大和ではお盆の時期に鉦を叩いて町内を巡り、先祖供養をする念仏講の集団がある。
旧村にはそれぞれにあったとされている。
無形民俗文化財に指定されている安堵町の六斎講や八島の念仏鉦講が知られている。
大和郡山の井戸野町でもかつて存在していた。
それを証明する念仏鉦が残されている。
その念仏講はどのような形態であったのかは資料も残されていないのでその様子を伺うことは出来ない。
井戸野町からおよそ500メートル南に白土町がある。
そこでは現在も念仏講が現存しているという。
白土の念仏講は大人の念仏講と子供の念仏講がある。
二つの講の成立を示す資料はないが同時期に始まったとされている。
講中は両方に所属するわけではない。
大人の念仏講に所属する家は子供の念仏講には入っていない。
逆もそうである。
そのようなことだからお互いがどのような念仏をしているか詳しくは判らないという。
大人の念仏講は年に一回。
8月の13日(後日に判明した日は7日だった)の夜に新仏の家に参って念仏鉦を打つ。
一方、子供の念仏講は盆入りの7日から先祖送りの前日の14日まで毎夕方に行われている。
太鼓打ち、鉦叩きは講中の男児で行われている。
女児はそれに参加することはできない。
少子化の波は白土にも当てはまり子供は少ない。
生まれても女児が多いという。
今年のヤク(当番)いなるK家では3人目にやっと男児が生まれた。
一歳になる子供もこれに参加することができ、「やっと講中に貢献することができるようになった」と目を細める。
男児の年長は小学6年生。
中学になると卒業する。
K氏は32年前に体験していた子供の念仏講を語り始めた。
チャンチャン、チャチャチャと打ち鳴らす念仏鉦。
その音色から子供のチャチャンコと呼ばれている。
先導は音頭取りの太鼓打ち。
この音に合わせて鉦を打つ。
タイミングが合わなかったら「もういっかいや」と言われたと話すルートを教えてくださったもう一人のK氏。
同じく45歳。
二人の息子が鉦を叩くそうだ。
子供の念仏講は夕方近くに浄福寺に集まる。
そこがスタート地点。
念仏講とお寺の関係は特にないという。
先頭は太鼓叩き。
バチを持つ。
2番手は太鼓持ち。
紐を肩から掛けて担ぐ。
それに続くのは鉦叩き。
小さい子供は親が付いていくそうだ。
最終日の14日は集落を抜けて外回りまで行く。
時計回りに進んでいく。
子どもたちは自転車で巡拝するそうだ。
鉦を叩くのはそれぞれの謂われがある場所だという。
7日から13日までは集落内を巡拝する。
墓地や辻などの場所で鉦をチャンチャン、チャチャチャと打ち鳴らす。
およそ6カ所。
新仏がある家(子供念仏講の講家)があればそこの家にあがって念仏鉦を打つ。
その家からはお金をもらうのだが本質的にはお念仏のお勤めであろう。
連日のお勤めは反時計回りになるという。
14日は集落の東へ抜けて南へも回る大外回りになる。
隣町の石川町の境界になる中ツ道沿いは千束(せんぞく)の街道筋で1カ所。
出屋敷の地だとされる。
そこから南下してかつて祠があった地。
そこは道路を拡張した際に消滅したので念仏鉦は打たない。
さらに南下して辻堂橋の傍らに祀られている地蔵さんで打つ。
ここからは西に向かう。
白土池の堤防を抜ける。
その端のほうで鉦を打つ。
昔にその池で亡くなった人を弔うのだという。
もう少し行って田んぼの境目。
そこは牛の弔い地。
昔のことだがそこで牛を飼っていた。
その牛が亡くなったので弔いの鉦を打つという。
そこからは再び集落に向けて北に向かう。
集落の西南の地。
墓地が傍にあるがそこまでは行かない。
辻で鉦を叩く。
北上して地区の墓地。
集落を抜けて北の端の辻。
南へ戻って集落の中央の辻となる。
ここでようやく終えて出発地の浄福寺境内に戻ってくる。
およそ2時間だそうだ。
着いたら集めた会費を子どもたちに分配する。
お布施のようなものであろう。
この日だけは新仏の家へあがって太鼓や鉦を打つ。
1回やってひと休憩。
中休みだという。
それからもう1回する。
このように子供だけで念仏講が行われているのは極めて珍しいのではないだろうか。
いつまで続けられるのであろうか。
女児も入れてはどうかと意見もあったが現状を変えずに続けてきた。
いずれは大変革の時代を迎えることだろうと講中は話される。
太鼓や鉦はヤク(当番)が一年間預かる。
それには古文書と想定される文書もあるという。
しわくちゃな文書で見ることもないそうだ。
最近の記録はノートに記している。
拝見しないことには判断できないがおそらくそこには年代が書いてあるのではないだろうか。
いずれ拝見したいものだ。
太鼓と鉦は古くなったので新調したそうだ。
古いものは捨てたのではないかという。
現物が残っていれば年代が判ったものだけに残念である。
映像は西大寺再興に力を注いだ興正菩薩叡尊模造像を祀る堂(自治会管理)。
