蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

お笑い好き

2023-12-21 | 日々のこと
わたしの話は中身がない。
具体的なことが書かれていない。
精神論ばかりで、こりゃあつまらん。
具体的なことは、ネットで検索してください。
知識はごろごろネットの海に転がっている。
知識を活かしてこそ知恵は生まれる。
知識を元に経験を積むと、独自の知恵が培われる。
あるいは、経験すると知識が後から付いてくる。

しかしながら、知識も、自分の興味があることばかりに偏り、全体を把握していないことがある。
とりあえずは、あっさり、総論から。
その後から、細部を詰める。
総合職と一般職、専門職、、、の違いか。

オタク文化も認められて来ているし。
生活密着型でなくても、偏っていても、なんでもありかと。

最近、テレビを見ていると痛々しく感じることがある。
出演者の表情の裏を読んでしまう。
観る人に余計な感情を挟ませない、自然な表情が出来る演者は素晴らしい。

一昨日、綾瀬はるかの旅番組を観た。
「ハルカカナタ」。
暮らしの中にある幸せを見つめるヒントが詰まっている。
フランスの3人のマダムの生活を紹介する。
大都会パリの煌めくファッションだのグルメだのではない、片田舎、地方の静かな切り口。

あの番組の進め方、紹介パターンは、なんだか懐かしい。
昔、仕事で関わったジャンルを思い出した。
紹介する前から既に中身は決まっている。
あとは見せ方。
どう紹介するか、なのだ。
ナビゲーターとして、綾瀬はるかが起用されていたが、誰が紹介するかによってテイストは大きく変わる。
雑誌などのインタビュー記事や旅記事、取材記事などは、概ねほとんど現地に赴く前から原稿は完成されている。
行ってから書くわけではない。
書くのは、ちょっと加筆、推敲程度。
(これは鬼プロデューサーが言っていた)
いろんなタイプ、パターンがあるとは思うが。
番組作りは難しい。
観る側は、本当に気楽で良い。

ちなみに、わたしは食レポ番組などは、食傷気味である。
やらせかも?と疑いたくなる番組も、痛々しくて直視しにくい。
わたしが単純に好きなのは、お笑い芸人の王座決定戦みたいな番組。
その時代時代の新しい芸人が発掘される。
笑いは、気楽そうで結構、難しい。
絶妙な間合いがある。

子供の頃、母の実家(田舎)にお正月などで行くと、いつもTVのお笑い番組が流れていた。
わたしのお笑い芸人好きは、あの影響もあるのかも。
漫才、歌謡ショー、1人漫談、、、浪速の笑いは好きだった。
ダイマル・ラケット、吾妻ひな子、海原お浜小浜、宮川左近ショー、いとし・こいし、平和ラッパ・日佐丸、人生幸朗・生恵幸子、、、
好きで観ていたお笑いもあるし、どこが面白いのだろうと思って観ていたものもある。
カフス・ボタン、横山やすし・西川きよし、紳助・竜介、ツービート、B&Bなどの漫才ブームのずっと前から。
東京の芸人はやはり語り口調(標準語)に親近感を持てなかった。
今年は今月のM1(漫才決勝戦)を見逃して、残念である。
→※追記 決勝は12月24日らしい。でも見れない時間帯。


ちょっと先、将来のわたし

2023-12-20 | わたし
自分の遠くて遠くない将来。全くの想像図。
今の家は次女に明け渡し、夫の実家に引き篭もる。
数年に一回、自分の実家にステイする。
いや、今の家を離れられないかも知れない。
もう夫も孫たちもいない。(推測)

息子が定年後、帰って来ているかも知れない。
わたしは90歳を越えている。
ギリギリまでヘルパーさんに自宅に通ってもらい、限界が来たら老人ホームに入っている可能性は大。
限界の前に、あがかず、すんなり入るかも?
それは良いとして。

逆算する。
それまでにしておきたいことは?
色々あるが、全て後回し。
なぜか?
めんどくさい。
明日でもいい、来月でもいい、来年でもいい、、、と、どんどん先延ばし。
したいことよりも優先するものは何?

