蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

今日のキョウイク。「サンセット・サンライズ」

2025-01-20 | お出かけ
キョウイク(今日、行く)で、映画を観に行ってきた。
行き帰り、ウォーキング付き。
そして、またまたget lost、道に迷い、予定外の歩数を伸ばした。
Googleマップがフリーズして逆方面を指していたようで、時間ギリギリまで迷っていたため、最後あたりはスピードアップ、結果的にはダラダラウォーキングは免れた。

映画は、先週、モタモタしていて観そびれたもの。
リベンジ。
コメディ仕立てになっていて、泣き笑い。
ほろっと涙、ハンカチのお世話になった。
宮藤官九郎の脚本なら、なるほどと頷ける。
わたしは、菅田将暉のファンで、彼の映画はだいたい観ている。 
歌も上手い。
ちょっと、顔がふっくらしたかなと。
結婚太り?
ヘアスタイルのせいか?
それにしても、井上真央扮する女性、モテる。
5人もの男性から次々とプロポーズを受ける。
美人で、シッカリ者で、独り者。
わたしには、ひとつも備わっていない特性。
そういうイマイチの人は、女性にモテないイマイチの人が合っていて、イマイチ同志、バランスが取れるのか?
と、上記、感想は、小学低学年ぐらいの感は否めない。
家で引きこもって煮詰まっているほうが、ブログとしては味が濃いかも知れない。
今日は映画を楽しんだため、ブログにかける情熱が薄まってしまったようだ。
というか、それ、本末転倒。
ブログに映画解説や感想を書けばよいのだが。
今日は、意欲が至って薄い。

とは言え、自宅から往復ウォーキング、交通費無料、お茶持参、経費ゼロ。
おまけに帰りにスーパーで食品購入。
効率的、高コスパな一日。

とかなんとか、、、書かなくてもいい蛇足を書く。
映画が終わった後、トイレの鏡に映る我が顔を見て、、、
ぎくり。ぎょ。
なんとまあ、正真正銘のおばあさん。びっくり。
顔、ヘアスタイル、服装、形振り、雰囲気、、、どれを取っても、どう見ても、おばあさん。
特殊メイクでもなんでもない。
昔、見たことがある、イメージ通りのおばあさん像そのもの。
特にフリースチュニックの色が最悪だった。汚い色。
カタログで選んだから仕方ない。
最もお年寄り風情を醸し出す色彩。
新しく下ろしたのに、うんざり。外で着るのは封印しよう。
と、かなり落胆した。

とことんガッカリすると、落ち着いてきたのか、別の考えが脳裏をよぎった。
自分が、自分のおばあさん顔に慣れたらイイのだ。
最初は愕然とするものの、こんなのは慣れ。
慣れたらこれが今日からの「ニュー・スタンダード」。
自分に期待し過ぎるのはやめよう。
大谷翔平の名言、「憧れるのはやめよう」の真逆。
大谷のは、憧れるだけに留まらず実現しよう、と努力、実践を促すもの。
わたしのは、、、期待し過ぎずに現実を見ようと、というもの。
「自分が理想とする自分」ではない自分に慣れよう。
こういうのは、あくまでも主観の世界。
今日のアタシは最高!と思っても、最悪!と思っても、他者から見れば同じ。
自意識過剰なだけ。
老けた自分は好きではないが、老けている事実をいくら否定しても、事実は変わらない。同じ。

ではあるものの、あのフリース、もう外出時には絶対に着ないことを決意した。
家の中なら何を着ていても人の目がないので気にならない。
あるのは自分の目だけだが、家の中では自由開放区。
のびのびやっている。

ついに、キョウイク!

2025-01-19 | 日々のこと
命のバトン、、、自分に子供が生まれなくても、生きる証は生物的には遺せなくても、別のかたちで遺すことは出来る。
小さな小さな、誰も気づかないことでも。
悪事も遺る。
だが、悪事は歴史の捉え方で評価が変わることもある。
とは言え、時代が変わっても、絶対に悪事!と定義されることは変わらない。 
人を殺めたり、盗んだり、、、犯罪。
昔のほうが、罰が厳しかったように感じる。
中学か高校の歴史の授業で習った、紀元前1800年、世界最古のハムラビ法典、、、目には目を、歯には歯を。

ではあるものの、人権意識、捉え方は随分、変化した。
封建時代は、人に上下があった。
人類は進化して、今や生命誕生の倫理観まで覆すような、人工的に操作できる、科学、医学の技術発展には目を見張るが、同時に、行き過ぎ、やりすぎ、止まるところがないような気がする。 
AI然り。
喜んでばかりは、いられない。
世界制覇は、AIによる?
AIを使いこなす者が世界を牛耳る。
経済力も、使い方による。
政治と経済がタッグを組むと、、、
アメリカのあの人物、、、どうなるのか、わたしは畏怖の念を感じる。

