『台湾アイデンティティー』
監督:酒井充子
ナレーション:東地宏樹
ナナゲイにて、前述の『トラブゾン狂騒曲 小さな村の大きなゴミ騒動』とハシゴ。
『あの頃、君を追いかけた』を観たときに、これも必ず観ようと思っていました。
1895(明治28)年から1945(昭和20)年まで、日本の統治下にあった台湾。
日本語で教育を受けた“日本語世代”の老人たちを取材したドキュメンタリーです。
ナレーター役にはウィル・スミスや金城武の吹き替えを担当する東地宏樹。
いかにも声優らしい声に、ドラマティックな効果を狙ったのかと最初は違和感がありましたが、
淡々とした話し方でその違和感は消えました。
数多くの日本語世代のなかで、本作に主に登場するのは6人。
第二次世界大戦後の台湾で、統治国が日本から中華民国へと移り、
波乱に満ちた人生を送ることとなった6人です。
父親が反乱罪で処刑され、自身も17年にわたって国民党の尋問を受けた女性。
日本の統治下にあったころは幸せだったと語ります。
音楽が大好きだった父親はピアノを奏でて作詞作曲。
その影響で彼女を含む子どもたちはみんな音楽好きに。
そんな彼女と親しかった男性は、久しぶりの再会に嬉しそう。
柔和な顔つきで戦争に行くことが誇りだったと話しますが、
日本人になれればよかったけれどもなれなかったのだと涙ぐみます。
別の男性は、来日中に好きになった日本人女性と恋を実らせて結婚。
父親の具合が悪くなったのを期に台湾へ戻りたいと話したら、彼女も「ついていく」と。
教師の職を全うし、いまは多くの孫ひ孫にまで恵まれていますが、
先に他界した妻の話をするときには目を潤ませます。
政治犯として捕まった男性は、日本語ガイドならお手の物、旅行会社を設立。
出所した政治犯を多く雇い入れ、あんな輩を雇うなんてと言われれば、
「ここで面倒を見ればよそで悪いことはしないでしょ」。
ビジネスセンスに長けた凄腕と見え、順調に利益を伸ばしているようです。
終戦をジャカルタで迎えた男性は、今もインドネシアに。
同じ地に眠る戦友たちの墓に手を合わせ、自分もここで眠ることになると話します。
横浜の中華街近くに住む男性は、ずっと日本にいます。
帰化することも考えなかったわけではないが、
移民局の対応に釈然としないものを感じ、今も台湾人のまま。
でもまぁいいやと笑います。
近所の子ども、下宿のおばちゃんなどなど、
利害を抜きにして彼らと接する日本人がいたからなのか、
彼らは日本に対する恨み言はいっさい口にしません。
ただ、自分たちは生まれてきた国と時期が悪かった。
そんな彼らの話に、またまた『海角七号 君想う、国境の南』(2008)を思い出し、
しんみりしてしまうのでした。
「蒋介石が民主主義だなんて、へそで茶が沸くよ」と言う台湾人に、
こんな言葉まで使うのかとニヤリ。
監督:酒井充子
ナレーション:東地宏樹
ナナゲイにて、前述の『トラブゾン狂騒曲 小さな村の大きなゴミ騒動』とハシゴ。
『あの頃、君を追いかけた』を観たときに、これも必ず観ようと思っていました。
1895(明治28)年から1945(昭和20)年まで、日本の統治下にあった台湾。
日本語で教育を受けた“日本語世代”の老人たちを取材したドキュメンタリーです。
ナレーター役にはウィル・スミスや金城武の吹き替えを担当する東地宏樹。
いかにも声優らしい声に、ドラマティックな効果を狙ったのかと最初は違和感がありましたが、
淡々とした話し方でその違和感は消えました。
数多くの日本語世代のなかで、本作に主に登場するのは6人。
第二次世界大戦後の台湾で、統治国が日本から中華民国へと移り、
波乱に満ちた人生を送ることとなった6人です。
父親が反乱罪で処刑され、自身も17年にわたって国民党の尋問を受けた女性。
日本の統治下にあったころは幸せだったと語ります。
音楽が大好きだった父親はピアノを奏でて作詞作曲。
その影響で彼女を含む子どもたちはみんな音楽好きに。
そんな彼女と親しかった男性は、久しぶりの再会に嬉しそう。
柔和な顔つきで戦争に行くことが誇りだったと話しますが、
日本人になれればよかったけれどもなれなかったのだと涙ぐみます。
別の男性は、来日中に好きになった日本人女性と恋を実らせて結婚。
父親の具合が悪くなったのを期に台湾へ戻りたいと話したら、彼女も「ついていく」と。
教師の職を全うし、いまは多くの孫ひ孫にまで恵まれていますが、
先に他界した妻の話をするときには目を潤ませます。
政治犯として捕まった男性は、日本語ガイドならお手の物、旅行会社を設立。
出所した政治犯を多く雇い入れ、あんな輩を雇うなんてと言われれば、
「ここで面倒を見ればよそで悪いことはしないでしょ」。
ビジネスセンスに長けた凄腕と見え、順調に利益を伸ばしているようです。
終戦をジャカルタで迎えた男性は、今もインドネシアに。
同じ地に眠る戦友たちの墓に手を合わせ、自分もここで眠ることになると話します。
横浜の中華街近くに住む男性は、ずっと日本にいます。
帰化することも考えなかったわけではないが、
移民局の対応に釈然としないものを感じ、今も台湾人のまま。
でもまぁいいやと笑います。
近所の子ども、下宿のおばちゃんなどなど、
利害を抜きにして彼らと接する日本人がいたからなのか、
彼らは日本に対する恨み言はいっさい口にしません。
ただ、自分たちは生まれてきた国と時期が悪かった。
そんな彼らの話に、またまた『海角七号 君想う、国境の南』(2008)を思い出し、
しんみりしてしまうのでした。
「蒋介石が民主主義だなんて、へそで茶が沸くよ」と言う台湾人に、
こんな言葉まで使うのかとニヤリ。