「お客さんやでー」とか「お客さん来やはった」と言って三日地蔵を迎える奈良市丹生町。
およそ60軒で三日おきに各家を持ち回っていく地蔵さんは、縁側から出て行って隣家の縁側に持っていく。
持っていくときは少しでも軽くするように花挿し瓶の水を捨てておく。
自家や付近で咲いているお花を水挿しに挿しておいた。
F家では三日地蔵を受けたときに野の花のドクダミを挿した。
送られてきたときはやアザミが挿してあったという。
それから一週間も祀っていた。
基本は三日だというがそれぞれの家の事情で一日だったりすることもある。
受け入れてからの日々は湯飲みにお茶と高坏にご飯を供える。
ご飯はダイコンメシと決まっている。
ダイコンやったら地蔵さんが喜びはるからそうしているという。
三度、三度に供えるわけではなく、当家の食事にまかなうご飯を炊いたときになる。
家族構成の関係で一日一回もあれば二日に一回のときもあるがお茶は三度、三度と決まっている。
家の食事で作ったおかず料理も供える場合がある。
アゲ、シイタケ、コーヤドーフ、コンニャク、マメなどをその時に炊いたものやと話す。
魚や肉を使わない煮浸しであって、いわゆる精進料理。
ちなみにダイコンメシの作り方はといえば、千切りしたダイコンを水からお米と一緒に炊くのである。
千切りはナマスと同じ切り方だ。
その際、味付けにというて塩を一つかみいれておくそうで、味はまさしくシオメシ。
また、お汁を作ることもある。
それはやはりダイコンであってみそ汁になるらしい。
ダイコンの葉っぱは供えないが、ジャコと混ぜて醤油、味醂で味付けしてごま油で炒める。
これは家の食事で食べられる。
若いダイコンの葉(ダイコバと呼ぶ)が青々してとても美味いそうだ。
お産の神さんが回ってくるという三日地蔵の風習。
子安地蔵とも呼ばれる地蔵さんは「お産に失敗した人が丹生にはいーひんで。嫁に行った子も手を合わせたらお産をしくじったことがない。」と話される。
どっしりとした厨子に納められた地蔵は二体だそうだ。
引き出しには簪(かんざし)があるという。
傍らに置かれているのは瀬戸物の高坏を収納している弁当箱。
面白い名称だが丹生ではその名で呼ばれている。
この弁当箱の蓋には「昭和5年十二月吉日 今久保」の銘記があった。
当時の大工さんだったというから、その人が作って寄進したものと思われる。
母親から地蔵さんは大事に祀らなあかんと言われていたHさんが話すには、受け取ったら台に風呂敷を掛けてその上に置いていたそうだ。
台はミカン箱でもよかった。
今は座敷机になっているがそれでいいのだという。
隣家のKさんもそういているという。
それにダイコンメシを供えるのは地蔵さんを送る三日目の日だった。
床の間もお供えも違っていたのだとこのとき気がつかれたF家。
夕刻を迎える時間になってきた。
そろそろ行こかといって厨子を背中に担いだ娘さん。
嫁いだ娘さんは実家で同居している。
兄家族もともに暮らすF家は11人家族。
厨子の重さは肩にずっしりと食い込んだ。
「重たい」というたらお産が重くなるので禁句の言葉。
思いかけてもいえない厨子担ぎは家族の手助けを受けて門を出て行った。
三日地蔵を運ぶのは一人で行ったらあかんというが、そのときの家族の状況もあるので臨機応変。
場合によっては旦那さんや息子が担ぐこともあるし、車に乗せていくこともある。
いずれにしても運ぶのは人目を忍んで夕方時間である。
今回の手伝いは小っちゃな息子さん。
出発前には地蔵さんに手を合わせた子供さんだ。
弁当箱を手にして母親に随行した。
縁側で受け取ったK家。
新しい水を入れて花を挿す。
この花は旅だった家が供えたアジサイ。
それはそのままにしておき、線香をくゆらせて灯明に火を点ける。
その夜は地蔵さんにおましてから家の食事になる。
「(地蔵さんに)おまさんと先に食べることあるか」と先代から小言をいわれたそうだ。
