『トラブゾン狂騒曲 小さな村の大きなゴミ騒動』(原題:Der Müll im Garten Eden)
監督:ファティ・アキン
ハンブルク出身のトルコ系ドイツ人であるファティ・アキン監督。
その作品は、ヨーロッパ色よりもアジア色を濃く感じます。
『そして、私たちは愛に帰る』(2007)で胸を揺さぶられ、
『ソウル・キッチン』(2009)ではお腹まで満たされました。
そんな監督のドキュメンタリー作品ということで、
前回ナナゲイへ行ったさいに予告編を観て、絶対観たいと思ったのが本作でした。
監督の祖父母の故郷であるトルコ北東部、黒海に面するトラブゾン地域の村チャンブルヌ。
ドイツで生まれ育った監督は、2005年に初めてチャンブルヌを訪れます。
他の国ではおそらくべらぼうに高い価格設定がなされるであろう、
美しい風景に感銘を受けた監督は、そこがゴミ処理場の建設予定地となっていることを知ります。
1990年代半ばにはすでに持ち上がっていたこの建設計画。
当初はトラブゾンとリゼ両地域が候補地でしたが、
世界銀行と環境森林省が調査した結果、チャンブルヌの銅鉱山跡地が適地と発表。
地元住民の抗議も虚しく、ゴミが次々と運び込まれるように。
そんな一連の経緯を記録として残すべく、監督は撮影を開始します。
風に乗ってやってくる臭いにうんざりとする住民たち。
ゴミを運ぶために美しく整備されたのは住民にとって意味のない道路だけ。
管理が杜撰なことこのうえなく、大雨が降ればてんやわんや。
もともと多雨の地域なのだから、ちょっと考えればわかりそうなものなのに、
「想定外」だと役人がいう雨のせいで、有毒な汚水が海に流れ込みます。
そんな海ではしゃぐ子どもたちの笑顔に胸が痛むばかり。
ゴミ処理場や米軍基地の問題は難しいですね。
誰も自分の住んでいるところにはそんなものを造ってほしくない。
でもどこかに造らなければならない。
風景を壊すことなく、臭いや騒音に悩まされることなく、危険を感じることもない。
そんなことができればいいのでしょうけれど……。
通常、脚本も自ら担当し、作品のオリジナリティが高い監督。
本作はドキュメンタリーとしてはわりとありふれたもので、
これまでのフィクションのほうが作品としては優れているとは思います。
しかし、問題を提起して自分の問題として考えさせるという点で、観ておきたい作品かと。
監督:ファティ・アキン
ハンブルク出身のトルコ系ドイツ人であるファティ・アキン監督。
その作品は、ヨーロッパ色よりもアジア色を濃く感じます。
『そして、私たちは愛に帰る』(2007)で胸を揺さぶられ、
『ソウル・キッチン』(2009)ではお腹まで満たされました。
そんな監督のドキュメンタリー作品ということで、
前回ナナゲイへ行ったさいに予告編を観て、絶対観たいと思ったのが本作でした。
監督の祖父母の故郷であるトルコ北東部、黒海に面するトラブゾン地域の村チャンブルヌ。
ドイツで生まれ育った監督は、2005年に初めてチャンブルヌを訪れます。
他の国ではおそらくべらぼうに高い価格設定がなされるであろう、
美しい風景に感銘を受けた監督は、そこがゴミ処理場の建設予定地となっていることを知ります。
1990年代半ばにはすでに持ち上がっていたこの建設計画。
当初はトラブゾンとリゼ両地域が候補地でしたが、
世界銀行と環境森林省が調査した結果、チャンブルヌの銅鉱山跡地が適地と発表。
地元住民の抗議も虚しく、ゴミが次々と運び込まれるように。
そんな一連の経緯を記録として残すべく、監督は撮影を開始します。
風に乗ってやってくる臭いにうんざりとする住民たち。
ゴミを運ぶために美しく整備されたのは住民にとって意味のない道路だけ。
管理が杜撰なことこのうえなく、大雨が降ればてんやわんや。
もともと多雨の地域なのだから、ちょっと考えればわかりそうなものなのに、
「想定外」だと役人がいう雨のせいで、有毒な汚水が海に流れ込みます。
そんな海ではしゃぐ子どもたちの笑顔に胸が痛むばかり。
ゴミ処理場や米軍基地の問題は難しいですね。
誰も自分の住んでいるところにはそんなものを造ってほしくない。
でもどこかに造らなければならない。
風景を壊すことなく、臭いや騒音に悩まされることなく、危険を感じることもない。
そんなことができればいいのでしょうけれど……。
通常、脚本も自ら担当し、作品のオリジナリティが高い監督。
本作はドキュメンタリーとしてはわりとありふれたもので、
これまでのフィクションのほうが作品としては優れているとは思います。
しかし、問題を提起して自分の問題として考えさせるという点で、観ておきたい作品かと。