的に好かれた、のような。
人に親切にするのは感謝されたいから、とかではなく。
評価を得ようとするのが目的ではなく、自分で決めて行動したら、たまたまそれが後になって評価された、、、のような。
自分軸で動いたら、周りが動いた、、、のような。
周りに影響を与えようとして意図して動くのではなく、信念を持って行動したら、知らないところで影響を受ける人がいた、みたいな。

他人にこうしてほしい、と望むのではなく、自分がしたいことをしていたら(したくないことでも我慢して信念をもって行動していたら)、結果的に他人を動かすことになった、事態が動いた、、、のような。

さっきから同じようなことを何度も重複して書いている。(言いたいことが、ちゃんと表現できていないような、もどかしさ故)
なにしろ、わたしは自分軸でしか動かないことにしている。

人生も終わりのほうに差し掛かると、自分は何がしたいのか、何がしたくないのか、自ずと分かってくる。
いつまで経っても、いったい自分は何がしたいのかわからない、という人もいる。
それこそ、人それぞれ。
強制されて、ではなく、自主的に、自発的に、自分がしたいことが出来ることは、わたしは最高に幸せを感じる。
自分が何をしたいのか、自覚していなければ、幸せも感じられないと思う。
だが、命令されたり、断りきれずに、だとしても、偶然、予期しない道が拓けることもある。
未知のアクシデントが自分を導くこともある。
自分を楽しませるのは自分。

少々シンドイことでも、自分が決めて選んで能動的に行動する、そういう分野を持っていること、時間をかけて作り上げてきた自分。
生き甲斐とは、、、楽しいだけではなく、苦しみもあるから、より深く強くなる。
かと言って、しがみつく、執着は良くない。
その時点、その時点で燃焼できるのが理想だ。
が、生身の人間には、なかなかサジ加減が難しい。

誰もいない家

2022-08-06 | 思い出
わたしの母の実家。
わたしは今まで何回葬儀に参加しただろう。

参加した時系列に順を追ってみる。
祖父(母の父)、おじ(母の兄)、祖母(母の母)、おば(母の兄の妻)、いとこ(母の兄の長男)、さらに、いとこ(母の兄の次男)。6名。
結婚して家は出ているが、母の姉も。

これだけのたくさんの母の実家の人々や暮らしを知っている、、、にもかかわらず、消えた命に対して新しい命のなんと少ないことか。
少子高齢化どころか、無子高齢化である。

わたしが実際に訪れたり話したり飲食したりして知っている母の実家。
母の両親と共に、母の兄(長男)夫婦には3人の元気な男の子たちが一つ屋根の下に暮らしていた。
一人亡くなり、二人亡くなり、、、年齢とともにこの世を去る。
そして誰もいなくなった。
明るく生き生きしていた7人家族は、時と共にいなくなった。

この中で一人だけ末子の男の子は、まだ親が存命の頃、早々に婿に行った。
3番目末っ子男子なので、大きな家から婿養子の口がかかった。
彼は婿に行った先で、子供や孫が生まれている。
今、仕事が休みの日には息子とともに、誰もいなくなった自分の実家や実家関係の諸々の管理に通っている。
婿に行った先と、自分の実家、両方見ることになり、大変だろうけれど。
また、手助けしてくれる息子さんもまだ若いのに仕事の合間を縫って頑張り、なかなか親の教育が行き届いているようで感心する。

全国でこんな家はたくさんあるだろう。
実家を見るのは、婿に行った息子に限らず、嫁に行った娘さんだったりする。
というか、娘さんのほうが圧倒的に多いだろう。

母の実家、今も手が入りキレイにしてある。
幼い頃、母の実家にはお正月や法事などで何回も訪れたことがある。
半世紀以上経っても未だにしっかり間取りや雰囲気を覚えている。

作業場、農具小屋、前庭、敷地内菜園、蔵、母屋、せんだい(庭)、、、
土間にある台所、浴室、トイレ、、、水回りは少し切り離されている。
台所とは土間続きの別室の食堂。
仏間は田の字型に続く畳部屋にあり、法事の時などは、襖を取り外し、何部屋か続けて開放的に広々使う。
田舎の伝統的な美しい日本家屋である。
どの家もそういった造り、体裁、配置になっている。

