下平田のどんどはおよそ5mの高さ。
中央には心棒のような太い一本の松の木が見える。
手に入れるのは難しいと話す。
「ドウシン」と呼ぶ心棒は、天に通じることから「道神」の字を充てるという。
どんどの回りを囲むように設えた注連縄。
四方に竹を組んで注連縄を張っている。
場所はと言えば畑の一角だ。
かつてはこの場ではなく南側の檜隈を上流とする川の土手辺りだったそうだ。
川にはシバがたくさんあった。
初集会の日を過ぎたころ、シバ刈りに行くのは子供たちだった。
そういう話は大和郡山市の丹後庄でも聞いたことがある。
刈ってくるのは竹だが、組むのも子供だったと話していたことを思い出す。
下平田に生まれ育った婦人の話では北側の川向こうと南側の川向こう。
それぞれが競いあってどんどを組んでいたという。
南の川にはたくさんのシバがあった。
護岸工事でシバが生えなくなった。
そんなことで子供のシバ集めもどんど組みも自然と消えていった。
語る婦人が子供のときだというから60年前のこと。
懐かしい風景を思い出すように話された。
集会所ができる前はその傍らの田んぼだった。
川の土手もできなくなりハウスでイチゴ栽培をされている農家の方に土地を借りてどんどを設えた。
かつてはどんどの櫓も子供が組んでいた。
いつしか大人がすべての段取りをするようになった。
八坂神社で授かったオヒカリがやってくるのを待っているどんどの場の村人たち。
ライトをあてたどんどが田んぼにそそり立っている。
そこに火を点けるのは総代の役目。
点けるのはアキの方向だと言う。
この年のアキの方向は北北西。
そこには藁が置かれている。
火を移せばまたたくまに燃えあがる。
風が起こり火は巻くように舞いあがる。
南側から風が吹いて火の粉は北へ飛んでいく。
「いつもこの方向だからハウスに穴が空いてしまうのだ」とこぼす田んぼの持ち主。
ポン、ポンと竹がはぜる音が下平田に響きわたる。
天空高くどんどの火が舞いあがる。
火の粉を避けて村人たちはどんどから後ずさりする。
下平田のどんどは火打ち石で遷された神さんの火。
燃え盛って心棒の「ドウシン」から天空に向けて上がっていく道しるべということらしい。
どんどで燃やされたのは正月を飾った〆飾り。
歳神さんを迎えた注連縄である。
それはどんどで燃やされて天へあがっていく歳神さんなのであろう。
およそ30分。
どんどの火が鎮まって下火になった。
四方の竹は外されてどんどで燃やされる。
そのころには焼けた炭火が程良い加減。
用意しておいたスコップで炭火を掬う。
どんどの火は鎮まっても熱い。
スコップには長い竹を据えて長くした。
それでも熱いからなかなか掬えない。
焼けた炭火はスコップや懐かしい火起こしで持ち帰る人もいれば提灯に移す人もいる。
その火は種火。
家の神棚のオヒカリに移すのだ。
翌日の朝は神棚の火でアズキガユを炊く。
粥はビワの葉やツバキの葉(裏面)に載せて神棚に供える。
それは門や蔵、玄関口などの両脇にも供えるという。
それからアズキガユを朝食によばれると話す村人たち。
家によっては食事の後に墓参りをする人もいるそうだ。
その際は供えてあった松竹梅をビシャコに替えるという。
(H24. 1.14 EOS40D撮影)
中央には心棒のような太い一本の松の木が見える。
手に入れるのは難しいと話す。
「ドウシン」と呼ぶ心棒は、天に通じることから「道神」の字を充てるという。
どんどの回りを囲むように設えた注連縄。
四方に竹を組んで注連縄を張っている。
場所はと言えば畑の一角だ。
かつてはこの場ではなく南側の檜隈を上流とする川の土手辺りだったそうだ。
川にはシバがたくさんあった。
初集会の日を過ぎたころ、シバ刈りに行くのは子供たちだった。
そういう話は大和郡山市の丹後庄でも聞いたことがある。
刈ってくるのは竹だが、組むのも子供だったと話していたことを思い出す。
下平田に生まれ育った婦人の話では北側の川向こうと南側の川向こう。
それぞれが競いあってどんどを組んでいたという。
南の川にはたくさんのシバがあった。
護岸工事でシバが生えなくなった。
そんなことで子供のシバ集めもどんど組みも自然と消えていった。
語る婦人が子供のときだというから60年前のこと。
懐かしい風景を思い出すように話された。
集会所ができる前はその傍らの田んぼだった。
川の土手もできなくなりハウスでイチゴ栽培をされている農家の方に土地を借りてどんどを設えた。
かつてはどんどの櫓も子供が組んでいた。
いつしか大人がすべての段取りをするようになった。
八坂神社で授かったオヒカリがやってくるのを待っているどんどの場の村人たち。
ライトをあてたどんどが田んぼにそそり立っている。
そこに火を点けるのは総代の役目。
点けるのはアキの方向だと言う。
この年のアキの方向は北北西。
そこには藁が置かれている。
火を移せばまたたくまに燃えあがる。
風が起こり火は巻くように舞いあがる。
南側から風が吹いて火の粉は北へ飛んでいく。
「いつもこの方向だからハウスに穴が空いてしまうのだ」とこぼす田んぼの持ち主。
ポン、ポンと竹がはぜる音が下平田に響きわたる。
天空高くどんどの火が舞いあがる。
火の粉を避けて村人たちはどんどから後ずさりする。
下平田のどんどは火打ち石で遷された神さんの火。
燃え盛って心棒の「ドウシン」から天空に向けて上がっていく道しるべということらしい。
どんどで燃やされたのは正月を飾った〆飾り。
歳神さんを迎えた注連縄である。
それはどんどで燃やされて天へあがっていく歳神さんなのであろう。
およそ30分。
どんどの火が鎮まって下火になった。
四方の竹は外されてどんどで燃やされる。
そのころには焼けた炭火が程良い加減。
用意しておいたスコップで炭火を掬う。
どんどの火は鎮まっても熱い。
スコップには長い竹を据えて長くした。
それでも熱いからなかなか掬えない。
焼けた炭火はスコップや懐かしい火起こしで持ち帰る人もいれば提灯に移す人もいる。
その火は種火。
家の神棚のオヒカリに移すのだ。
翌日の朝は神棚の火でアズキガユを炊く。
粥はビワの葉やツバキの葉(裏面)に載せて神棚に供える。
それは門や蔵、玄関口などの両脇にも供えるという。
それからアズキガユを朝食によばれると話す村人たち。
家によっては食事の後に墓参りをする人もいるそうだ。
その際は供えてあった松竹梅をビシャコに替えるという。
(H24. 1.14 EOS40D撮影)