ぬくぬくの電気敷布に潜り込む快感だったり、定時に起きなくてもいい朝の開放感だったり、、、
早い話、何もしたくないということだ。

したいことがあるのではなく、すべきことはあっても、したくないのだ。
根っからのサボり気質。
ギリギリまで何もしたくない。
1日も長く、何もしなくてよい日が続くことを願う。

で、何もしないで、一日中、何をする?
ボーっとしていたら、あっという間に一日が終わる。
何ごともなかった幸せを噛み締める。
ちょっと退屈かな、ぐらいには感じても、何もしなかった後悔はない。
わたしは虚しさは無縁。
しなければならないことを後回しにして、何もしなかった日は、あと何日あるから大丈夫、と指を折って数えて安堵している。

何をしようかな、と考えるのが好き。
若い時は、あまりにも何もすることがない空白の日は若いエネルギーと暇を持て余し、苦痛だった。
空白を埋めるには、前もって予定を組み入れるべきだと気づいたけれど、今は、することのある日と、することがない日がバランス良く混ざっていて良い調子。
ではあるものの、さすがにぴったりバランス良くうまく行くわけではない。

健康でちゃんと食欲があって、ちょっとした退屈を埋める何か楽しみがあれば、それで良し。
さらに未来への明るい希望の火が、ほんのりちらちらしていたら申し分ない。
退屈一歩手前が、最高の贅沢。
ガムシャラに頑張るタイプの対極。
のたっと幸せを感じられる、ゆったりした時間を味わえたら、それで満足。

しかし、「退屈(虚しさ)」と、「満足」の、絶妙なバランスはかなり難しいさじ加減を要する。
将来は、FMラジオを聴きながら、写経を日課にしているかも知れない。
少しだけ細い線で俗世間に繋がり、あとは自分の世界でニコニコふわふわ浮いているような気がする。
それが今のわたしが想像する、ちょっと先のわたしの未来理想図。
あらま、今とあんまり変わらない、、、。


子供の頃を思い出す

2023-12-19 | 思い出
昨夜から重い話。
姉とのやり取り。
肉親として、まさに文字通り、生きる死ぬ、の問題。
倫理観と医学の狭間に立つ。

さて。
今朝は快晴。
洗濯もした。
ほぼほとんど夫の洗濯モノ。
わたしは、洗濯オンナ。
ただし、手下、部下がいて、全自動では動かないオンボロの洗濯機。
いつになったら買い替えるのか?
微動だに動かなくなったら買い替えよう。

昔昔は川で洗濯。
川下の人はちょっと迷惑かも。
1日の大半を家事時間が占めていた。
過酷なのか、のどかなのか。

わたしの実家のおくどさんがこの度、蘇る。
前から故障はしておらず、単に使っていなかっただけ。

わたしがうんと子供の頃、おくどさんでご飯を炊いていた。
おくどさんは金属製小窓で火加減は調整する。
お風呂も焚き木で沸かしていた。
ぬるいと、祖母が焚き木を追加して焚べてくれていた。
味噌も梅干しも自家製、当然、お餅も臼と杵でペッタンペッタン。
餅米もおくどさんで大量に炊く。蒸す。
祖母が臼の中のお餅に水をつけて、男性が杵を振り翳す度にペタペタしていた。
焚き木を収納する部屋や、味噌を入れる味噌部屋があった。
夏は井戸水の中にスイカを沈めて冷蔵庫代わり。
冬は火鉢。
コタツは木製の格子箱?の中に炭?(または練炭?)
季節感が溢れていた。

わたし、ひょっとして、とんでもなく田舎の生まれ育ちか?
TV番組「ポツンと一軒家」の山の中で自給自足の生活をしているイメージ図か?
うーーん、、、ちょっと違う、、、。
あそこまでワイルドではない。もう少しマイルド。
家にはピアノや自家用自動車はあった。
プロパンガスもあり、台所やお風呂はぐっと近代化された。
のではあるが、やはり、昔の原風景はいまだに瞼の中に定着している。
体感として残る。
良い体験をさせてもらえた、と、豊かな自然に囲まれて暮らしたことは、今ではわたしの無形の宝物になっている。


