マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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北野で聞いた行商

2010年08月17日 07時31分52秒 | 民俗あれこれ(売る編)
採れたもんは朝4時に出荷していた。

5時には市場へ持っていった。

八尾や京都、神戸、大阪までお父さんが運んでいたと話すIさんの奥さん。

「おまえはどこから来たんや。『大和から』と言うたら驚かれた」という。

大阪では通天閣の灯りを見てから京都に行った。

着いた時間は朝5時だったそうだ。

どんどんと荷物が汽車でやってくる。

それを見届けてから帰宅していた。

I家は山添村北野で酒屋をしていた。

それ以外のモノも売っていた。

奥さんは始発のバスに乗って奈良から近鉄電車で鶴橋に買い出しをしていた。

サバやおジャコを買っていた。

百匁でなんぼと売っていた。

昭和45年からお孫さんが幼稚園だったというから平成9年ころまで買い出しをしていたのであろう。

現金で支払って、当時の値段は250円だったそうだ。

イワシとか小魚も買っていた。

買ったものは段ボール箱に詰めて風呂敷に包んで担いでいた。

アブラゲ、トーフも買って、段ボール箱の底が湿るのでビニールを敷いていた。

水分がないヒダラ(干ダラ)も買った。

ヒダラは棒ダラだった。

マダラは身が厚かって、値段も高かったけど美味しかったそうだ。

それは水にはめて塩抜きした。

酢をかけて年中食べていたという。

荷物は運賃を取られた。

エフ(荷札)を付けて荷物台を払った。

急行電車で通っていたころ、同業の人たちで車内はいっぱいだったという。

乗り合わせた人には伊勢で買ったおジャコを袋詰めしていたと回顧される。

10日にいっぺんぐらい。

北野の店の売りもんが切れたころに買い出しに行って12時半には帰宅していた。

鶴橋は中卸しの店がずらりと並んでいた。

テンプラ屋さんもあった。

その店の主人はテンプラを食べさせてくれた。

後日に来たときは家で採れた野菜を持っていって礼をした。

子供を連れていったら買い与えることが多なって遅なったと話される。

北野の店にはお菓子も売っていた。

大阪の松屋町だ。

お菓子の卸しや人形の町として知られている。

松屋町は親しみをこめて「まっちゃまち」と呼んでいる。

北野にはお菓子屋さんが出前販売をしに来ていた。

春日井のセンベイとか売りに来ていた。

毎月の集金のときにお菓子を持ってきてくれた。

お菓子を買いにくるのは子どもたち。

クジ付きのお菓子も売った。

三角クジの袋を店前でつらくっていた。

独楽が当たったら子供は大喜びだったそうだ。

鶴橋の買い出しのときに荷物が少なかったら子供の好きなものも買っていた。

当時のその様子を語るIさん。

そういえばといって、行商で使っていた風呂敷を蔵から探し出してくれた。

嫁入りのときに母親が手縫いしてくれた風呂敷。

反ものを4枚繋いだ四角い風呂敷。

これに買いだしたものを包んで近鉄電車、バスに乗り継いでいたという。

腰で支えた風呂敷包みは重たかった。

「ちょっと、そこ。のいた、のいたー」といって市場を通り抜けたそうだ。

結びを肩にかけて買いだししたものを持ち帰った。

木綿糸で縫った刺繍の柄は蛇の目傘をデザインしたものだ。



昭和の年代には近鉄電車で見た行商姿のご婦人たちを思い出した。

(H22. 7.10 EOS40D撮影)