母には2人の兄以外に、10歳上の姉と、10歳下の妹がいる。
母を含め女性は3人とも結婚して家を出ている。
母の妹は、親が大反対した恋愛結婚をした。
認めてもらえず実家の敷居をまたがせてもらえなかった。
だが、子供が2人出来て、ある程度大きくなってからやっと出入りを許された。
しかし、酒豪揃いの嫁の実家は、飲まないお婿さんには肩身も狭く、いつも叔母の夫は、わたしたちの女子供テーブルに静かに小さくなって座っていた。
叔母は理数系女性で職業的にも経済的にも自立し、専業主婦ではなかった。
キビキビした現代風の女性だった。
母のようなダンプカー的な胆っ玉だけで押し通すタイプではなく、ちゃんとした専門分野を持っていた。
そのせいかどうかは別として、旦那さんは優しい雰囲気を漂わせ、静かで大人しかった。
ヒモ的な要素があるのかしらんとわたしは勝手に思っていたが、後年、聞くところによると、ちゃんとしたマトモな職業を持つ、ちゃんとした社会人だった。

と、話は逸れている。

母の実家の思い出話。
幼い頃から見ている母の実家ではあるが、誰も居なくなった今も、外から見るとキレイに整っている。
少し前に、その前庭でいとこ(次男)に会ったが、整然としていた。
その時は大きな犬を飼っていて、家(敷地内)は整えられていた。
几帳面な性格がうかがい知れた。
あのいとこも、もういない、、、。
一人一人、いなくなる。

が、まだ切実ではない。
70歳ぐらいは、第1期さよなら期だ。
まだ第2期も第3期もある。
そして誰もいなくなった、、、というにはまだ時間は残っている。
少なくともわたし自身の家庭では。


夜道

2022-08-05 | 時事&世の中
一昨日は、人身事故に振り回された。
事故が起きてから、Twitterなどで皆さんの写真や情報がすぐあがってきて、状況を把握できた。
が、何時何分に復旧するのかは、JRのみが知ることなので、情報はリアルタイムでは外の一般の皆さんからは得られなかった。

今日、時間を摺り合わせてみると、事故が起こった瞬間の時間には、わたしはその駅の直近の私鉄駅を私鉄電車で通っていた。
JRと私鉄の違いではあるが、それらの駅は至近距離にあり、ニアミスしていた。

それにしてもあんな近い地域で、、、。
あのJRの路線は、その日は、前回の事故から1日あけて、なんと3日目、らしい。
毎日連続ではないものの、1日置き。
何かに呼ばれたのか?
作業をする係の方々、仕事とは言え、慣れているといっても酷暑の中、ご苦労様である。
事故当人に対して「被害者」という表現が使われていたものもあったが、被害者は本人以外の人々、乗客、乗員の皆さまではないのだろうか。
とっさの魔の瞬間に襲われると、じっくり色々考え慎重に行動するわけではないと思われるけれど。
背景はおそらく同情の余地のあるものだと想像できるので、遺されたご遺族のこともあるし、うかつなことは言えない。
(電車が動かず大変な目に遭った一昨日から時間が経つと)、皆さんの傷が癒えることを願うばかりだ。


弱肉強食の世の中、強い人も弱い人もいる。
互助、助け合ったり、共存共栄したり。
健康な人や病気の人、ハンディのある人、ない人、優秀な人、普通の人、凶暴な人、素行の良い人、悪い人、成功をおさめる人、犯罪を犯す人、被害に遭う人、恵まれている人、恵まれてない人、運がいい人、悪い人、努力する人、しない人、メンタルが強い人、弱い人、、、
努力の度合いが違うこともある。
災害に見舞われたりすると、努力がどうとか言えない無力感に襲われると想像する。
全部まとめて色んな人が混じって同じところで生活しているとするとカオス、混沌となる。
長い目で見ると人々の思いや行動は蓄積され、同じような人が集まる傾向があり、層を作る。