食べる気力

2023-12-18 | 
やっと食べる気力が湧いてきた。
食欲というものは要。
わたしにとっては、健康のバロメーターだ。
いつもは何も感じないのだが。
食欲不振で、生協の宅配も今月は一度も発注していない。(無配達でも毎回、宅配料は取られる)
食べ物のことを考えるのも嫌だった。
やっとどうにか、何か口に入れてもいいという気力が戻ってきた。

気づけば師走も、半ば。
師ではないないにしても、走る気力もなく、半ばになってしまった。
ホーム・クリスマス会を目前に控える。

ジイサンタさんには次々と発注が届いている。
バアサンタさんは、小銭なんだそうだ。
上から3番目孫には貯金箱がパパママサンタさんからのプレゼント(内定)だそうで、貯金箱に入れるコインをママ(わたしの長女)からこっそりリクエストされた。
「1円にしよう!」とわたしが言ったら、「ダメ!」と、3番目孫にダメ出しされた。
「消費税の関係から1円玉も貴重なんよ」とわたしはぼそっと言ってみたが、1円にする気はない。
ママからは、「300円ぐらい」と打診されている。
100円玉、集めなければ。
300円✖️5🟰1500円
100円玉を取り敢えず15個、今週中に用意。
シニア枠バス代が100円なので、100円玉はわたしには必須アイテムだ。

ちなみに。
やっと年内にすべきこと、気になっていたことがクリア出来、ほっとしている。
というか、ぼんやりしている。
というか、ヒマにしている。
気が抜けている。
だが、年末大掃除とかは、全く念頭にない。
年末年始は、夫の実家に行く。
行く年、来る年は、いつも必ず夫の実家。
今回は息子が久しぶりに帰ってくる。
と言っても元旦の夜帰ってきて翌る日、昼には戻る、1泊2日の弾丸帰省。
彼は姑よりうるさい、食事・家事評論家であるが、まあよい。
welcomeである。
長女一家と合同になるので、短い時間だが賑やかにはなる。

わたしは夫の実家が大嫌いだったくせに、今では全然嫌いではない。
大規模リフォームして、気持ち良い快適な家に生まれ変わり、皆んなが集まりやすくなって喜んでいる。

別棟には、わたしの実家からもらってきた調度品を設えているが、どうもテイストがしっくりいっていない。
不具合を生じる生体移植のような感じ。
微妙な趣きに、ズレがある。
仕方ない。
わたしの実母の趣味(優美で繊細)と、夫の実家の趣味(質実剛健)が、部屋の中で不協和音を奏でている。
(次女にもテイストの違いを指摘された)
歯科で新たに作った歯が合わないような、不調和。
どうせ誰も行かないし、使わないのだから、誰の目に触れるわけでもなく、そのうち、わたしの目が馴染む。
わたしが、東と西の文化を融合させようとして、上手く行かなかった途中、プロセス、過渡期、一時期のような、調整、統合される手前の状態のようなものか。
(うまく表現できない)

これから益々歳を重ねていくわたしにとって、自分の居場所の一つとして、少し楽しみにしている。
て、こんな内容、誰も興味ないだろうけれど。







スマホと格闘

2023-12-17 | 暮らし
大手デパートのポイントの交換有効期限、締め切りが迫っている。
前は紙製の金券(商品券)で、有効期限もなく、お金と同じでニコニコだったのだが、交換出来る紙製金券は廃止され電子ポイント制になった。
しかも有効期限付き。
どんどん毎日、食材を買う度にポイントを貯めて行ったのは良いが、使い方がわからない。
四苦八苦して調べると、その大手デパートでの購入商品に限り、専用クレジットカード決済の時だけしか使えないようだ。
2000円単位ごと、2000円以上での購入で使える。お釣りは出ない。
それは紙の時と同じなので、何の問題もないのだが、問題は使い方。
ぼやぼやしていると失効する。