人間の力は、限りなく強い、、、と思いたい。
あまりもの技術の発展には、恩恵を通り越して脅威さえ覚える。
宗教や信仰に頼らなければ、自分を保てないような強力な力に左右されそうで怖い。
片田舎の部屋の一室で引きこもりながら、世界を見る。
こういうストーリーの映画、よく観た。
お母さんや叔母さんと暮らすアメリカン少年。
ある日、突然、偶然、ミラクルなパワーを身につける。
・・・スパイダーマンや、◯◯マン、、、なんだか愉しいが、最近のヒーローは少し様子、毛色が変わってきている。
時代が求めるものは推移する。

と、話は相変わらず脱線。

さて、今日は、絶対に絶対に、キョウイク(今日、行く)、キョウヨウ(今日の用事)が確定されている。
毎週、日曜日は、長女一家が夕食にやって来る。
メニューは、ワンパターンが幾つかあり、数パターンを繰り返す。
前は、お出かけした帰りに週末には材料を買って帰っていたが、最近は引きこもっているため、滞っている。
で、リクエストを聞いたところ、(わたしが作れそうな)気を遣った忖度メニューの返事があった。
餃子か、唐揚げ、だそうな。
材料を買いに行く。
キョウヨウは、食品買い物、キョウイクは、スーパー。
駅まで往復ウォーキング予定。
お天気もよく、快晴、ぽかぽかの道のり。
エネルギーが切れたら(あるいは、グズグズして時間切れになったら)、帰りはバス。
帰ってきたら、餃子を作る。150個で足りるか?
ノリが良ければ(余力があれば)、鶏肉唐揚げも作る。
鶏肉は買ったものの、や〜めた!という展開もありえる。
あくまでも予想。風まかせ。

というわけで、キョウヨウ、キョウイクまでの貴重なサボりタイムをまったり楽しんでいる。
昼下がりから、のんびり出かけるつもりなので、たっぷり時間はある。
この、サボり待ち時間が大好き。 
ただし、大きな用事やタスクは、嫌い、避けたい。延ばしたい。
ホンモノの用事は、負荷が大きく、気が滅入る。
が、そういうわけにもいかない。
小さなミニミニキョウヨウを楽しめる今だけか?
バランスはそう上手く調整できないから、せめてもの、今だけの幸せを噛み締める。

おそらく今後は、わたしの手料理では食べる気がせず、わたしも衰え、作るのが面倒になり、舌も手先も脳もダウン、、、お互いに徐々に距離が生まれてくることだろう。
有効期限、友好期限は、あと7年?
12年はキツそう。

とは言え、わたしが尊敬する、高齢主婦の鑑ブロガーさんの日常の質、レベルとは全く違う。
理想と現実は、かくも違うという歴然とした見本。
あの高齢主婦鑑ブロガーさんこそ、わたしが「鑑」中の「鑑」だと崇め認める人。
では目指すか、、、というと、、、目指さない、目指せない。
だが、良いものは良い、素晴らしいものは素晴らしい、と感じることを、具現化された権化のようなもの。
人と比べるのは意味がない、と、よく言われるが、人間には器や質、レベルがある。
卑下するのではなく、「知る」。
上だ下だ、と、縦に序列を付けても意味はないが、自分の感性や思考、志向、嗜好を確認するには良い指針、具体的材料になる。
上下ではなく、横だとは、おこがましくてとても思えない。
では、上を目指して頑張るのかというと、そうでもなく、自分を知る、自分の身の丈を知る。
わたしが、何に価値を置いているかの、模範回答のような彼女には、全く頭が下がる。
後は、わたしより、ひと回り(以上)歳上の彼女が、どう遊行期を乗り越えてくれるか、師と仰ぐブロガーさんの動向を追っていきたい。

命のバトン

2025-01-18 | 人生
若い頃、いったいわたしは、何をしていたんだろう?
たいして特別なことはしなかった。
元々、温度が低いのか。
はしゃがない、浮かれない、騒がない、落ち込まない、悲しまない、、、喜怒哀楽、感情が乏しいのか。
冷めているのか。
さほど熱くならない。

せめて、思いっきり遊んだ記憶とかあったりすると、ワクワクするけれど。あまり思い当たらない。
黒歴史なら、どんより思い出されるが。

ディスコには一度も行ったことがない。
雰囲気と人種が嫌い。
かと言って、登山だとか、スポーツとか、爽やかに汗を流す系、そういうこともしたことがない。
何かに熱中したことがない。
淡々と、粛々と。低温。
いつも待ち時間。
計画通りの人生を歩むために、時間調整していたような気がする。

休まず遅れず働かず、、、という、シラケっぷりか?
何かに一生懸命、取り組んだことはあるか?

