土用入りの日は柳生町。
2日後の土用さぶろうの日は柳生下町で行われている土用垢離。
下町の柳生十二人衆(※実際は十人衆)は早朝に下町公民館(中宮寺)に集まってきた。
老主の挨拶で始まった土用垢離。
上の柳生町では見られなかった腰縄作り。
用意された藁束から数本ずつ抜き取って一本の縄を編んでいく。
継ぎが1回されると長くなる。
2回する人もいるが自分の腰回りを計算したので長さがピタリと決まる。
出来上がったら腰に巻いて「上出来だ」と笑顔を見せる。
25年前の記録によれば藁草履も作っていた。
今日の行事に使うだけの藁草履はいつしか簡略化されてゴム製のスリッパに変身していた。
出発時間までは余裕がある。
藁草履を作っていた時間がなくなったからだという。
「ハナゴをすげる(取り付けるの意)のに使っていた」と語る長老。
当時使われていた藁草履の鼻緒通しの竹串が記念に残されている。
一本は先が細くなっている。
用途によって太さが違ったのであろう。
下町では公民館の廊下に祭壇を設えていた。
塩、洗い米、お神酒に野菜、サバ魚の神饌を供えている。
面白いといえばそうだが、サバの缶詰めを供えているのも愛嬌がある。
傍らには黒数珠と竹の柄杓を供えている。
白装束姿に身を固めて腰縄でお腹を締めた十二人衆。
首から数珠を下げるのが正式だといってその姿を見せるのは老主だけである。
他の者は特段決まっていないと言って腰縄や装束に付ける人もいる。
スリッパを履いて祭壇の前に整列した。
灯明に火が点された。
老主は前に進み出て土用垢離の祝詞を奏上する。
一同拝礼。
上の柳生町と同様に陰燈籠(かげとうろう)<大正十四年十月二十八日正還宮執行とある>も下げて歩くのだが火は点されない。
垢離の祭場へ渡御する順は上の柳生町と同じだ。
編み笠を被る人や帽子の人もいるがこれも決まっていない。
25年前の記録では被る人は一人もいなかったようだ。
下町の垢離祭場の磐境(いわさか)は堂坂橋付近。
今川(柳生川)の下流で川内から集めた石で組んだ岩場に神饌が供えられる。
その前が磐境。
中央にはご神体が置かれている。
上の柳生町では四本の青竹で囲んでいたが下町は二本である。
十二人衆の並び方も異なって横一列になる。
中央は禰宜(ねぎ)と呼ばれている老主。
降神の祝詞を奏上する。
そして始まった竹杓子の水垢離。
「ひー、ふー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー」と唱えながら磐境(いわさか)に向けて竹柄杓で川水を掻いていく。
唱える回数は8回と決まっている。
それを12回繰り返す。
「いささか短かったか」と老主は言った。
神饌や竹杓子は斎場に残して1回目の土用垢離を終えた。
戻ってきた公民館でひとときの休息を得る。
かんかん照りの夏日。
立っているだけでも汗が流れ落ちる。
土用の入りからさぶろうの日の期間は雨が少ないとされる。
土用干しの言葉があるように、最も雨が少ない期間なのであろう。
2回目はその1時間後に出発した。
陰燈籠を先頭にお渡りが始まったが2回目ともなれば緊張感が解けた様相だ。
水垢離の作法は1回目と同じ。
老主の唱和で声を合わして水を掻く。
整然と川水を掻く。
ご神体に向けて水を掛け、我が身体も水で身を清める。
土用垢離は水によって身を清める禊ぎなのである。
3回目が始まるまではゆったりと身体を休める時間になる。
パック詰め料理をいただいて酒を飲む。
十二人衆の語りの時間が過ぎていく。
ほろ酔い加減で眠気もでる。
この時間の籠もりは昼寝の時間でもある。
かつては布団を持ってきて一晩泊まったという。
これこそまさしく籠もりなのである。
1時間以上も寝ていたおかげだろう、静養した身体はシャキッと復活して3回目の垢離に向かって川を降りた。
これまでと同じように「ひー、ふー、みー、よー・・・」と八つ数えて柄杓で水を掻くのだが老主は昇神の祝詞を奏上される。
所定の回数を12回繰り返した水掻きをこなして土用垢離を終えた。
そして祭場の磐境は元の状態に戻していく。
神饌を川に流し、ご神体も元の位置に戻った。
その後の行為は上の柳生町では見られなかった腰縄切り。
堂坂橋の上で腰縄をカマで切断する。
それは橋の上から川に投げ捨てられた。
「断ち切り」といって、祓いの作法における決別を意味する行為だ。
藁草履があった時代は鼻緒を切っていたという。
行為に多少の違いは見られるものの柳生町と柳生下町で行われている土用垢離は極めて珍しい行事であろう。
「柳生だけの行事や」と語る柳生十二人衆は、秋祭りには田楽装束に着替えて登場する。
なお、柳生町および柳生下町の土用垢離は、「柳生の宮座行事」において十二人衆が秋祭りに入る前の精進潔斎の行為であって、一連の行事として県重要無形文化財に指定されている。
※宮司および十二人衆老主の許可を得て記録取材させていただきました。厚く御礼申しあげます。
(H22. 7.22 EOS40D撮影)
