1月14日の夕方から翌朝にかけて行われている小正月のとんど。
とんどといえばその日が最も多く全国的に行われている風物詩的な行事である。
ところがとんどはその時期ではなく1月31日から2月初めにかけて行われている地域も少なくない。
大和郡山市内でどれほどの分布があるのか、民俗行事にある調査対象一つとして地域を巡ってきた。
その一つにあったのが柏木町だった。
砂撒きが見つかった素盞嗚神社の東側は田んぼが広がる。
その向こうが佐保川である。
青空の下、一面に広がる田園。
この時期の作物は見かけない。
さて、とんどはと言えば畑地の空き地に設営されていた。
前日の午後には既に立てられていた大きなとんど組み。
おそらく当日の朝に設えたものだと思われるが付近には人を見かけない。
そんなことからこの日も訪れたのだ。
とんどの傍らには太鼓台が置かれてあった。
何をするものであるのか、そのことを知る村人を尋ねればならないと思い地区を巡ろうとしたときだ。
車から降りようとしていた婦人を発見して声を掛けた。
婦人の話によればかつてマツリで担いでいた太鼓台だという。
古くなったことからとんどで燃やすかも知れないと話す。
その太鼓台の脚にはなにやら文字が見える。
「昭和10年10月17日新調 一金参拾六圓」と墨書されている。
台は四脚。
それぞれに寄進されたと思われる人物の名が見られた。
四人の名があるがいずれもご婦人の名である。
柏木町は旧村農家。昨今は新興住宅が増えているが、旧村20軒ほどだという。
おそらくその名は住民の名前であろう。
マツリ太鼓台を女性が寄進するのは珍しいのではないだろうか。
話を伺ったD女史によれば大とんどの火点けは2月1日の早朝だそうだ。
子供たちが学校に行く前に火を点けるらしい。
1月31日にとんどが行われている大和郡山の地域では矢田の垣内、小南、丹後庄、額田部がある。
翌日の2月1日に行われているのは筒井、柏木だ。
2日には番条、井戸野、美濃庄がある。
村人らの話ではニノ正月のとんどとか2月の旧正月のとんどだという。
矢田の寺村や清水では立春辺り。
横山では9日だがニノ正月だという。
2月1日は正月過ぎた最初の朔日(ついたちび)。
二度目の正月としてとらえて、厄年にあたる人に一つ、年齢を取らせて早く厄年をやり過ごそうとしたそうだ。
数え年は正月に齢をいく。
その日を一夜正月とか重ね正月と呼ぶと産経新聞で紹介されていた。
市内宮堂では正月を飾った注連縄は2月になってようやく取り外すという。
白土も同じだ。
こうした二度目の正月である2月正月のとらえた方は地域によってさまざま。
それだけにとんどの風習は小正月、或いは2月正月であったりして、行われる日が違っているのだろう。
ところで、天理市の嘉幡町が実家のFさんの奥さん。
大とんどは1月14日だが2月1日には菅田神社境内で小とんども行われているようだと話す。
また、大和郡山市白土町に住むK婦人の話では4日の朝は各家がそれぞれのとんど場で正月を飾った〆飾りを燃やす。
だが、白坂神社の鳥居に飾られた簾型の注連縄は2月1日にとんどをするのだ。
地区によっては2回もあるということだ。
(H24. 1.31 EOS40D撮影)
とんどといえばその日が最も多く全国的に行われている風物詩的な行事である。
ところがとんどはその時期ではなく1月31日から2月初めにかけて行われている地域も少なくない。
大和郡山市内でどれほどの分布があるのか、民俗行事にある調査対象一つとして地域を巡ってきた。
その一つにあったのが柏木町だった。
砂撒きが見つかった素盞嗚神社の東側は田んぼが広がる。
その向こうが佐保川である。
青空の下、一面に広がる田園。
この時期の作物は見かけない。
さて、とんどはと言えば畑地の空き地に設営されていた。
前日の午後には既に立てられていた大きなとんど組み。
おそらく当日の朝に設えたものだと思われるが付近には人を見かけない。
そんなことからこの日も訪れたのだ。
とんどの傍らには太鼓台が置かれてあった。
何をするものであるのか、そのことを知る村人を尋ねればならないと思い地区を巡ろうとしたときだ。
車から降りようとしていた婦人を発見して声を掛けた。
婦人の話によればかつてマツリで担いでいた太鼓台だという。
古くなったことからとんどで燃やすかも知れないと話す。
その太鼓台の脚にはなにやら文字が見える。
「昭和10年10月17日新調 一金参拾六圓」と墨書されている。
台は四脚。
それぞれに寄進されたと思われる人物の名が見られた。
四人の名があるがいずれもご婦人の名である。
柏木町は旧村農家。昨今は新興住宅が増えているが、旧村20軒ほどだという。
おそらくその名は住民の名前であろう。
マツリ太鼓台を女性が寄進するのは珍しいのではないだろうか。
話を伺ったD女史によれば大とんどの火点けは2月1日の早朝だそうだ。
子供たちが学校に行く前に火を点けるらしい。
1月31日にとんどが行われている大和郡山の地域では矢田の垣内、小南、丹後庄、額田部がある。
翌日の2月1日に行われているのは筒井、柏木だ。
2日には番条、井戸野、美濃庄がある。
村人らの話ではニノ正月のとんどとか2月の旧正月のとんどだという。
矢田の寺村や清水では立春辺り。
横山では9日だがニノ正月だという。
2月1日は正月過ぎた最初の朔日(ついたちび)。
二度目の正月としてとらえて、厄年にあたる人に一つ、年齢を取らせて早く厄年をやり過ごそうとしたそうだ。
数え年は正月に齢をいく。
その日を一夜正月とか重ね正月と呼ぶと産経新聞で紹介されていた。
市内宮堂では正月を飾った注連縄は2月になってようやく取り外すという。
白土も同じだ。
こうした二度目の正月である2月正月のとらえた方は地域によってさまざま。
それだけにとんどの風習は小正月、或いは2月正月であったりして、行われる日が違っているのだろう。
ところで、天理市の嘉幡町が実家のFさんの奥さん。
大とんどは1月14日だが2月1日には菅田神社境内で小とんども行われているようだと話す。
また、大和郡山市白土町に住むK婦人の話では4日の朝は各家がそれぞれのとんど場で正月を飾った〆飾りを燃やす。
だが、白坂神社の鳥居に飾られた簾型の注連縄は2月1日にとんどをするのだ。
地区によっては2回もあるということだ。
(H24. 1.31 EOS40D撮影)