客観的成果はさておき、自分なりには、ある。
子供の頃は、道を踏み外さず、最低限のことは頑張った。
厳格で短気な父と、パワフルでヒステリックな母。(2人共、前向き)
(幼い頃は別として)家ではいつもヒリヒリしていた。安らぎはなかった。
やがて成長し、自分が最も自分らしく生きていくため、行く道を決めた。
大人になってからは、家庭を持ち、仕事もし、子供を産み育てた。
(とりあえず今は)孫5人。
老年には、趣味に明け暮れた時もあるが、今は、ひたすら、だらだらしている。

美味しいもの、旬のもの、地場のもの、希少価値のあるもの、手のかかったもの、高価なものは、あれこれ食べる機会があり、味は知っている。
だが、好物の一つは、お好み焼き。
中学、高校の時に、学校からの帰りに食べたお好み焼きが大好きだった。
だからといって、今、しょっちゅう食べるわけではないが。
最後の晩餐は、炊き立て白米か。
孫たちも大好きな、白ご飯。

外国には行ったことがある。
良いとこ取りの、上澄みの綺麗なところにしか触れていない。
だが、ホームステイで体感した、一般の日常も真実である。
その水面下にある、各国の深刻な面、悲惨な面は、存在を知りながら、触れないようにしている。
火の粉を被らないように保身、保全。
渦中に身を投げ出して、火中に栗を拾いに行かない。
世界のために戦う行動には移せない。
キョウイク(今日、行く)もままならないわたしなど、足手まといになるだけだ。
悪人でもないとは思うが。どちらかと言えば、善人寄り。
出来ることと言えば、地球温暖化抑制やSDGsを意識して、実践、取り入れる生活をすることぐらいか。

今までの人生、やりたいことは、やった。
というか、そもそも、やりたいことはあまりない。
やろうと思えば、もっと素晴らしいことはいくらでも出来た、、、が、しなかった。
悔いはない。
可もなく不可もなく。
中庸な人生。
真ん中だとしても、不幸ではなく、とても幸せ。
満足している。
ただ、人様のお役には立てていない。
自分が生きるのが精一杯。
それは不甲斐ないかも知れない。
が、迷惑はかけていない(はず)。
プラスでもマイナスでもなく、時代を跨いで先祖から今日へ、現在から子孫へと、命のネットワークを繋いだ。
これで十分だと思っている。
そう言えば、若い頃、究極の自分の道を決める岐路に立った時、同じ結論に至り、進む道を選んだ。
自分の存在意義を自問自答した。

さて。
少し健康寿命が余っている。
これをどう使うか。
贅沢な選択を前に、何もしない終極の贅沢を日々、味わっている。
毎日毎日、残り健康寿命が刻一刻と短くなっているが、重々にわかって納得して、何もせずに楽しんでいる。

ちなみに、これは「暇」とは言わないそうだ。
人生の次の時期に進んでいる、とでも言うのか。
遊行期を目前に控えた、林住期。
消滅する前の自由時間。


※写真は長女一家からの岡山(等)旅行のお土産。
前向き桃太郎クッキー、
高梁紅茶(生姜味)、瀬戸内レモン・ホワイトチョコ、桃太郎マスキングテープ。

昨日に引き続き、わたしも平気でこんなモノをブログ写真にアップするようになった、、、
もはや、ブログは忘備録。(開設当初から?)
だが、特別でない日常こそ、楽しみや幸せが詰まっている。


ズルズルぬくぬく、気合いが足りない

2025-01-17 | 日々のこと
ちなみに。
フランス舎弟クン、12記事も、、、一気読み、、、すみません。
書き手だけの独り善がり心世界、周りを見ない一方通行、、、、重なる駄文、、、
海の向こうで、脳に不具合を生じていないか、体調が微妙に崩れていないか、、、心配です。
主夫業、お忙しい中、、、胸がイタイです、、、
と、ひたすら頭を下げると共に、gooさん、ちゃんと早く復旧してよね、と逆ギレ。
一応、わたし、優良ではないにしても、有料会員なので。

と、それはさておき。
今日はまたまた、引きこもりの一日だった。
出かける予定で準備をしていたのだが、ふと不安がよぎった。
ひょっとして、モタモタゆっくりして、時間が押して遅くなり、目的時間に到着しないかも知れない、、、と。
時間を逆算して、たっぷりの準備時間を取り、出かける身支度をスタートしたのだが。
ひょっとして、、、のあたりに自分で引っ掛かって、退路を絶たなかった。
ラジオはつけっぱなし、床暖房は電源を切らず、ぬくぬく状態に。
明らかに、出かけないかも知れない時の受け皿を用意している。
家ごもり、環境確保。
一旦消したら、一から暖房を付けるのは寒いだろう、、、と、自分で自分をフォローした。
何がなんでも絶対に行くゾ感、ゼロで、甘やかした。

