日が暮れたころには神楽提灯や布団太鼓にローソクを灯す宮守たち。
宵宮に参集する村人は家の提灯を持ってきて参籠所に吊るす。
礼服姿の人たちが左右の参籠所にそれぞれ吊るす。
右の参籠所は年配の人が10人ほど。
左の参籠所には若さんと呼ばれる人たちが6人だった。
年齢の区切りは63歳だそうだが、かつては45歳であった。
それほど高齢化したということだそうだ。
年配側の参籠所には紋付き袴姿の自治員長、若さん側には水利組合長が上座に座る。
氏子総代の5人の宮守たちは白い浄衣装(じょういそう)と呼ぶ衣装に着替えて拝殿に登る。
甲斐神社のマツリは10月21日、22日であった。
体育の日が制定された頃には10月9日、10日に移った。
その後も日程が変更されて現在は月末最終の土曜日と日曜日となった。
次々と訪れる参拝者。
氏神さんに向かって拝礼すれば拝殿に座った巫女が鈴で祓ってくださる。
シャンシャンの音に頭を下げてのお祓いを済ませた人たちは「御神供(ごこく)」を受け取る。
祓いを受けた人たちは小宮も参って下っていった。
そうして始まった宵宮の神事。
厳かに執り行われる。
それを終えた巫女は境内に移動する。
9月に行われた八朔祭の御湯と同様に境内に設えた湯釜。
沸かすのは二人の青年。
湯焚きさんと呼ばれる給仕である。
八朔祭では普段着だったがこの日は和服姿である。
本来なら真っ暗な境内で行われる宵宮の御湯。
参籠所の灯りが僅かに照らす斎場で行われる。
湯立てを始める前は神楽を舞う。
鈴を手にして大きく手を広げて左へ一周、右に一周。
次も右へ一周。
鈴を前方に2度振ってシャン、シャン音を鳴らし、最後に拝礼して神楽舞を終える。
御湯の儀式は最初に幣を左右に振る。
お酒、米、シトギ(米粉を水で溶いて混ぜたもの)を湯釜に注いでから湯を幣でかき混ぜる。
右回りに3回、釜の縁外四隅をコツコツと叩く。
次に幣を水平に持って釜の前に立ち、本殿側の北に向かって一礼。
右回りに、西、南、東のそれぞれに一礼する。
二本の笹を湯に浸けてシャバシャバとかき混ぜる。
本殿側の北に向かって湯に浸けた笹を釜の縁外へ3回あてる。
同様の作法で右回りへ西、南、東の四隅を回る。
そして本殿側の北に向かって大きく湯を飛ばす。
次は西、南、東のそれぞれに向けてする。
その都度一礼する。
それから氏子総代や役員らが立ち並ぶところに向けて笹を湯に浸けて湯を飛ばす。
湯が飛び散るさまから「湯花神事」の呼称がある。
ときには身体を回転しながら一般参拝者に向けても湯を飛ばす。
何度も何度も湯飛ばしを繰り返す、その数は相当なもので100回以上も繰り返す。
湯立ての際には特に台詞も祝詞も発せられることなく湯を浴びせる。
湯飛ばしを終えたあとは、参拝者の一人ずつに湯をたっぷり染み込ませた笹で振りかけながら鈴を鳴らして祓う。
参拝者の湯祓いは境内だけでなく参籠所の年配者や若さんたちにも行われる。
こうして御湯の儀式を終えた宵宮の祭り。
史料化された『氏子総代と年中行事』によれば御湯の儀式を「特殊神事の湯花神事」としているが、現在はその名を呼ばずに村人は湯焚きと称している。
宵宮は御湯で終わったわけではない。
参籠所で宵宮座の儀式が行われるのだ。
神饌に供えたスルメ一枚とトロロ昆布を座の人たちの席に配る宮守さん。
米粉を水で練ったシトギは箸で配るのは浄衣装から着替えて和服姿になった宮守さんだ。
参籠所に置かれたのは大、中、小の三枚重ねの白い杯。
お神酒を入れた器を持った湯焚きさんは上座に向かう。
儀式初めの挨拶は自治委員長が口上を述べる。
甲斐神社の宵宮座の口上である。
座する長老に酒を杯に注ぐ。
1回目の給仕は冷酒のお神酒。
注がれた杯は一度には飲まない。
一口、二口の三口目で飲むのである。
次の人、次の人へと順番に座を巡って酒を注ぐ湯焚きさん。
右の若さんたちにも酒を注ぐ。
ひと回りすれば杯を替えて再び登壇。
二回目の儀式は熱燗の酒となる。
さきほどと同じように酒を注いで飲む儀式。
ひと回りすればさらに杯を替えて同じように作法をする。
杯は小、中、大と移っていったのである。
三回飲んで九回注ぐ儀式。
いわゆる三三九度の儀式は三回献じることから一般的に三献の儀と呼ばれている固めの杯の儀式である。
儀式の終わりは水利組合長が口上を述べる。
最後に自治委員長より献酒の披露や翌日のお渡りを両座に伝えて終えた。
宵宮座を終えれば自治委員長とともに下がった湯焚きさん。
家に招かれて湯焚きさんを慰労する。
かつては倍ほどの参拝者がおられたそうだ。
それだけに座の儀式の時間も倍となる。
50年前に湯焚きさんはたいへんやったと話す。
その当時は16歳ぐらい。
村入り儀式の三献は元服の儀式を兼ねていたかも知れない。