わたしは、最近、2000円以上の買い物をデパートでしない。
一年に一回ぐらい、4000円ぐらいはするかも知れない。
だが、それでは期限が切れるし、期限が来るポイント金額に満たない。
仕方ないので、無いアタマを捻り、大きな金額でデパートで買うものは何かないか??と考えたところ、お節料理!という考えに至った。

そこから、アタマかちんこちんのアナログ人間の苦闘が始まった。
以前にスイスイ鼻歌で、そのデパートで同じくお節料理をネット購入したことがある。
なので、今回も楽勝だろうとタカを括っていた。
ポイントは普通にデパートの購入商品に、そのデパートのカード決済で使えるのだが、先述した通り、デパートではわたしは5000円以上は使わない傾向。
ということで、オンライン決済でしか使わないということになるのだが、ポイントをオンライン決済用に移行する手続きが必要。
それはどうにか、交換するのに日にちは少しかかるがクリア。
さて、問題のお節料理の注文に取り掛かると、「待った!」が、かかった。
前回にはなかった、「待った!」である。
カード決済なりすまし防止のため、決済の度に本人確認が必要。
カード会社から確認のワンタイムパスワード(数字)が予め登録した方法で送られ、10分以内にそのワンタイムパスワードを送信しなければ、決済出来ない。
しかし、そのワンタイムパスワードが待てど暮らせど着かない。
延々とスマホでネット内で考えられる限りあの手この手を探り、繰り返しやっていた。
カード会社の本人認証のサイトをうろうろ行ったり来たり。
本当にうろうろ。
何度も、登録しなおしたり、別の方向から試みたり。
一日置いて、アタマを冷やす。
が、次の日も同じ。
お節料理の注文締切は迫り、希望する商品は売り切れになったり、配達日時が制限されたり、焦る一方。

WEBデパート相談コーナーにメールで質問したり、示された番号に電話をかけたり。
チャット相談は常につながらないから仕方なく。
デパートオンラインサイトの窓口に電話したり、カード会社に電話をかけ、やっと解決した。
ネット内での試行錯誤でクタクタになった。
最後は白旗を掲げての、電話相談。
結局は自分でしたネット注文は最初とは変わらず、ワンタイムパスワードが届き無事に注文出来たのだが。

わたしのメール受信に何らかの理由で制限がかかっていたことが原因だった。
そのカード会社からのワンタイムパスワードだけが、迷惑メールフィルターがかかるせいで、届かなかったようだ。
今まで、どんなところからのワンタイムパスワードも迷惑メールには入らなかった。
なんで???
常に取り巻くシステム事情は変わるようだ。
前はこれで行けた、同じ方法のはずだとか、いつも方法は同じはずだとか、不変、普遍を信じていては、全く話にならない。
常に変わることを前提として覚悟して取り掛からないと、動かない。
特に、この方法!!一本槍!!と頭から信じて疑わないような、そういう石頭では絶対にダメ。
目の前の一直線しか見ないで、1ミリでも左右にズレるともう視界に入らない。
そういう自分の柔軟性のない思い込みは、どうしようもないので、相談口に相談したほうが早い。
先入観、頭から思い込んでいるために見えないせいで、すぽっと抜け落ちている部分を一から見直す作業は、他人の冷静な目を借りないと、自分の思い込みの目ではズブズブ沼に落ち込む。
一旦リセットしないと、なかなか脱出出来ない。

「システムが2023年11月から変わりました」なんていうのもあり、日々、変わって行くので安心できない。
更新を余儀なくされる。
日頃、スピーディに処理しないことに慣れていると、アタフタもたもたする。
時間の余裕を持って行わなければ、上手くいかない。
お手上げ、おまかせ、丸投げ、にならないよう、まだ、わたしは抵抗している。
インターネット注文出来ない自分なんて、想像したくない。
インターネットはある意味、わたしの命綱でもある。