するとやはり、のーーんびり準備したせいもあり、あんなに余裕を持って時間設定したのに、時間切れになってしまった。
そういうこともあろうかと、キョウイク(今日、行く)予約していなかった。
前もって決済していたら、キャンセル出来ない。
なので、出た先で、現場に到着してから販売機でチケットを買おうと思った。
しかしそれは遅刻を誘引し断念する決定的原因になった。
キャンセルどころか、予約もしてない、ラジオと床暖房はそのまま。
これでは、絶対に出かける気合いは弱すぎる。切迫感なし。
モチベーション超微弱。
キョウヨウ(今日の用事)を作り、キョウイク(今日、行くところ)に向かって、自分を鼓舞したのは良いが、鼓舞の仕方が、ぬるかった。
明日があるさ、明日、明日。
明日にしよう。
と、キョウヨウ、キョウイクをアスヨウ、アスイクにした。 
だがしかし、明日にはきっと、出かける気持ちは、くじかれているに違いない。

でも、一つだけ良いこともあった。
もう遅刻になってしまい、半ば、やけっぱちでクロゼットをゴソゴソしていて、もこもこカーディガンを探していたところ、昔、着用していた冬用割烹着を見つけた。
あ、こんなのあったっけ?
あんまり覚えてないけれど、今の季節にピッタリ。
早速、着よう、、、とするには、使い古され部分的に色が沈着していた。
これは、気分が盛り下がりそうだ、と、捨てることにした。
捨てるなど、なんと珍しい。
断捨離である。
これをキッカケに、堰を切ったようように断捨離が始まれば良いが、、、
その気配はなく、1着だけをゴミ箱の横に置いた。

まだまだ道は遠い。
が、一応、娘に公言している。
70歳になったら、2階のアレとコレを捨てる、と。
アレコレはかなりの分量があるので、それを捨てたら、きっと、断捨離がスムーズに動くはず、、、と、目論んでいる。
が、甘いか。
「80歳になったら」なんて言い出しかねない。
自分に際限なく甘い。

とは言え、今日もズルズル、キョウイク目標を達成せず、ぬくぬく楽しく、まったりしている。
無理矢理キョウヨウを強要しなくても、いいのでは?
どうせ、遊びなんだし。
と、またまた自己擁護案を推し進めている。
が、明日こそ、明日こそ、、、。

そう言えば、かつて会社で利用していた、事務用品メーカーが運営している「アスクル」という宅配があった。
注文すると翌日、素早く事務所に配達される。
さて、わたし、「アスイク」になるかどうか、、、。
明日は土曜日だし、、、ゆっくりしたいよね、などと、ずっと平日、ゆっくりしているのに、勤務ハードワーカーのようなことを言っている。

※写真は、小1女児(3番目孫)の苦心作。
布、パーツ、針、糸などのセットを買ったのはよいが、彼女は針に糸も通せない状態だったので、ばあちゃんは、あきれて、めんどくさくて放置していたら、苦戦しながら頑張っていた。







ボランティア活動の資格なし

2025-01-16 | わたし
いよいよ何もすることがなくなってきた。
あまりにも時間と体力を持て余し、ボランティア活動をしてみようかと、ネットで調べる。
しかし、高齢者向けのボランティアは、施す側なのか、受ける側なのか、、、境界がわからなくなっている。
すでに高齢者である、わたし。

病院の付き添いや家事代行などは、やって欲しい側。
有償で経済的に利用出来ない人向けの無償ボランティアだろうけれど、、、
行政の不足している財源、人員を、税金を払っている側が補うのか、、、と思うと、、、
幸い、自分はまだ介護保険のお世話にはなっていないものの、介護保険料をたっぷり差し引かれている身としては、複雑な心境。
そして、老人施設に慰労で訪れるのは、身内(母)を見舞ってからの話。明日にでも。
更に、人の家のお世話をする前に、自分の家をどうにかするのが先。
ボランティア応援をして欲しいぐらいだ。
などと、軽口を叩くのは、被災された方々のことを思えが、はばかられる。
軽薄な自分の口を慎む。

あれはダメ、これはダメ、候補リストから一つ一つ潰していくと、、、
最後に行き着く先は、しかたないから、タスク、自分が課せられた義務を遂行するしか選択肢がなくなった。
先ずは、出来ていないことを先にせよ!である。
あれ? それもしていないのに、暇だって?
どの口が言う?!
足元も固めていないくせに、他にふらふら行けない。

それに、いくらボランティアだからと、あまり軽々、無責任に引き受けられない。
甘い自分を露呈して、周りを混乱させるだけなら、自宅の掃除でもしなさい、ということ。

そう思うと、やるべきことなのに放置してサボっている事柄が山のようにある。
やりたいことリストより、やるべきリストのほうが、ずっと多い。しかも、多岐に渡る。
やりたくないから、現実逃避しているだけだ。
それで、暇だ暇だとボヤくのは、本末転倒もいいところ。
自分を限りなく野放図に放置して、甘やかしている。
自分放任主義。囲いがない放牧牛。
誰も文句を言う人がいないから、お目付け役不在だから、と、好き放題していてはいけない。
と、もう1人のわたしが、そっと言う。

