マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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管生の施餓鬼の痕

2010年09月25日 08時57分32秒 | 山添村へ
施餓鬼が営まれた山添村管生。

毎年8月15日のことだ。

村中の人たちが十二社神社の参籠所に集まってくる。

施餓鬼は本来お寺の行事だが狭いことから参籠所が営みの場となっている。

竹を編んでヒノキの葉で覆い尽くす。

それは餓鬼棚と呼ばれている祭壇だ。

参籠所の一角にそれを設えて大きな椀に盛ったメシを供える。

中央には水を浸しシキビの葉を置く。

傍らには輪切りにしたナスとキュウリも供える。

飾ったお花はオミナエシにキキョウ。

手前に長い箸。

集まった人たちは70人にもなったそうだ。

隣村の春日の僧侶が施餓鬼法要を勤められる。

前年の16日から前日までに亡くなられた人たちの回向供養。

過去帳を詠み上げる。

過去帳には亡くなった年の記載はない。

月日だけだ。

今回の施餓鬼は6人が対象者数だった。

初施餓鬼といって家族の人たちは喪服を着衣して送る。

無縁仏を供養するのは彷徨っている餓鬼どもとともに「えーとこへ送るのだ」と長老は語る。

「長い箸は自分への口に持っていくものでない。相手の口に食べ物を持っていくのだ。施しの箸だ」と僧侶が説法で話されたという。

「あるとき目の悪い旅人がやってきた。家人は暗い道を歩くのは不憫だと懐中電灯を持たせた。旅人は目の悪い私には懐中電灯は何の役にも立たないと言い返した。家人は電灯の灯りがあれば交通事故に遭遇しないと持たせた。自分本位に捉えた事象は相手の思いやりを見えなくするのだ。」ともうひとつの説法に感動したと話す長老。

そのあとは参籠所いっぱいに広がって(上座、下座に)村人が座る。

座席の前に半紙を置いてジャコを配膳。

お酒を一人ずつ盃に注いでいくドウゲ。

年当番にあたる役目の名であって道化と充てるようだ。

一人ずつ拝むので営みは2時間もかかったそうだ。

その営みの餓鬼棚が燃やされていた。

役目を終えたわけだ。

そのころ各戸では松明を持って先祖送りをしているという。

じいちゃんはさっき済ましてきたと話す婦人。

13日は先祖迎え。

お家にやってきた先祖さんは煙となって再び天に昇っていったという。

(H22. 8.15 EOS40D撮影)