が、そのうち、試行錯誤が面倒になるときっと丸投げするのだろう。
浮世、俗世間のこんなストレスにはまるで無縁な人もいて、羨ましいかぎりだ。
わたしは、まだ生臭い。
ではあるものの、生乾きで、役にも立たない。
しがみついている見苦しい自分を感じる。

とは言え、年末、気になっていたことが無事通過出来、とてもスッキリした。


これで、いいんだ、、、

2023-12-15 | わたし
今までの自分を振り返る。
誰の目にもわかるような、ちゃんとしたことは何一つしていない。
自分がしたいようにしてきた。

ある趣味仲間のAさん。仕事はリタイア。
今は仕事をしていなくても、過去の日本を築いてきたのだから、堂々としているべきだ、と胸を張る。
仕事をし、家族を養い、子供を独立させた。
わたしは、、、
「仕事をし、家族を養い、子供を独立させた」人物の補佐役をしただけ。
自分独自では何も成していない。
存在意義があるのか?

ある。
ということにしておこう。 
が、男尊女卑の社会では女性の地位は低いと感じる。
(今はあからさまな男尊女卑は、なりをひそめているとは思うが、家庭内の女性は社会的進出から外れているという見方も出来る)

自分独自に目を向けると、、、
後悔はないにしても、胸を堂々と張れるか?
何をしてきた?
社会的に評価されるようなことは何ひとつない。
まあいいか。
自分が満足なら。
今頃、成果がどうこう蒸し返すのは、愚の骨頂。
不安のない今があれば花丸。
何を自己否定する必要があろうか。

ちなみに、政府は家庭の女性に介護、育児を押し付け、女性の家庭内奉仕を「日本の美徳」とまで崇めたてた。
介護保険や育児手当など、お金がかかることは、家庭の主婦を煽て宥め無料でやらせようとした。
そうは行くものか。
美徳を履き違えている。
それなら、ご高齢の政治家殿方が先手を切って、実際に先頭に立ってやるべき。
自分は家事も育児も介護もしないで、家庭のご婦人方を「日本の美徳」という呪文で、無料の労働を押し付けた。
何、それ?
わたしは、昔アタマのジイさんが全く考えを変えずに、当たり前のごとく女性に押し付けて平気な態度を見ると、無性に腹が立ち不快になる。
ブチギレそうになる。

それはそうと。
話を戻す。
当時、自分が出来る限りのことをやってきたんだから成果がどうであれ、いいのではないか。
今日の自分が楽しくなければ、その積み重ねがなければ、明日の自分も楽しくない。
やんわり自己肯定しよう。


※写真は、知人がインターネットの海から拾ってきたもの。
生成AIかも?と言っていた。
よく出来ているので、無断でお借りします。



メンタル強い

2023-12-14 | わたし
どうも体調が良くない。
一時治ったかと思えたヘンな咳はまた続く。
軽い頭痛、身体がだるく食欲不振。
この低下した体調レベルが、わたしの新しい体調スタンダードになるのだろうか。
諦めながらも慣れ、受け入れ、こうやって少しずつ、自分の次の下降したステップに移っていくのだろうか。
元の自分に戻ってほしい。

そもそも病気知らずで健康体すぎるので、病気には滅法弱い。
病気と闘ってきた経験がない。
これからは、病気知らずとも言えなくなってくるという覚悟をしなければ。
病気の話は暗いが、これも現実。
深刻な命に関わる病気ではないのが救いだ。

