蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ブログの人々

2025-02-15 | ブログ
前回の蝶ブログ。  
やたら長い、自問自答形式にしながら、肝心の自答部分がなかった。
結論は持ち越した。
一生、持ち越し。
それも良いだろう。
で、何を自問してたんだっけ?
と、昨日のことも、もう忘れている、体(てい)たらく。

一瞬の気づきや発見のために、一生を費やすのも夢がある。
人生に無駄などなく、意味がある。

ちなみに。
本日、別SNSで日記を投稿したら、噛みつかれた。
めんどくさい人。
ではあるが、この人は、噛みつかずにはおれない性格。
ご本人も、ご自分のその性格には、ほとほと嫌になっておられることだろう。
まあ、色々あります、おられます。
刺激する何かがあるのだ。
それは、よくわかる。
あ、この部分ね、引っかかるところは、、、。妬まれそう、、、。
オンナの敵はオンナ。
文句言って来そうなので、わざわざその人を意識して、説明を加えたのに。
だめだった。効き目がなかった。
嫌だと感じると、胸に収められない人は、いる。
苦情を言ってくる。
そうこうしていると、わたしの日記より、苦情誘発日記のほうが閲覧数が(同時進行公開で)上回ってきたため、わたしの日記は、あっさり非公開にした。
外野の皆さんの好奇心を満たすために、いつまでも公開しておくようなことはしない。
わたしは自分のためにならないと判断したら、逃げ足が速く、即、引っ込む。
株でいうところの損切り。
野次馬の皆さんは、妬みの元になっていた記事は読めなくなった。
オンナ同士の闘い、争い、勝敗までの経緯を見学出来なくなった。
わたしは逃げる必要はないし、まだアクセス数は伸びるだろうけれど、虫喰った木は切る。

さて。
一つ、思ったことがある。
9日間の引きこもり生活、ある意味、禅の世界に通じているかも知れない。
何も感じない無の世界。
音も温度も風も質感もない。
だが、虚無感はなく、何も考えないけれど、ほんわか楽しい、わたしが幼児だった時のような気持ち。
包み込まれた閉ざされた安全安心の世界。
苦痛がない。考えもない。方向性もない。
究極の幸せなんじゃなかろうか、、、。

かと言って、引きこもり生活が終わったわけではない。
と言いつつ、ちょっと引きこもりを小休止。
休むのを休む。
また動き出している。
とは言え、やっていることは同じ。
冷蔵庫の中をとりあえず空にして、また買い物に行くようなかんじか。
今度はギュウギュウにならないよう、必要なものだけを買う。
断捨離と同じ理屈か。

とは言え、わたしは絶対に冷蔵庫は、空っぽにはしない。
バターやジャム、香辛料、ソース、ジュース、日持ちするものなどは保存。
断捨離で言うと、モノは捨てても日用品は確保する、というようなもの?
まあそれは、どうでもいい。またまた脱線。

ところで。
いつも訪れる映像プロ氏のブログ。
ブロガーさんは、今、東京出張をされているようだ。
のどかな地方も最先端都市も、両極端を行ったり来たり。
活力、刺激になるのはもちろんだが、伝える側の立場として、どう料理されるか、期待している。
それにしても、アクティブだ。
とても真似出来ないが、ヒントが詰まっている。
わたしは、彼の多くのファンの中の1人であるが、まるで、知り合いのような心情で応援している。

ちなみに、フランスの舎弟は良い爺道、まっしぐらのようだ。
これからは、孫の年齢、成長が、時が推移し経過していく時間の目印になるだろう。

※写真は、旧山形師範学校本館。
廊下や教室の床と天井は斜め板張りになっていて、美的効果や構造上の強化にも役立ち、建築技術史的な価値を高めている。



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