(H24.10.27 EOS40D撮影)
宵宮に参集する村人は家の提灯を持ってきて参籠所に吊るす。
礼服姿の人たちが左右の参籠所にそれぞれ吊るす。
右の参籠所は年配の人が10人ほど。
左の参籠所には若さんと呼ばれる人たちが6人だった。
年齢の区切りは63歳だそうだが、かつては45歳であった。
それほど高齢化したということだそうだ。
年配側の参籠所には紋付き袴姿の自治員長、若さん側には水利組合長が上座に座る。
氏子総代の5人の宮守たちは白い浄衣装(じょういそう)と呼ぶ衣装に着替えて拝殿に登る。
甲斐神社のマツリは10月21日、22日であった。
体育の日が制定された頃には10月9日、10日に移った。
その後も日程が変更されて現在は月末最終の土曜日と日曜日となった。
次々と訪れる参拝者。
氏神さんに向かって拝礼すれば拝殿に座った巫女が鈴で祓ってくださる。
シャンシャンの音に頭を下げてのお祓いを済ませた人たちは「御神供(ごこく)」を受け取る。
祓いを受けた人たちは小宮も参って下っていった。
そうして始まった宵宮の神事。
厳かに執り行われる。
それを終えた巫女は境内に移動する。
9月に行われた八朔祭の御湯と同様に境内に設えた湯釜。
沸かすのは二人の青年。
湯焚きさんと呼ばれる給仕である。
八朔祭では普段着だったがこの日は和服姿である。
本来なら真っ暗な境内で行われる宵宮の御湯。
参籠所の灯りが僅かに照らす斎場で行われる。
湯立てを始める前は神楽を舞う。
鈴を手にして大きく手を広げて左へ一周、右に一周。
次も右へ一周。
鈴を前方に2度振ってシャン、シャン音を鳴らし、最後に拝礼して神楽舞を終える。
御湯の儀式は最初に幣を左右に振る。
お酒、米、シトギ(米粉を水で溶いて混ぜたもの)を湯釜に注いでから湯を幣でかき混ぜる。
右回りに3回、釜の縁外四隅をコツコツと叩く。
次に幣を水平に持って釜の前に立ち、本殿側の北に向かって一礼。
右回りに、西、南、東のそれぞれに一礼する。
二本の笹を湯に浸けてシャバシャバとかき混ぜる。
本殿側の北に向かって湯に浸けた笹を釜の縁外へ3回あてる。
同様の作法で右回りへ西、南、東の四隅を回る。
そして本殿側の北に向かって大きく湯を飛ばす。
次は西、南、東のそれぞれに向けてする。
その都度一礼する。
それから氏子総代や役員らが立ち並ぶところに向けて笹を湯に浸けて湯を飛ばす。
湯が飛び散るさまから「湯花神事」の呼称がある。
ときには身体を回転しながら一般参拝者に向けても湯を飛ばす。
何度も何度も湯飛ばしを繰り返す、その数は相当なもので100回以上も繰り返す。
湯立ての際には特に台詞も祝詞も発せられることなく湯を浴びせる。
湯飛ばしを終えたあとは、参拝者の一人ずつに湯をたっぷり染み込ませた笹で振りかけながら鈴を鳴らして祓う。
参拝者の湯祓いは境内だけでなく参籠所の年配者や若さんたちにも行われる。
こうして御湯の儀式を終えた宵宮の祭り。
史料化された『氏子総代と年中行事』によれば御湯の儀式を「特殊神事の湯花神事」としているが、現在はその名を呼ばずに村人は湯焚きと称している。
宵宮は御湯で終わったわけではない。
参籠所で宵宮座の儀式が行われるのだ。
神饌に供えたスルメ一枚とトロロ昆布を座の人たちの席に配る宮守さん。
米粉を水で練ったシトギは箸で配るのは浄衣装から着替えて和服姿になった宮守さんだ。
参籠所に置かれたのは大、中、小の三枚重ねの白い杯。
お神酒を入れた器を持った湯焚きさんは上座に向かう。
儀式初めの挨拶は自治委員長が口上を述べる。
甲斐神社の宵宮座の口上である。
座する長老に酒を杯に注ぐ。
1回目の給仕は冷酒のお神酒。
注がれた杯は一度には飲まない。
一口、二口の三口目で飲むのである。
次の人、次の人へと順番に座を巡って酒を注ぐ湯焚きさん。
右の若さんたちにも酒を注ぐ。
ひと回りすれば杯を替えて再び登壇。
二回目の儀式は熱燗の酒となる。
さきほどと同じように酒を注いで飲む儀式。
ひと回りすればさらに杯を替えて同じように作法をする。
杯は小、中、大と移っていったのである。
三回飲んで九回注ぐ儀式。
いわゆる三三九度の儀式は三回献じることから一般的に三献の儀と呼ばれている固めの杯の儀式である。
儀式の終わりは水利組合長が口上を述べる。
最後に自治委員長より献酒の披露や翌日のお渡りを両座に伝えて終えた。
宵宮座を終えれば自治委員長とともに下がった湯焚きさん。
家に招かれて湯焚きさんを慰労する。
かつては倍ほどの参拝者がおられたそうだ。
それだけに座の儀式の時間も倍となる。
50年前に湯焚きさんはたいへんやったと話す。
その当時は16歳ぐらい。
村入り儀式の三献は元服の儀式を兼ねていたかも知れない。
(H24.10.27 EOS40D撮影)