こころに関しては、昨今は、とびきりナイーブな問題となっている。
スパルタ教育は、横並び教育、ゆとり教育に移り、体罰、しごきなどは教育において学校では許されない。
(自衛隊や警察などでは厳しい訓練が行われているようだが、身内や知人にそういう関係者がいないわたしが直接、実態を垣間見ることはできない)
軍国主義だった時代や、さらに過去に遡り、封建時代などとは当然隔世の感がある。
今はインターネットの時代でもあり、時代はものすごいスピードで進んでいる。
この現代に思想については自由かと思いきや、そうではないことを知ると驚愕する。
たんに頭の中で考えるだけだったり、仲間と話し合ったり、考えを公開したり、情報交換したりするだけなら罪にはならないようだが、実際に行動に移すとなると、行動の内容によっては犯罪になる。
たとえ純粋な民主化運動であっても、国によっては国家反逆罪となり、若い命が奪われる。

今回の阿部さんの事件で国中で、さすがに衝撃を受けて揺れた。
しかし、あれが、襲撃されたのが演説中の阿部さんではなく、アパートに住む隣の無職の高齢住民同士の事件だとしたら、、、?
あるいは、勤務先の名もない元同僚、元上司だとしたら、、、?
原因や背景を深く追求されることもなく、忘れ去られる日常の多くのよくある事件の一つになったかも知れない。
もちろん、阿部さんの事件を肯定する気持ちも擁護する考えも全くない。
志し途中、凶弾に倒れた阿部さんに、こころからご冥福をお祈りする気持ちには変わりない。
だが、ターゲット、タイミングとしては、犯人はそこまで意図しなかったかも知れないが、最大の影響を与えた。
社会の目に見えにくい綻び、ほつれが一気に浮上したかたちになった。

社会には闇が存在する。
どんな豊かな社会にも。
その闇とどう関わるか、どう関わらないかは、個人個人の意識に依るところが大きい。
見て見ぬふりをする、なかったことにする、というわけにはいかない。
栄光と挫折が表裏一体であるように。
ものごとには、光があれば闇がある。
光側の人、闇側の人、どちらも行ったり来たりする人、色々だ。
夜道を歩く時は、見えない闇があることをこころに留めて歩かなければいけない。





心労

2022-08-03 | 日々のこと
電車が止まっている。
待ち時間が延々と続き、いつ運転再開されるかもわからない。
段取りが狂い、激しく不便、迷惑。
長々長々と待ち時間。
イライラを通り越して疲労困憊。
他の皆さんも電話でやり取りする声が荒くなる。

人身事故である。
おそらく本人が故意に起こしたものだろう。

多くの乗客に迷惑をかけている。
何万人の足に影響を与えているのか。
だが、こんなことは毎日、どこでも起こっているのだろう。
が、いざ、巻き込まれると文字通り、他人事ではない。

2時間近く駅で待って、やっと動き始めた。
動く電車に乗り込み、やれやれと思っていたが、まもなく信号停止でまたまた待ち時間。
次に停まる駅を目前にして、「駅に前の電車が停車しています」と車内アナウンス。
いつ動くともわからない、、、また不安になる。
ずっとこの調子。
目的地に到着するまで落ち着けない。

※ちなみに、写真の電車と記事は無関係です。

母が作る嫌いな料理

2022-08-02 | 思い出
日曜の夜は、わたしは唐揚げ屋さんになった。
量は1300gと、さほど多くはないが、揚げ続けると唐揚げ屋さんの気分を味わった。
ずっと揚げ続けるのは、キッチンにも自分にも油が回る。