さて。
「わたしはメンタルは強い」話に移る。
これはいまでは、空気の読めない人という扱いを受けるのかも知れない。
インターネットで有名国立大学卒、企業勤めの女性が発達障害で仕事で苦戦しているという記事を読んだ。
頭脳とはまた別のようだ。
かといって、わたしは、国立大学レベルの頭脳を持っているわけではない。
ただ、最近は心の病名が色々つけられ、悩むことはない、病気なのだから、、、という傾向がある。
昔なら、こっぴどくやっつけられてしまったり、先生に廊下に立たされたり、やたら粗暴な子や、ガチャガチャ落ち着きのない子や、いっぱいいた。
ただ、学校によっては、そういう、色々なタイプの子供がほとんどいないところがあった。
入学時に選別されているからだ。
選別されない、色んな子供がいる学校のほうが、多様性があるかも知れない。
逆に、多様性ばかりの子供が集まった学校(施設)もある。
一般普通コースには収まりきれなかった子供の受け皿。
今は、不登校もよくある。
昔とは隔世の感。
時代は変わる。
「メンタル強い」にも色々ある。





琴線に触れる

2023-12-13 | 日々のこと
昨夜、寝ようと思ったら、前に半分以上見逃した番組の再放送をやっていた。
NHKのアナザー・ストーリー「そしてジョン・レノンの『イマジン』は名曲になった」。
まあ観とこか、という軽いノリで観て、その後、歯磨き、洗顔をしていた。
すると、遠くから何やらわたしの感性に触れるナレーションが流れて別の番組(再放送)が始まっていた。
中国一人っ子政策のために、跡取りになれない女児を手放す(捨てる)親が相次いだ。
子供たちは、孤児院に入り、里親に引き取られた。(全員がそうだとはわからなかったが)
ぐいぐい引き込まれるように観た。
20歳になる娘は、実の両親を知りたい欲求に突き動かさかれる。
人生を構築するにあたって、自分の大事なピースが白紙だと、その部分を抜きにして前に進めない。
同じようなケースが後を絶たず、自らの体験を通して、実の親子を探し当てる活動をしている人が現れた。
実の親探しを依頼したところ、手掛かりが見つかり、アメリカでの育ての親(養母)と一緒に中国の両親を訪ねる。

中国では両親、他のきょうだい、親戚など、大歓迎を受ける。(もてなし費用は高額で借金をして用立てたという)
両親からは国の事情があるにせよ、済まなかったと詫びられる。
中国での暮らしは貧しく、両親は高齢になってもまだ重労働をして日銭を稼がなければならない。
ずっと中国に留まりたいという娘に、
「ここは貧しく未来はない。
文化の違うアメリカ育ちでは、生活様式、レベルが違い暮らしに不満を覚えることだろう。
豊かなアメリカで明るく将来に向かって生きて欲しい」と父親は訴える。

わたしは、涙で涙でぐちゃぐちゃになった。
寝る前に大洪水。
特に親子初対面の場面は、ほぼほぼ、嗚咽しゃくりあげ状態。
どんな映画よりも涙が流れた。
涙腺は完全に故障。
わたし、ヘンなのかなあ、、、。
こんなに感動、共感するなんて。
琴線に触れるとは、このことだ。
歳と共に、こういう、親子の話には大泣きする。
番組中、全神経を集中させて流れを追った。
一言一言が沁み入った。


中には不幸な親子対面もあるかも知れない。
が、対面の運びになることは、対面を望まれた側に受け入れる気持ちが整っているのだろう。
満を期した絶妙なタイミング、頃合いがあるようだ。

わたしの涙も、最近、この年齢になってこそだと思う。
老化によるところも大きいかも知れないが、家族が増えたり減ったり、誕生したり他界したり、長いスパンで老いも若きも見てきた。
わたしは若い頃はほとんど泣いたこともなく、鈍感でタフで無神経で、へっちゃらだった。
だが、年齢を重ねる毎に機微のようなものが増えてきた。
感受性はこれからはどんどん衰えていくだろうから、今が1番繊細なお年頃。
きっと、泣き虫のピークだろう。


