丹生町には旧地名が残っている。
北野山町との境にはマトバやカンジョウの名がある。
新道ができてからは判りにくくなっているが、そこはまさしく行事がされていたであろう旧地名だ。
マトバは的場。
おそらく弓打ちがなされていたのであろう。
カンジョウは勧請掛け。
悪病が入り込まないように綱(縄)を掛ける場だったと思われる。
トンヤ坂の地名も残っている。
今は布目ダム。
ダムができるまでは布目川だった。
川で運ばれてきた荷物はトンヤ口で下ろして上げていた。
トンヤは問屋の名残であろう。
テラジは寺の跡。
シロヤマは城山。
ヤオトメは山越えの峠道だ。
秋祭りに欠かせないのが半身のサバズシ。
竹の皮を敷いてサバを載せる。
それをくるんで藁で縛り重しで締める。
発酵しかけたサバは焼いて食べるという。
近隣の山添村北野、桐山、的野、峰寺、松尾、室津もその味わいがあるという。
F家の菩提寺は北野山町の明王院。
9月3日はイセキがあるといって当主も行かれる。
町は20軒。
本堂を開けてお供えをする。
村人みんなが寄ってきて屋外で過ごす。
昔は盆踊りをしていたそうだ。
イセキは会式が訛ったのであろう。
また、神社では元服の式典があるというが対象の15歳の子供がいない。
盆踊りは丹生でもしていた。
「丹生はよいとこ 住みよいところ とってんしゃん とってんしゃん」と丹生音頭で踊った。
「喰うに困れば丹生へ行け」と囃したのはトノサマオドリ。
今ではゴウシュウ音頭だけになったそうだ。
お盆の時には「モチヌスミ」の風習があった。
8月13日の晩だ。
その日はガキダナを作って先祖さんを迎える。
ガキダナの底にはドロイモ(サトイモ)の葉を広げて皿にする。
その上にカキの葉に乗せたナスやマメのた(炊)いたん、ナツメ、キュウリに湯がいたソーメンを置く。
傍らにはチョマ(苧麻)で作った一膳の箸。
チョマは水に浸けて柔らかくする。
皮を剥いだら真っ白になる。
ガキダナは縁側近く、戸袋付近に置いて、その横にはタラミ(箕)に乗せたモチがある。
するとガキサンと呼ばれる子どもたちがモチ盗みに来る。
モチをたわらして(賜るが訛って、たばる、さらにたわると訛る)いたと話された。
モチの他には水で練った米粉のオチツキダンゴもあったそうだ。
(H22. 7. 7 EOS40D撮影)
北野山町との境にはマトバやカンジョウの名がある。
新道ができてからは判りにくくなっているが、そこはまさしく行事がされていたであろう旧地名だ。
マトバは的場。
おそらく弓打ちがなされていたのであろう。
カンジョウは勧請掛け。
悪病が入り込まないように綱(縄)を掛ける場だったと思われる。
トンヤ坂の地名も残っている。
今は布目ダム。
ダムができるまでは布目川だった。
川で運ばれてきた荷物はトンヤ口で下ろして上げていた。
トンヤは問屋の名残であろう。
テラジは寺の跡。
シロヤマは城山。
ヤオトメは山越えの峠道だ。
秋祭りに欠かせないのが半身のサバズシ。
竹の皮を敷いてサバを載せる。
それをくるんで藁で縛り重しで締める。
発酵しかけたサバは焼いて食べるという。
近隣の山添村北野、桐山、的野、峰寺、松尾、室津もその味わいがあるという。
F家の菩提寺は北野山町の明王院。
9月3日はイセキがあるといって当主も行かれる。
町は20軒。
本堂を開けてお供えをする。
村人みんなが寄ってきて屋外で過ごす。
昔は盆踊りをしていたそうだ。
イセキは会式が訛ったのであろう。
また、神社では元服の式典があるというが対象の15歳の子供がいない。
盆踊りは丹生でもしていた。
「丹生はよいとこ 住みよいところ とってんしゃん とってんしゃん」と丹生音頭で踊った。
「喰うに困れば丹生へ行け」と囃したのはトノサマオドリ。
今ではゴウシュウ音頭だけになったそうだ。
お盆の時には「モチヌスミ」の風習があった。
8月13日の晩だ。
その日はガキダナを作って先祖さんを迎える。
ガキダナの底にはドロイモ(サトイモ)の葉を広げて皿にする。
その上にカキの葉に乗せたナスやマメのた(炊)いたん、ナツメ、キュウリに湯がいたソーメンを置く。
傍らにはチョマ(苧麻)で作った一膳の箸。
チョマは水に浸けて柔らかくする。
皮を剥いだら真っ白になる。
ガキダナは縁側近く、戸袋付近に置いて、その横にはタラミ(箕)に乗せたモチがある。
するとガキサンと呼ばれる子どもたちがモチ盗みに来る。
モチをたわらして(賜るが訛って、たばる、さらにたわると訛る)いたと話された。
モチの他には水で練った米粉のオチツキダンゴもあったそうだ。
(H22. 7. 7 EOS40D撮影)