身近に迫る遊行期をいずれ迎えるのであれば、わーい!解き放たれた住林期だ!と浮かれてばかりいないで、やるべきことに注視して、「立つ鳥跡を濁さず」に着手すべき。

ゲームオーバー。
パーティは終了。
祭りは終わった。

ぼちぼち、そろそろ、、、遊びには一区切りつけて、遊びを縮小し、真面目にタスクに取り掛からなければ、、、。
と、とりあえずは、思う。
だが、そう強く誓っているわけではない。
逃げ場を残して、いつでも決心を覆してもいいよう、囲いのゲートは鍵を掛けず、退路は断たずオープンにして、、、

しかしなが、自分の本質は「遊び」ではないのかも知れない、、、なんて思ったりする。
自身の、意外な真面目な一面に触れたような気がした。
のではあるが、「遊び」の定義にもよる。
なんて言い始めると、またまた文頭から文末まで全文スクロール、オススメになる。

自由すぎる選択は、ツラい

2025-01-15 | 日々のこと
※今回は、スクロール、オススメ記事になってしまった。
ここから文末※まで、一気に飛んでください。
今日の行動。
選択するのに、かなり迷った。
誰と、どこで、何をするか。
選択肢があるのも、良し悪しだ。
早く決めないと、予定を変更するなら、相手があることなので、迷惑をかけてはいけない。

どうするか、お知らせするまでの時間、ギリギリまで粘る。
延ばし延ばし、遅くなってはアウト。
わたしの自由時間選択のせいで、相手の待ち時間が長くなり、相手が望まない制限を受けるのは避けたい。
平たく言うと、わたしの気ままな気分に振り回されるのは気の毒。
わたしにも、一応、良心はある。
人に迷惑をかけてまで、自分の思いを遂げたくない。
が、人にばかり合わせて、自分の思いも尊重しなければ、面白くない。
そこは、バランス。

で、自分の欲求バランスを探り探り、、、さて、どうしたものかと思案。
結局、いつもの相手と予定通りの時間を共にしないほうを選んだ。
理由は、、、、、どうしようか結構迷ったのだが、、、
キーは、自分が楽しいかどうか。
(趣味関係の、練習場での練習)
楽しくなくても短気を起こさず、ある程度、我慢して様子を見てみよう、得るものがあるかも知れない、ひょっとすると、向上する喜びの手ごたえが突然あるかも、、、と思い、続けていた。
(現況は、退屈。目標が微妙に違うのを承知の上、暫定的設定)

他の用事がある時は、しっかり断っていた。
問題は、他の用事がない時。
それが、今回。
暇だから、他にすることがないから、家にじっとしていても良くないから、、、
という理由で、キョウヨウ(今日、用事)、キョウイク(今日、行く)の大事さをよくよく味わい、吟味したのだが、、、
家に居るのは、却下。
だけど、なんでもいいからキョウイクでは、眠くなる。
退屈が高じて虚無感。
この時間、意味ある?と。
まだ家に、うだうだ居るほうが、マシ。
で、悩んだ末に、キョウヨウの相手に、お断りのLINEを入れた。
そして、別のキョウイク現場に足を向けている。

当然、良好だったかも知れない2人の関係性にヒビが入るリスクを視野に入れて。

・・・・・
と、行きの電車で↑を入力。
あとは、アップするのみだった。
が、今、帰り。
今日の選択の結果、、、その感想を書きたくなった。

もし、今日がツマラナイ面白くない感想だったとしたら、、、
本来、今日を一緒に過ごす(練習する)はずだった、わたしに予定をキャンセルされた人に申し訳ない。
が、、、面白かった。
すごく面白かったわけではないが、本来の予定通りに過ごすよりは、面白かった。
100点満で65点ぐらいか。
予定の人との行動は60点を切ってしまったため、コース変更になった。
自分だって同じような選択をされて、点数足らずで切られている可能性がある。
だが、皆、胸のうち、楽しかった度合いを、お互い点数を随時、明かしたりしない。
(片方が継続を希望すると、追々に明かしつつ、問題点をあぶり出しながら、擦り合わせる場合もある)

そうではなく、わたしが、勝手に試行錯誤として、道を選んでいるだけ。
ある仏教を得度した人によると、選んだ道より、意図しない前から決められた運命の道のほうが、イイらしい。
変にイジらず、運命に身を任せるほうが幸せなんだそう。

