マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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菅生大垣内愛宕社あたごさん

2010年09月08日 07時24分39秒 | 山添村へ
7月24日は山添村管生の愛宕祭の日だった。

いつしか集まりやすい日曜日になった。

昼過ぎ、当番の人は十二社神社の参籠所の鍵を開けにきた。

お酒を澗する用具やカラオケセットも持ち込まれた。

そして次から次へと訪れる村の人たち。

手には風呂敷に包んだごっつぉ。

愛宕さんの祭りはお酒と持ってきた食べ物で参籠するのだ。

朝早くは愛宕社の清掃だった。

雑草を刈り込んで綺麗にした社。

小高い丘の頂上に鎮座する。

火の見櫓と大きな三枚磐が目印の社だ。

集まってきたのは愛宕参りをされている愛宕講のみなさん。

大垣内の17軒だ。

大垣内はオオガイト。

大海道(オオガイドウ)とも呼ぶそうだ。

愛宕参りは講の代表者二人が5月17日に参ってきた。

愛宕の代参だ。代参は毎年クジで決まる。

1月7日は七草粥に山の神。

それを終えて講のヤドに集まる。

そこで行われるのが代参決めのフリアゲ。

茶碗に氏名を記した紙片を入れて半紙を被せる。

中央には穴が開けられる。

茶碗を持ってポンと振り上げる。

出てきた名を呼び出す。

それが代参のフリアゲクジだ。

その二人は京都の愛宕神社へ参って「火の用鎮(心)」のお札を授かってくる。

鎮座する愛宕山を登るには2時間。けっこうきついと話す。

嫁入りしてから3度も参ったことがあると話す婦人。

お札は軒数よりも一枚多い。

それは火事に見舞われた家の分だという。

今はない。

「大垣内の長い歴史の間、火事など起きても神さんを信心してたら小火(ボヤ)で済んだ」と語る長老。



しばらくすると大きな重箱を抱えて四人がやってきた。

「ゴクツキ」と呼ばれている人たちだ。

重箱は「オオジュウ」と呼ばれている。

どの家にもある重箱だという。

そこには搗きたてのモチが入っている。

小さなモチの上に並ぶ平たく大きなモチ。

それはカサモチと呼んでいる。

1箱に5枚は入っているそうだ。

小さなモチには秘密がある。

そう書けば誰しも「お金」と言い当てるであろう。

ご縁ができますようにと5円が仕込まれている。

清潔さを考慮してラップされた5円。

これを手に入れるモチマキはお楽しみ争奪戦になることは間違いない。

大事に抱えてきたオオジュウは愛宕社に供えられ四人は手を合わせる。

講中は揃ってお参りをするわけでもない。

一人一人がやってきて愛宕社に手を合わせる。

神職もなく神事もない愛宕さんの祭りだ。



愛宕さんの祠が鎮座するのは小高い丘。

大きな磐が斜めに立っている。

磐をも含めたこの丘が愛宕さんだという。

ゴクツキが抱えてきたオオジュウは参籠所の上座に置かれる。

区長の挨拶が終わったら「サケツギ」はお燗したお酒を注ぎに回る。

お酌を受けるのはもちろん家から持ってお猪口だ。

缶ビールも座席に運ばれる。

それから2時間以上も経過した。

参籠所内は談笑の声が大きくなった。

男性、女性に別れているが特に決まりはない。

酒好きな人同士が席近くになるだけだという。

お酒の量はさらに増え続け、「モチマキは明日の朝8時や」と声が乱れ飛ぶ。

こういう掛け声がでるのは名残惜しさであろう。

お酒の調子が良くてごきげんなのだ。

いつまでも飲み(コミュ)ニケーションしたい気持ちの現れもむなしくモチマキが始まった。

四人の「ゴクツキ」はオオジュウを抱えて四方に散らばった。



その前に群がる講中。

手に入れたモチはご縁があっただろうか。

以前は子供もたくさん来たというモチマキ。

凄まじさは終宴の座敷に残された藁の数だけある。

(H22. 7.25 EOS40D撮影)