不思議なのは、孫たちが揚げているところを見たがることだ。
「油が跳ねて危ないから近寄らないで」と何度言っても近寄って来る。
「離れて!」とキツく言うと、わざわざ食堂から椅子を運び込み、それに乗って遠巻きに見学している。
なんで見たいのか、よくわからないが、見たいのだろう。
2歳女児が近寄ってくると、もうお手上げ。
全力で怖い顔をして遠ざける。
すでに作っておいた、お惣菜を大皿に盛り付けて流し台横の調理台に置いていたら、彼女は背伸びをして手を伸ばして大皿の端っこを掴もうとする。
「ああ〜、だめだめ、だめよ〜」と、大皿を2歳児の手の届かない炊飯器の上に不安定ながら置き替える。
蓋がカーブしている炊飯器の上なんかに置いて、ひっくり返したらどうする気?わたし。
で、また違う置き場所をお皿を持ったまま、うろうろ探す。
料理どころではない。

と、唐揚げ屋さんをしていたせいで、一個たりとも食べる気がせず。
おかげで、翌朝はまあなんと体重減少だこと。
当然の結果なのだが、少し嬉しかった自分もどうだか。

唐揚げは、キッチンがべとべとになるし、食器棚や中に入っている食器までべとべとする。
そのせいもあり、娘一家は自宅では揚げ物はせず、揚げ物はいつもうち(親宅、実家)。
とほほ、、、ではあるが、「おばあちゃんちの揚げ物」と、ほんの少しでも記憶に残ればいいかなあと。

ちなみに、長女は、育った実家(親元、うち)では、いつも夏はソウメン、冬はおでん、だったので、うんざりして大嫌いだそうだ。
おでんは、時間がかかるのに、ケシカラン。
それで長女宅では、ソーメンやおでんが全然食卓に上がらないせいで、うちでは大人気。
しかしながら、そんなに長女にソーメンとおでんを嫌いにさせたとは、、、かと言って、わたしは別に反省はしていない。

まだ田舎に住んでいた、わたしが小学生にもなるかならないかの幼い頃、お腹が空いたわたしたち姉妹は、姉の提案で、バターに砂糖を振りかけて、こっそりオヤツとして食べていた。
ちょっと塩が効いたバターが砂糖の甘さと口の中で混ざって溶けて、とても美味しかった。
これは、お菓子、スイーツの原点かも。
というより、原材料そのもの。手を加えられていない。

わたしがもう少し大きくなって中学生ぐらいだった頃、母に食事メニューについて不満を言ったところ、
「望みすぎ。ええかげんにしとき」とたしなめられた。
なるほどと、すんなり納得した。
2歳上の姉が皆んなの不満をカバーするかのごとく、美味しい手作りミートソースのスパゲッティだの、ブラウンルーから手作りしたビーフシチューだのを作ってくれて、とても感動もので喜んで食べた。
父は父で、近所の昔ながらの洋食屋さんからビーフカツレツやビーフカツカレーを時折り出前注文してくれて、それはそれはプロの味を堪能でき、泣くほど(大袈裟)感激した。
成長期でもあったせいで、それらはとびきり美味に感じた。

長女に、「おかあさんの『母の思い出の料理、味』は何?」と問われ、うーーん、としばし考え込んだ。
母の失敗作や嫌いなメニューは即座に浮かぶものの、美味しかった料理は思いつかない。
それは、母が自分好みの味、材料で料理をし、子供の口、好みを無視していたからに他ならない。
子供の好きなものを作る、などということはなく、自分が食べたいものを作る母。
自分中心主義。ブレない。
それはそれで、一本、筋が通っている。
が、、、。

祖母は、わたしたち子供(孫)の好きな料理も作ってくれた。
これらは思い出に残る。
結局、成長期にこころに残る食べ物は、祖母の料理と姉の作ってくれた料理と、父が取ってくれた洋食屋さんメニューと、最後に、母の(子供の口に合わなかった)マズイ料理。
母、かわいそう。
(他にも賄い係のおばさんや、おばあさんたちが作ってくれた料理でわたしたちは成長したのだが)

これ、子供に嫌われる料理を印象付けたわたしも、母と同じような役どころになっている。
歴史は繰り返す。
しかし、納得がいかない。ぷんぷん。

※写真は、娘婿(次女の旦那さん)が作ってくれたお誕生日メニューの一部。前菜、オードブル。