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お葬式に参列した。
平日だったこともあり、家族葬とは言え、がら〜ん。
喪主の姉妹と、参列者の我々姉妹2人以外には誰も知らない人ばかり。
血縁者は、この4人だけ。
参列者は、我々を入れて10人ぐらい?
次世代参列者は、ゼロ。
喪主姉妹が1番若いぐらいか。
平日なので、仕事、学校があるのだろう。
前日のお通夜は日曜日だったこともあり、子供や孫たちも参列していると想像するが。
しかしまあ寂しいものだ。
しかも、故人、、、遺影の写真、、、かつての知っている顔ではない。
棺、最後のご対面、、、ご本人、、、全然、面影がない。
まるで、テレビか映画の一場面のよう。
当然ながら、感情移入できない。
生きている間に、数回しか会ったことがないと、いくら血の繋がりがあっても、こんな感じになるのか。
私が幼い頃、数回、葬式や法要で顔を見た。
それから学生時代に1回、社会人になってから3〜4回、最後は今回の告別式本人(故人)の配偶者のお葬式。
火葬場に向かうバスの中で隣になり、お孫さんの自慢話を楽しそうにしてくれた。
10年以上前か?
顔を合わせたのは、生涯で通算、10回ぐらいか??
そう言えば、わたしが仕事をし始めた頃、1度お会いして、仕事関係で協力してもらった。
わたしが幼い頃と、成長してからと、近年と、ポイント、ポイントで顔を見たが、ラストは、最後に生きて会った時と顔が変わっていた。
喪主姉妹は、彼女たちが子供の頃とイメージは変わらなかった。
故人は、私が知らない顔になってしまった。
魂がもぬけの殻になって、顔は入れ物に過ぎなくなったからだろうか。
一つの時代が終わった。
次世代の顔を見ることが出来なかったせいもあり、終焉を実感した。
※写真は、昨年、秋に訪れた旧山形県庁舎。
(本文と関係ありません)
現在の山形県が成立した翌年、1877年(明治10年)に建築されたが、1911年(明治44年)年の山形大火で焼失。
1913年から復興建築に着手、1916年に完成したのが現在の建物。
写真チョイスは、個人的趣味に走ってます。