(H22. 8. 1 SB932SH撮影)
旧村にはそれぞれにあったとされている。
無形民俗文化財に指定されている安堵町の六斎講や八島の念仏鉦講が知られている。
大和郡山の井戸野町でもかつて存在していた。
それを証明する念仏鉦が残されている。
その念仏講はどのような形態であったのかは資料も残されていないのでその様子を伺うことは出来ない。
井戸野町からおよそ500メートル南に白土町がある。
そこでは現在も念仏講が現存しているという。
白土の念仏講は大人の念仏講と子供の念仏講がある。
二つの講の成立を示す資料はないが同時期に始まったとされている。
講中は両方に所属するわけではない。
大人の念仏講に所属する家は子供の念仏講には入っていない。
逆もそうである。
そのようなことだからお互いがどのような念仏をしているか詳しくは判らないという。
大人の念仏講は年に一回。
8月の13日(後日に判明した日は7日だった)の夜に新仏の家に参って念仏鉦を打つ。
一方、子供の念仏講は盆入りの7日から先祖送りの前日の14日まで毎夕方に行われている。
太鼓打ち、鉦叩きは講中の男児で行われている。
女児はそれに参加することはできない。
少子化の波は白土にも当てはまり子供は少ない。
生まれても女児が多いという。
今年のヤク(当番)いなるK家では3人目にやっと男児が生まれた。
一歳になる子供もこれに参加することができ、「やっと講中に貢献することができるようになった」と目を細める。
男児の年長は小学6年生。
中学になると卒業する。
K氏は32年前に体験していた子供の念仏講を語り始めた。
チャンチャン、チャチャチャと打ち鳴らす念仏鉦。
その音色から子供のチャチャンコと呼ばれている。
先導は音頭取りの太鼓打ち。
この音に合わせて鉦を打つ。
タイミングが合わなかったら「もういっかいや」と言われたと話すルートを教えてくださったもう一人のK氏。
同じく45歳。
二人の息子が鉦を叩くそうだ。
子供の念仏講は夕方近くに浄福寺に集まる。
そこがスタート地点。
念仏講とお寺の関係は特にないという。
先頭は太鼓叩き。
バチを持つ。
2番手は太鼓持ち。
紐を肩から掛けて担ぐ。
それに続くのは鉦叩き。
小さい子供は親が付いていくそうだ。
最終日の14日は集落を抜けて外回りまで行く。
時計回りに進んでいく。
子どもたちは自転車で巡拝するそうだ。
鉦を叩くのはそれぞれの謂われがある場所だという。
7日から13日までは集落内を巡拝する。
墓地や辻などの場所で鉦をチャンチャン、チャチャチャと打ち鳴らす。
およそ6カ所。
新仏がある家(子供念仏講の講家)があればそこの家にあがって念仏鉦を打つ。
その家からはお金をもらうのだが本質的にはお念仏のお勤めであろう。
連日のお勤めは反時計回りになるという。
14日は集落の東へ抜けて南へも回る大外回りになる。
隣町の石川町の境界になる中ツ道沿いは千束(せんぞく)の街道筋で1カ所。
出屋敷の地だとされる。
そこから南下してかつて祠があった地。
そこは道路を拡張した際に消滅したので念仏鉦は打たない。
さらに南下して辻堂橋の傍らに祀られている地蔵さんで打つ。
ここからは西に向かう。
白土池の堤防を抜ける。
その端のほうで鉦を打つ。
昔にその池で亡くなった人を弔うのだという。
もう少し行って田んぼの境目。
そこは牛の弔い地。
昔のことだがそこで牛を飼っていた。
その牛が亡くなったので弔いの鉦を打つという。
そこからは再び集落に向けて北に向かう。
集落の西南の地。
墓地が傍にあるがそこまでは行かない。
辻で鉦を叩く。
北上して地区の墓地。
集落を抜けて北の端の辻。
南へ戻って集落の中央の辻となる。
ここでようやく終えて出発地の浄福寺境内に戻ってくる。
およそ2時間だそうだ。
着いたら集めた会費を子どもたちに分配する。
お布施のようなものであろう。
この日だけは新仏の家へあがって太鼓や鉦を打つ。
1回やってひと休憩。
中休みだという。
それからもう1回する。
このように子供だけで念仏講が行われているのは極めて珍しいのではないだろうか。
いつまで続けられるのであろうか。
女児も入れてはどうかと意見もあったが現状を変えずに続けてきた。
いずれは大変革の時代を迎えることだろうと講中は話される。
太鼓や鉦はヤク(当番)が一年間預かる。
それには古文書と想定される文書もあるという。
しわくちゃな文書で見ることもないそうだ。
最近の記録はノートに記している。
拝見しないことには判断できないがおそらくそこには年代が書いてあるのではないだろうか。
いずれ拝見したいものだ。
太鼓と鉦は古くなったので新調したそうだ。
古いものは捨てたのではないかという。
現物が残っていれば年代が判ったものだけに残念である。
映像は西大寺再興に力を注いだ興正菩薩叡尊模造像を祀る堂(自治会管理)。
(H22. 8. 1 SB932SH撮影)