天理市上仁興の春まつりは2月最初の申か寅の日に行われていた。
いつしか集まりやすい2月初めの日曜日に移った。
春まつりは氏神さんの四社神社で行われる。
かつては2軒の当屋が餅搗きをしていた。
それはなくなったがスキやクワのミニチュア農具を作り神殿前に張られた注連縄に括りつける。
春を迎えたら田に出る道具だという。
その注連縄にはもう一本ある。
そこにはカマやナタの山仕事の道具。
年末12月に行われた亥の子座の日に掛けられたのだ。
上仁興は山間部。
農と山の生業があった証しであろう。
その証拠に山の神も祀られており、1月には山の神参りもある地域だ。
神社前に集まった村人たちはとんどで暖をとっている。
傍らに祀られている地蔵石仏には炒った豆を供えられていた。
節分の日にはこうして豆を供えるそうだ。
それは燈籠などにも見られる。
豆を撒くのは夕方。拾って帰って歳の数だけ食べる。
炒るのはホウラクかフライパンだと話す。
拝礼をして拝殿に登る村人たち。
タイ、スルメ、コンブに野菜などの神饌を供えて春まつりが行われた。
当屋が座に着く人たちにお神酒を注ぐ。
白いカワラケを手にして一同が揃って酒を飲む。
一献の儀式である。
氏神さんに供えられたスルメとコンブは半紙に載せられ配られる。
再び座に向かって酒を注ぐ。
ニ献の儀である。
この年からケンサキのスルメに替えられた。
「高価になったがこっちが美味い」と云いながら春まつりの直会の語らいに盛りあがる。
最後に三度の酒が注がれる。
三献の儀を終えれば、ススンボ竹に挟んだ牛玉宝印が配られる。
この書は1日に宮本衆が摺られたものだ。
この日は宮本衆の姿は見られないが、神社の祭祀を下支えしている。
牛玉宝印には朱印が4か所。
文字は見られないが、春になれば苗代に挿して豊作を願う。
ちなみに上仁興ではもう一枚の牛玉宝印書がある。
1月の七草元座講の際に摺られた書だ。
それには「四社明神」と墨書されるが廃寺となった元釈尊寺の行事である。
この日の春まつりの書には墨書がなかった。
それは寺の名であったと思われる。
(H24. 2. 5 EOS40D撮影)
いつしか集まりやすい2月初めの日曜日に移った。
春まつりは氏神さんの四社神社で行われる。
かつては2軒の当屋が餅搗きをしていた。
それはなくなったがスキやクワのミニチュア農具を作り神殿前に張られた注連縄に括りつける。
春を迎えたら田に出る道具だという。
その注連縄にはもう一本ある。
そこにはカマやナタの山仕事の道具。
年末12月に行われた亥の子座の日に掛けられたのだ。
上仁興は山間部。
農と山の生業があった証しであろう。
その証拠に山の神も祀られており、1月には山の神参りもある地域だ。
神社前に集まった村人たちはとんどで暖をとっている。
傍らに祀られている地蔵石仏には炒った豆を供えられていた。
節分の日にはこうして豆を供えるそうだ。
それは燈籠などにも見られる。
豆を撒くのは夕方。拾って帰って歳の数だけ食べる。
炒るのはホウラクかフライパンだと話す。
拝礼をして拝殿に登る村人たち。
タイ、スルメ、コンブに野菜などの神饌を供えて春まつりが行われた。
当屋が座に着く人たちにお神酒を注ぐ。
白いカワラケを手にして一同が揃って酒を飲む。
一献の儀式である。
氏神さんに供えられたスルメとコンブは半紙に載せられ配られる。
再び座に向かって酒を注ぐ。
ニ献の儀である。
この年からケンサキのスルメに替えられた。
「高価になったがこっちが美味い」と云いながら春まつりの直会の語らいに盛りあがる。
最後に三度の酒が注がれる。
三献の儀を終えれば、ススンボ竹に挟んだ牛玉宝印が配られる。
この書は1日に宮本衆が摺られたものだ。
この日は宮本衆の姿は見られないが、神社の祭祀を下支えしている。
牛玉宝印には朱印が4か所。
文字は見られないが、春になれば苗代に挿して豊作を願う。
ちなみに上仁興ではもう一枚の牛玉宝印書がある。
1月の七草元座講の際に摺られた書だ。
それには「四社明神」と墨書されるが廃寺となった元釈尊寺の行事である。
この日の春まつりの書には墨書がなかった。
それは寺の名であったと思われる。
(H24. 2. 5 EOS40D撮影)