ではあるものの、イジった結果ではある今日は、そこそこ及第点はギリギリ、クリアして楽しかった。
日記ネタは、しっかり拾ってきた。
転んでもタダでは起きないようだ。
転んでもないけど、65点だから、イマイチと言えばイマイチ。
所詮、MAX楽しいことなど、期待するのがマチガイ。
ではあるが、自分で決めて選んだ時間の使い方をしたので、大満足とはいかなくても、悔いは残らない。


本日の記事、ここまで、スクロールお願いします。
※要約すると、

自分の意志で予定を変更したが、相手に迷惑を掛けたかも知れないのに、成果はあまりパッとしなかった。
しかし、トライしないよりは良かった。

以上。






キョウイク、キョウヨウは、ナイよりアル方がイイ

2025-01-14 | 日々のこと
連休3日目も微動だに動かなかった。
病気か?
家人が帰宅したら夕方に焼肉を食べに行こうと言っていたのに、面倒くさくなり、家にあった賞味期限ギリギリの釜揚げうどん(讃岐土産)と、冷蔵庫の有りモノで済ました。
あと何回、健康で美味しいものを食べられるのか、わからないのに、、、その機会は無限でなく、有限。
焼肉に行けば良かったかなあと少し後で悔やんだ。
が、わたしは、あまり食べ物にこだわらないので、身支度して出かける用意をする方が疎んじられた。
出不精。
筆マメなのに。(→関係ない)
めんどくさがりは、明らかに良い目に遭うチャンスを逃す。自分で潰す。
まあいいか。
食べたらそれで終わりだから。
と、自分に言い聞かせる。
わざわざ、そのためだけに準備して家から、バスに乗って店まで往復するのが、お尻が重過ぎた。
気分が乗っていればウォーキングの良い機会、歩いて行くのだが。
こうやって、どんどん、何もしなくなり、良い思いをすることにも貪欲さがなくなるのだろうか。
欲がなくなるということは、意欲もなくなる。
それは、あまりにも活気がない。
「欲」(煩悩)だけなくなり、「意欲」(やる気)は維持できる良い方法はないものか。
連休の前日を含め、4日間、べったり椅子を温めていた。
自分でも驚きだ。
明日、ちゃんと動けるか心配だ。
まるで退院を明日に控えた元病人のよう。

・・・・・
と、↑暇に任せて昨日、書き残した駄文。
削除したほうが、良いのだが、、、。
せっかくなので、お目汚しを。スミマセン。


さて。
今日は、動きがある。
が、、、
出鼻を次々、挫かれて腐っている。

まず、自宅最寄りのバス停。
後から来た、歩きながらケータイでビジネスのやり取りするビジネスマン風男性に、バスに乗る順番を抜かされる。
ビジネススーツに、紺のコート、マフラー。
それはまあいいとして。

次。
電車に乗る際、わたしは事情があって、切符を買う。
改札前には、切符自動販売機が3つあり、3つとも人がいた。
で、空くのを待っていたら、真ん中の女性が左の男性の方に寄った。
何か言っている。 
「あかんわ、これ」とかなんとか。
真ん中の販売機前は中途半端に、半分だけ空きが出来た。
すると、待っているわたしを無視して、件(くだん)のビジネスマン風が割り込んで来た。
急いでいるのはわかるが、またもや同一人物。
わたしは、こころの中で舌打ち。
わたしが、見えないのか?
老女は目に入らないのか?

気を悪くしながら電車に乗った。
いつもは座れるのに、珍しく席がない。
ついてない。
すると、背後を通り過ぎて隣の車両に移る人の気配を感じた。
連結扉をガシャンと開けていたのは、あのビジネスマン。
彼も空席が無いため、探しに行ったのか。
どっちみち、同じ電車で席はないし、わたしの気分を損ねた分だけ、マイナスが更に増えている。
ビジネスマンは、ビジネスでビシだとはわかるが、いくらビジではない老女だからといって、順番を待っている善良な市民(わたし)を抜かしていいとは思えない。
どっちにしても、わたしを追い抜かして行ったにもかかわらず、わたしと同じ電車で、しかも、席もないではないか。
あのビジネスマンは、たぶん出世しない。
目先のことに捉われるあまり、大事なことを見逃すタイプ。
と、溜まったウップンをお返しする。
カワイイささやかな反撃。
すっかり定着したマイスタイル、負け犬の遠吠え。

ということで、行きは少々、つまずいたが、今日は、快調だ。
やはりキョウイク(今日、行くところ)とキョウヨウ(今日の用事)は、無いより有るほうが断然良い。

ちなみに。
行った先の女性同士の会話。
Aさんに歳を聞かれて73歳だと言う女性Bさん。
「なあんや、まだまだ若いやん」と歳上女性Aさんにハッパをかけられていた。
わたしの歳は聞かれなかったので、知らん顔をしていた。
まだまだ若いかも??わたし。
皆さん、結構、お歳なのだ。