忘年会

2023-12-13 | 日々のこと
一昨日の忘年会、早めに失礼した。
やはり、本調子ではない。
二次会に参加出来ずに失礼だったかも知れないが。

楽しい話はどこまでも。 
ピンポイントで話題をチョイス出来るのが嬉しい。
どんな話題でもラリーの応酬、行ったり来たり。
Aさんは、歴史、特に日本史、中国史に強く、博識。文系人間。
戦前の日本の話なんかも。
今までの培ってきた知識や思考から、持論を展開される。
この人、九州人で、とても骨太だと感じる。
ややもすると、石頭。不動の人で揺るぎない。
お父さんも学校の校長先生でカタイ人だったようで、石頭カチンコチンには難儀したとか。
そこは、安心できるところでもある。
わたしは割と堅物が好きである。
三大メガバンクのひとつにお勤めだったこともあり、世の中の動きを現場で肌で知っておられる。
丁度、わたしの半歩前を歩く師匠、知の導き役にはぴったりだ。
他の知人にもどんな話題にも強い人がいる。
わたしが、物事を知らなさ過ぎるのか?
かと言って、わたしが投げかけた話題には全く着いて来ない人も結構いる。
微妙なところか。

相手の話すことに興味を持つかどうか。
相手を理解しようとする気持ちがあるかどうか。
知識と興味はセットになっている。
知識はあっても興味がない場合がある。
知識はなくても興味がある場合がある。
知識がなくて興味もない、こういう場合、話題を即座にチェンジ。
知識があって興味がある、、、まさにこれ。
興味があるから知識も増える、考察も深まる。
嬉々として論じる。
この、自分の見解を交えた論説・討論のようなものが、わたしは好き。
わたしの興味、中途半端な理解、知識では、なかなか論じ合える人はいない。
たわいない世間話なのであるが。

ではあるものの、話している内容が正しい知識に基づいたものだと、わたしが判断したら、信頼を置く。
わたしは聞いたことの正誤は少しはわかる。
なので、正確には、五分五分に論じ合っているのではなく、わたしは聴講生になって聞いているのだと思う。
有能な人は、レベルを落とすことが出来るが、低能な人はレベルを上げられない。
合わせてくれているのだろう。
相手がなんの考えもなく聞く一方だと、1人舞台になり話していてもつまらない。
が、熱弁を振るうことで発散する場合もある。
話題の一つから別のとっかかりを見つけて、そちらに移ることもある。
お酒が入ると口もまわる。


こんな話、全く面白くない、興味がないという人は大多数だろう。
この記事、2日もジメジメじとじと公開せず抱えていた。




師走で焦りすぎ?

2023-12-11 | 日々のこと
絶不調。
だが、今日の忘年会に出席する。
前回、何度も日にちを変えたので、もうあまり変えたくない。
信用問題にかかわる。
しかし、絶不調の中、這うようにして忘年会参加は、どうかと思う。
何がしたいんだ?わたし?

孫の通う小学校は、3年生の学級閉鎖に引き続き、5年生は学年閉鎖。
同じ絶不調の小5孫はまだ微熱らしく、学年閉鎖で丁度良かった。
悪い風邪かインフルエンザでも流行っているのか。

体調悪いから、待ち合わせの時間まで時間調整で家で布団の中でじっと横になっていた。
そして、いざ現地へ!
なんと!1時間も早いではないか。
何処で、どう間違うと、1時間も早くなるのか。
そう言えば、たっぷり時間の余裕は取っているのに、最後のあたり、バスの時間を確認してダッシュしていた。
あのバス確認が既に1時間早かったのか。

しかたないから、師走の歓楽街を場違いな、冴えないダサいおばあさんが、とぼとぼ、のろのろ。
何やってる人に見えるだろう?
かつてのような、街の人からキラキラした声がけも当然なく。

しかし、待ち合わせ場所から、時間潰しのカフェまで遠い!
体調絶不調のわたしには繁華街往復は、キツイ。
が、前には無料で座れる大手デパート入り口コーナーがあったが、半分以上撤去されていた。
あてもない人が、ぼーっと高級デパートの入り口に座られたら、イメージ悪いからか。

いずれにしても、繁華街のカフェに1人で入って、わたしのボケボケ師走を味わっている。