マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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初の試み、大和な雛まつり

2012年03月25日 09時35分52秒 | 大和郡山市へ
商工会のHさんが仕掛け人だった。

お顔を拝見すればどこかで見たような・・・。

そう、地域振興課におられた方だった。

課の後押しもあってようやく辿りつけた初のイベント。

この日も忙しく藺町線にある観光案内所傍にある建物でお雛さんの飾り付けをされていた。

そのお雛さんはKさんが持ち主。

小さい子供のころに両親が買ってくれたお雛さん。



あれやこれや言いながら、当時を思い出して昔を懐かしんでいるかのように笑顔で飾りつけをしている。

写真を撮るならこんな姿がいいでしょうと応える。

Hさんの話によれば初めての試みだけに予想もしないことがあるかも知れないが、できる限り城下町に住む人たちの笑顔で古式ゆかしい町の姿にしたいと話す。

たくさんの観光客が来てくれて「うちにもこんなのが出てきたよ」と蔵出しになればと思っているという。

来る人、来る人に笑顔で応えて商売繁盛に繋がって盛り上がればいいのだけど・・・。

大和郡山の城下町は400年前、羽柴秀長が築造した。

それ以前は筒井順慶だ。

増田長盛が外堀を造り原形ができた。

各地から町人を集めて城下町は町人の町。

狭いながらもその商人を有する町名が今でも残されている。

町人が住む家は長屋。

鰻の寝床のように間口は狭いが奥は深い。
そこにひしめき合った商人の町屋があった。

もちろん武家屋敷もならんでいた。

その名残はほとんどない。


今でもある鍛冶町付近の土塀。風化してしまっている。
(H24. 1.10 SB932SH撮影)

どこか懐かしい景観はどこかへいってしまった。

商人の町はところどころに風情を醸し出す町屋がみられる。

小京都のひとつとして紹介されるがそんなのは一部分だけだ。

町屋はいつしか現代的昭和後期の様相になってしまった。

どこが城下町なのか程遠い。

城跡を再生するよりも先に目指すのは町屋ではないだろうか。

隠れていた土蔵。

何が眠っているのだろうか。

江戸時代の文化があるかもしれない。

昨年に聞いた車町(蛭子神社)の郡山の十日戎。

塩町戎は商人の祭り。

柳澤文庫は柳澤家の蔵出し出展。

商人民家ではならでは、のモノがあると信じている。

お雛さんどころかとんでもないものが当主も知らずに眠っている・・だろう。

城下町を再生するにはこうした現代的商店を城下町文化が彷彿するような町屋文化に鞍替え。

大和な雛まつりをきっかけに長年かかってでもいい。

鮭の遡上で有名な三面川新潟県村上で長年かかって再生された町屋は生きたモデル。

誰しも入ってみたいと思う格調ある玄関、間取り、そんな再生された町屋の姿を描いてほしいと願うばかりである。

「ボン」とも呼ばれている若き店主たちに期待する。

(H24. 2. 9 SB932SH撮影)