(H22. 7. 7 EOS40D撮影)
およそ60軒で三日おきに各家を持ち回っていく地蔵さんは、縁側から出て行って隣家の縁側に持っていく。
持っていくときは少しでも軽くするように花挿し瓶の水を捨てておく。
自家や付近で咲いているお花を水挿しに挿しておいた。
F家では三日地蔵を受けたときに野の花のドクダミを挿した。
送られてきたときはやアザミが挿してあったという。
それから一週間も祀っていた。
基本は三日だというがそれぞれの家の事情で一日だったりすることもある。
受け入れてからの日々は湯飲みにお茶と高坏にご飯を供える。
ご飯はダイコンメシと決まっている。
ダイコンやったら地蔵さんが喜びはるからそうしているという。
三度、三度に供えるわけではなく、当家の食事にまかなうご飯を炊いたときになる。
家族構成の関係で一日一回もあれば二日に一回のときもあるがお茶は三度、三度と決まっている。
家の食事で作ったおかず料理も供える場合がある。
アゲ、シイタケ、コーヤドーフ、コンニャク、マメなどをその時に炊いたものやと話す。
魚や肉を使わない煮浸しであって、いわゆる精進料理。
ちなみにダイコンメシの作り方はといえば、千切りしたダイコンを水からお米と一緒に炊くのである。
千切りはナマスと同じ切り方だ。
その際、味付けにというて塩を一つかみいれておくそうで、味はまさしくシオメシ。
また、お汁を作ることもある。
それはやはりダイコンであってみそ汁になるらしい。
ダイコンの葉っぱは供えないが、ジャコと混ぜて醤油、味醂で味付けしてごま油で炒める。
これは家の食事で食べられる。
若いダイコンの葉(ダイコバと呼ぶ)が青々してとても美味いそうだ。
お産の神さんが回ってくるという三日地蔵の風習。
子安地蔵とも呼ばれる地蔵さんは「お産に失敗した人が丹生にはいーひんで。嫁に行った子も手を合わせたらお産をしくじったことがない。」と話される。
どっしりとした厨子に納められた地蔵は二体だそうだ。
引き出しには簪(かんざし)があるという。
傍らに置かれているのは瀬戸物の高坏を収納している弁当箱。
面白い名称だが丹生ではその名で呼ばれている。
この弁当箱の蓋には「昭和5年十二月吉日 今久保」の銘記があった。
当時の大工さんだったというから、その人が作って寄進したものと思われる。
母親から地蔵さんは大事に祀らなあかんと言われていたHさんが話すには、受け取ったら台に風呂敷を掛けてその上に置いていたそうだ。
台はミカン箱でもよかった。
今は座敷机になっているがそれでいいのだという。
隣家のKさんもそういているという。
それにダイコンメシを供えるのは地蔵さんを送る三日目の日だった。
床の間もお供えも違っていたのだとこのとき気がつかれたF家。
夕刻を迎える時間になってきた。
そろそろ行こかといって厨子を背中に担いだ娘さん。
嫁いだ娘さんは実家で同居している。
兄家族もともに暮らすF家は11人家族。
厨子の重さは肩にずっしりと食い込んだ。
「重たい」というたらお産が重くなるので禁句の言葉。
思いかけてもいえない厨子担ぎは家族の手助けを受けて門を出て行った。
三日地蔵を運ぶのは一人で行ったらあかんというが、そのときの家族の状況もあるので臨機応変。
場合によっては旦那さんや息子が担ぐこともあるし、車に乗せていくこともある。
いずれにしても運ぶのは人目を忍んで夕方時間である。
今回の手伝いは小っちゃな息子さん。
出発前には地蔵さんに手を合わせた子供さんだ。
弁当箱を手にして母親に随行した。
縁側で受け取ったK家。
新しい水を入れて花を挿す。
この花は旅だった家が供えたアジサイ。
それはそのままにしておき、線香をくゆらせて灯明に火を点ける。
その夜は地蔵さんにおましてから家の食事になる。
「(地蔵さんに)おまさんと先に食べることあるか」と先代から小言をいわれたそうだ。
(H22. 7. 7 EOS40D撮影)