行事を取材撮影して10年になる。
ときおりお叱りを受けることがある。
この度は大目玉を頂戴した。
知人が私の紹介だと突然訪問したそうだ。
が、足下を見るなり帰ってくれと伝えられた。
「素足にサンダルは神事に相応しくない。参列者はそれなりの正装で来ているのにどういうことか」と一喝された。
しかもだ。「名刺はださず、名も名乗らない。そんな人に許可ができるわけがないでしょ」。
ごもっともです。
宮司さんの集まりで非常識な撮影マナーが話題に上ることが多くなっているという。
たしかにそういう人たちを見かける。
カメラを持つ人は特権と思いこむのかずかずかと上がり込む。
許しを得たわけでもなくだ。
私は撮影の了解を得るが、どこまでが許せる、許せないのか範囲なのか、その確認をとった上で取材に臨んでいる。
ある宮司は「神事をしている最中は静かにすべし」と言った。
当然でしょうが、「しゃべって何が悪い」うそぶく人もたしかにいる。
こうあるべきだと話しても聞く耳をもたない人たち。
挙げ句の果てにカメラマン同士が神事中に言い合いをしたケースもある。
とんでもない人がいるのを何度も目撃する。
こうしなくちゃあきませんでと伝えたら睨まれる始末だ。
学術調査だと称して大学の学者も取材に来ることがある。
その人たちはその後何の音沙汰もないという。
何を調べたのか、どのようなモノに使われたのか、すら判らない。
そのような話は何カ所で聞いたことがある。
お礼とフォローは欠かせない。
礼を尽くす最前の努力はしなければならないと常々思っているが・・・時間が。
あんたは忙しい身やからかまへんでと言われるのが辛い。
カメラマンは決して特権でない。
写させていただくことにありがたさを感じろと、我が身の行動を振り返り反省する一日。
過去にも「玉垣の中に入るにはお祓いを受けてからです」、「鳥居を潜るときには拝礼してから」、「参道は中央を歩かない」などと指摘されたことがある。
これらは学び。
この度の適切なありがたいお叱りに御礼申し上げます。
(H22. 8.22 記)
ときおりお叱りを受けることがある。
この度は大目玉を頂戴した。
知人が私の紹介だと突然訪問したそうだ。
が、足下を見るなり帰ってくれと伝えられた。
「素足にサンダルは神事に相応しくない。参列者はそれなりの正装で来ているのにどういうことか」と一喝された。
しかもだ。「名刺はださず、名も名乗らない。そんな人に許可ができるわけがないでしょ」。
ごもっともです。
宮司さんの集まりで非常識な撮影マナーが話題に上ることが多くなっているという。
たしかにそういう人たちを見かける。
カメラを持つ人は特権と思いこむのかずかずかと上がり込む。
許しを得たわけでもなくだ。
私は撮影の了解を得るが、どこまでが許せる、許せないのか範囲なのか、その確認をとった上で取材に臨んでいる。
ある宮司は「神事をしている最中は静かにすべし」と言った。
当然でしょうが、「しゃべって何が悪い」うそぶく人もたしかにいる。
こうあるべきだと話しても聞く耳をもたない人たち。
挙げ句の果てにカメラマン同士が神事中に言い合いをしたケースもある。
とんでもない人がいるのを何度も目撃する。
こうしなくちゃあきませんでと伝えたら睨まれる始末だ。
学術調査だと称して大学の学者も取材に来ることがある。
その人たちはその後何の音沙汰もないという。
何を調べたのか、どのようなモノに使われたのか、すら判らない。
そのような話は何カ所で聞いたことがある。
お礼とフォローは欠かせない。
礼を尽くす最前の努力はしなければならないと常々思っているが・・・時間が。
あんたは忙しい身やからかまへんでと言われるのが辛い。
カメラマンは決して特権でない。
写させていただくことにありがたさを感じろと、我が身の行動を振り返り反省する一日。
過去にも「玉垣の中に入るにはお祓いを受けてからです」、「鳥居を潜るときには拝礼してから」、「参道は中央を歩かない」などと指摘されたことがある。
これらは学び。
この度の適切なありがたいお叱りに御礼申し上げます。
(H22. 8.22 記)