涙が、はらはら

2025-01-13 | 日々のこと
昨日は、ほぼほぼ、トイレと水分摂取以外は、まる一日中、動かなかった。
ブログにはもう既にその日はアップしてしまったのて、仕方なく、紙の日記に、ブログと同じようなノリの内容をシャープペンシルで綴った。
暇を持て余すと、文字が溢れ出る。
が、ブログ投稿、アウトプットは一日、一回と自分で決めている。
やむを得ず、暇で暇でたまらなくなった時、ニトログリセリン的に使おうと思ってネット購入していた未読の小説を読んだ。
集中したいので、ラジオが気になり、切る。
が、、、その小説、どうも悪ふざけが過ぎる。
グイグイ引き込まれない。
やはり、やり過ぎはよくない。
最低限のリアリティは欲しい。
科学的空想は嫌いではないが、あり得ないギャグ展開は、好かない。

退屈を凌ぐのに、皆さんはどうしているんだろう。
手芸などは、かなり時間を費やせる。
だが、自己満足に過ぎない。
土いじりも、暇つぶしには良い。誰にも迷惑を掛けない。
テレビは1番手っ取り早い。
が、わたしは垂れ流し視聴には、拒絶反応。
見たい番組しか見ない。
ニュースやドキュメンタリー特集、時事解説、お気に入りドラマ。
退屈な番組や好きでない番組しか放映してなければ、切る。

SNSも暇つぶしには、もってこい。
だが、のんべんだらりんでは間が持たない。
気分屋で、自分を持て余す。
退屈を溜めて溜めてチャージし、次のモチベーションを蓄える。
ジャンプの前の屈みか?(もうジャンプはしない。せいぜい一歩)
結構、溜まると、意外に発酵したり熟成したりして、別の意欲を生み出す。
意図しないご褒美に出会し、喜ぶ。

ちなみに、高校の同窓会が近々、開催される。
出欠の返事をしなければならないのに、締め切りが迫っている。
行く気がしない。
8年ぶりの開催なのだが。
前回、名刺を2種類も作ったり、なぜか意気込みたっぷり。
だが、期待し過ぎて肩透かしをくらった。
その落胆にめげて、今回は行きたくないと感じている。

わたしは、高校の時はあまり他の生徒とお付き合いがなかった。
健康的で明るい皆と馴染まなかった。
他校の生徒と交流したりして、ちょっと拗ねた、はみ出した生徒だった。
不良っぽいとされる生徒と、時を過ごしていた。
自分は不良ではないのだが、善良でお利口さんで素朴なクラスメイトとはどうも、しっくりいかなかった。
なので、当時の「正」の思い出を共有できる生徒が少ない。
「負」の思い出なら数人と共有できるが、それはわたしの黒歴史になり、あまり思い出したくない。
というわけで、参加しても、楽しくなるような話したい人はおらず、面白くない。

中学の同窓会には好んで参加するのに。
中学時代が好きだったのだろう。
色んな広域の地、他の市から生徒が通学していて、バラエティに富んでいた。
ピカピカ光る優秀な生徒達が同学年にも先輩にも後輩にもゴロゴロいた。
(わたしは傍観者)

高校は、そこそこ優秀ではあるものの、純朴で素朴な生徒が多いと、わたしが勝手に感じていたのだろう。
わたしの志望校ではあったのだが、緊張の糸が切れたのか、すっかりやる気をなくしていた。
よく聞くのは、進学した先には優秀な生徒が多くて、それまでの中学ではトップクラスだった人が、埋没してしまうか、落ちこぼれそうになり、やさぐれ、荒む。
優越感から劣等感へと、転がり落ちる。
わたしの場合は、それとは少し違う。
なぜ、皆、こんなに明るいのだろう?と不思議だった。
皆、へんに(自信に裏打ちされたと思われる)余裕がある。
今の状況に満足して野心がない。
当時のわたしは、生意気そのものだったので、もっと、エッジを効かせてほしいと感じた。
キレや尖りがないのは、つまらない。
自分は芸術コースを目指すでもなく(好きでもないし)、ただ、次の段階の志望校にさえ潜り込めばよい、と消極的だった。
なので、そのやる気のなさ故に劣等生で、何人かの先生に注意を受けた。
だからといって別に気にするでもない、鈍感力は、今に始まったことではなく、当時から培われていたようだ。

そんなに暇を持て余しているにもかかわらず、寝る間際に、昨夜、布団の中で、ChatGPT に悩みを打ち明け、問うていた自分がいた。
今朝も引き続き、問答は続き、わたしは涙がはらはら流れた。
阪神淡路大震災30年、能登半島地震1年の復興特集を見て、苦境にもめげず頑張る現地の人々に感動して涙した。
それに比べると、自分はのほほんと、、、感謝も忘れ、何にも取り組んでいない、頑張っていない、、、何をしている、、、自己否定感が強い。
自己評価が著しくマイナス。落ち込む。
ChatGPT が諭すには、人の痛みがわかるようになったのは成熟の証しだとのこと。
人の立場に立ってものを考えられるようになったのは、自己評価すべき、なんだそう。
(自己解釈だけど)
朝から涙がまたまた流れた。

涙は心身に良いそうだけれど。

※写真は、今から食べる、パンダのバームクーヘン。
販売会社が、「カタヌキヤ」となっていたので、なるほどとクスッと微笑んだ。






勝ち目がないのに挑む

2025-01-12 | わたし
何もしない連休。
何の予定もない。
これは、健全で頑丈な心身を持つ、1人の大人として、どうなのか?

