八雲神社東側の小原池の中でとんどを行っている大和郡山の丹後庄(たごんしょ)町。
以前は池ではなく池堤や付近の田んぼで行われていた。
小原池の水を抜くのは稲刈りを終えたあとだ。
金魚を養殖している池の水はすべてを浚えるのではなく岸辺が見える程度を残す。
その砂地の幅は6mほど。
そこでとんど焼きをするのだ。
水があるから何時でも消火できる。
延焼することなく安心してとんどができると話す村人たち。
丹後庄のとんどの竹櫓は組まれない。
神社清掃や農業で伐採したシバ(雑木)などを集めて山のように盛りあげる。
そこには氏神さんの八雲神社で飾っていた簾型の注連縄も燃やされる。
歳神さんは村を守ったあとはとんどの火とともに天に昇っていくのだ。
砂地の幅に合わせて盛ったとんどの火点けは吹く風の反対側から。
そうしないとまんべんなく焼くことができないと話す。
風が吹く勢いで西に燃えていく。
そのころ南北を縦貫する藺町線を走り抜ける消防車がサイレンを鳴らしていく。
とんどの火を火事と勘違いした人が通報したのだろうかと思ったがそうではなかった。
火事は遠く離れた南の方だった。
ちなみにたとえ安全な池でしようとも消防署には届けをしていると村人は話す。
大きなとんどが燃え尽きるには相当な時間を要する。
火が鎮まるころを見計らってサツマイモを焼く。
新聞紙を池水に浸けてサツメイモを包む。
その上からアルミホイルを巻いていく。
それを火に投入してイモ焼き。
アルミホイルだけなら焼け焦げてしまうからそうしているというイモ焼き。
ホクホクして美味いあんばいに焼けた。
かつてはリヤカーを引いて藁や伐り出した竹を貰いに行った。
それは上級生の役目。
とんどの火点けは長老がしていた。
その当時はモチを焼いていた、と翌月にSさんが丹後庄のとんどを語ってくれた。
子供たちが刈る、集める、貰いに行って組み立てる。
その頃は子供たちも村落の一員として役目を担っていた。
そういった話は旧村行事の取材のときによく聞く話だ。
村落共同体は今や聞くことがないほどで、ごくごく一部の限られた地域でしか見ることができない。
昭和の何時の時代までが、村のお役目子供の全盛期であったのだろうか。
(H24. 1.31 EOS40D撮影)
以前は池ではなく池堤や付近の田んぼで行われていた。
小原池の水を抜くのは稲刈りを終えたあとだ。
金魚を養殖している池の水はすべてを浚えるのではなく岸辺が見える程度を残す。
その砂地の幅は6mほど。
そこでとんど焼きをするのだ。
水があるから何時でも消火できる。
延焼することなく安心してとんどができると話す村人たち。
丹後庄のとんどの竹櫓は組まれない。
神社清掃や農業で伐採したシバ(雑木)などを集めて山のように盛りあげる。
そこには氏神さんの八雲神社で飾っていた簾型の注連縄も燃やされる。
歳神さんは村を守ったあとはとんどの火とともに天に昇っていくのだ。
砂地の幅に合わせて盛ったとんどの火点けは吹く風の反対側から。
そうしないとまんべんなく焼くことができないと話す。
風が吹く勢いで西に燃えていく。
そのころ南北を縦貫する藺町線を走り抜ける消防車がサイレンを鳴らしていく。
とんどの火を火事と勘違いした人が通報したのだろうかと思ったがそうではなかった。
火事は遠く離れた南の方だった。
ちなみにたとえ安全な池でしようとも消防署には届けをしていると村人は話す。
大きなとんどが燃え尽きるには相当な時間を要する。
火が鎮まるころを見計らってサツマイモを焼く。
新聞紙を池水に浸けてサツメイモを包む。
その上からアルミホイルを巻いていく。
それを火に投入してイモ焼き。
アルミホイルだけなら焼け焦げてしまうからそうしているというイモ焼き。
ホクホクして美味いあんばいに焼けた。
かつてはリヤカーを引いて藁や伐り出した竹を貰いに行った。
それは上級生の役目。
とんどの火点けは長老がしていた。
その当時はモチを焼いていた、と翌月にSさんが丹後庄のとんどを語ってくれた。
子供たちが刈る、集める、貰いに行って組み立てる。
その頃は子供たちも村落の一員として役目を担っていた。
そういった話は旧村行事の取材のときによく聞く話だ。
村落共同体は今や聞くことがないほどで、ごくごく一部の限られた地域でしか見ることができない。
昭和の何時の時代までが、村のお役目子供の全盛期であったのだろうか。
(H24. 1.31 EOS40D撮影)