2日後の土用さぶろうの日は柳生下町で行われている土用垢離。
下町の柳生十二人衆(※実際は十人衆)は早朝に下町公民館(中宮寺)に集まってきた。
老主の挨拶で始まった土用垢離。
上の柳生町では見られなかった腰縄作り。
用意された藁束から数本ずつ抜き取って一本の縄を編んでいく。
継ぎが1回されると長くなる。
2回する人もいるが自分の腰回りを計算したので長さがピタリと決まる。
出来上がったら腰に巻いて「上出来だ」と笑顔を見せる。
25年前の記録によれば藁草履も作っていた。
今日の行事に使うだけの藁草履はいつしか簡略化されてゴム製のスリッパに変身していた。
出発時間までは余裕がある。
藁草履を作っていた時間がなくなったからだという。
「ハナゴをすげる(取り付けるの意)のに使っていた」と語る長老。
当時使われていた藁草履の鼻緒通しの竹串が記念に残されている。
一本は先が細くなっている。
用途によって太さが違ったのであろう。
下町では公民館の廊下に祭壇を設えていた。
塩、洗い米、お神酒に野菜、サバ魚の神饌を供えている。
面白いといえばそうだが、サバの缶詰めを供えているのも愛嬌がある。
傍らには黒数珠と竹の柄杓を供えている。
白装束姿に身を固めて腰縄でお腹を締めた十二人衆。
首から数珠を下げるのが正式だといってその姿を見せるのは老主だけである。
他の者は特段決まっていないと言って腰縄や装束に付ける人もいる。
スリッパを履いて祭壇の前に整列した。
灯明に火が点された。
老主は前に進み出て土用垢離の祝詞を奏上する。
一同拝礼。
上の柳生町と同様に陰燈籠(かげとうろう)<大正十四年十月二十八日正還宮執行とある>も下げて歩くのだが火は点されない。
垢離の祭場へ渡御する順は上の柳生町と同じだ。
編み笠を被る人や帽子の人もいるがこれも決まっていない。
25年前の記録では被る人は一人もいなかったようだ。
下町の垢離祭場の磐境(いわさか)は堂坂橋付近。
今川(柳生川)の下流で川内から集めた石で組んだ岩場に神饌が供えられる。
その前が磐境。
中央にはご神体が置かれている。
上の柳生町では四本の青竹で囲んでいたが下町は二本である。
十二人衆の並び方も異なって横一列になる。
中央は禰宜(ねぎ)と呼ばれている老主。
降神の祝詞を奏上する。
そして始まった竹杓子の水垢離。
「ひー、ふー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー」と唱えながら磐境(いわさか)に向けて竹柄杓で川水を掻いていく。
唱える回数は8回と決まっている。
それを12回繰り返す。
「いささか短かったか」と老主は言った。
神饌や竹杓子は斎場に残して1回目の土用垢離を終えた。
戻ってきた公民館でひとときの休息を得る。
かんかん照りの夏日。
立っているだけでも汗が流れ落ちる。
土用の入りからさぶろうの日の期間は雨が少ないとされる。
土用干しの言葉があるように、最も雨が少ない期間なのであろう。
2回目はその1時間後に出発した。
陰燈籠を先頭にお渡りが始まったが2回目ともなれば緊張感が解けた様相だ。
水垢離の作法は1回目と同じ。
老主の唱和で声を合わして水を掻く。
整然と川水を掻く。
ご神体に向けて水を掛け、我が身体も水で身を清める。
土用垢離は水によって身を清める禊ぎなのである。
3回目が始まるまではゆったりと身体を休める時間になる。
パック詰め料理をいただいて酒を飲む。
十二人衆の語りの時間が過ぎていく。
ほろ酔い加減で眠気もでる。
この時間の籠もりは昼寝の時間でもある。
かつては布団を持ってきて一晩泊まったという。
これこそまさしく籠もりなのである。
1時間以上も寝ていたおかげだろう、静養した身体はシャキッと復活して3回目の垢離に向かって川を降りた。
これまでと同じように「ひー、ふー、みー、よー・・・」と八つ数えて柄杓で水を掻くのだが老主は昇神の祝詞を奏上される。
所定の回数を12回繰り返した水掻きをこなして土用垢離を終えた。
そして祭場の磐境は元の状態に戻していく。
神饌を川に流し、ご神体も元の位置に戻った。
その後の行為は上の柳生町では見られなかった腰縄切り。
堂坂橋の上で腰縄をカマで切断する。
それは橋の上から川に投げ捨てられた。
「断ち切り」といって、祓いの作法における決別を意味する行為だ。
藁草履があった時代は鼻緒を切っていたという。
行為に多少の違いは見られるものの柳生町と柳生下町で行われている土用垢離は極めて珍しい行事であろう。
「柳生だけの行事や」と語る柳生十二人衆は、秋祭りには田楽装束に着替えて登場する。
なお、柳生町および柳生下町の土用垢離は、「柳生の宮座行事」において十二人衆が秋祭りに入る前の精進潔斎の行為であって、一連の行事として県重要無形文化財に指定されている。
※宮司および十二人衆老主の許可を得て記録取材させていただきました。厚く御礼申しあげます。
(H22. 7.22 EOS40D撮影)