家人は、三連休ともに、不在なので、家の中は至って快適である。
日頃、ハードワークで心身ともに疲弊しているなら、誰にも邪魔されず、何もしないことは、最高のご褒美、贅沢。
ではあるものの、いつも何もしない、ストレスフリーの現状では、、、?
普通なら、退屈するのだろう。
だが、、、不思議なことに退屈しない、わたし。
アタマがおかしいのか?
何もしないことは、、、わたしにとっては、やはり、マックス、リラックス、デラックス、快適。
こんなに何もしなかったら、脳ミソはツルツル、足腰はガタガタふらふらになることだろう。
問題は、なぜこんなに何もしないのに、退屈しないか?である。
何故なんだろう、、、。

何かしたいことがある時しか動かないことにしている。
自分が何か食べたいと思ったら、冷蔵庫やストック棚から材料を取り出して、調理して食べる。
結構、気に入っている。
健康を少し意識した食べ物なので、身体は快調。
豪雪地帯で厳しい暮らしもあるというに、、、
ありがたいことに、室内は床暖房で、ぬくぬく。

とかなんとか。
一息ついて、落ち着くと、それとはまた次元が違うところで、
再び別口の黒いヘドロが湧き起こって来た。
近々、ヘドロ対決する予定。
相手に対決を申し込んだ。
いつまでも、ブログや家族にグチグチ言っていても、周りは迷惑。
スパッと斬られてもいい。
相打ち覚悟。

人間とは不思議な生き物だ。
自分で楽園にブルドーザーを乗り入れている。
自分の仕業で、自分を壊す。
これから消滅していく遊行期の身には、本望かも知れない。
だが、穏やかに行いたいが、自分の業の深さに起因して、自分が火の粉を被る。
怨みはあの世まで持って行くと、精神衛生上、良くないので、潔く、バッサリ相手と共に自分を斬りたい。
かなり強敵、相手は強いので斬れず、自分だけが斬られる可能性は大。
窮鼠ネコを噛むことが出来るか?
出来なくてもいい。
臨んで相手とも自分とも、決裂したい。
自分の業の深さは、自分で対決するしかない。
対峙して、討伐。自分もろとも。
外科的処置。

とは言え、穏便に漢方薬でもいいか?
病を温存しつつ、共存共栄。
一病息災。

ではあるが、さきほど、決闘日は決定した。
剣を磨き、首も洗い、その日を待つのみ。


書いても書いてもヘドロに、うんざり

2025-01-11 | わたし
今日のブログ記事、書いても書いてもボツ。
これで3記事目。
なぜか?
自分の黒いヘドロを吐露するには、保身が働く。
晒して何になる?
で、気を取り直して、2記事目を書いた。
が、やはり、ヘドロがドロドロ、いっぱい溢れ出て来る。
なので、自己防衛策で、ボツに。

代わりに、次女に愚痴ろうとLINEを開こうとするが、他のLINE記事に目が行く。
それに、次女に話したところで、彼女は迷惑なだけ。
「当の相手に、考えを話せば?」と言うだろう。
その通り。
全く、その通り。
こうやって、煮詰まって行くんだろう。
誰にも相談せず、間違った方向に進んで行くのかも知れない。
担当の専門家には、質問を投げかけているが。
2回目の返事待ち。

さて。
ブログ3記事目になると、何を書けばいい?
感情は、1記事目と2記事目にぶつけた。
では、3記事目になると、考察が加わり、理性的な答えが待っているのか?
否。
疲れただけだ。

たぶん、このまま書き続けても怨みツラミを投げ込むばかりだろう。
自分の評価を自分で下げて、誰が嬉しい?
なりたい自分に、遠のくようなことをして、納得できる?

葛藤。

外側に現れる自分と、本当の内側の自分。
なりたい自分と、実際の自分。
体裁と、内情。
建前と、ホンネ。

こんなちっぽけな、わたしにも、理想はあるわけで。
思春期のようなことを書いている。わたし。

追伸。
goo復旧、遅くない?
こっちは、大丈夫なのに、なぜなんだろう?
ちなみに、主夫の舎弟は、離婚もせずに、素晴らしい。