ウル(閏)の行事を教えてくださった下山田の住民。
なにかとお世話になった。
この日も大和の民俗写真展のお礼に伺ったご主人。
三日三晩もかけて作ったツルとカメの飾りもの。
陰干しをした稲藁で作っている。
ある方が作っておられたのを拝見して作ってみようと一念発起。
昨年から手掛けたそうだ。
今年も作った宝船は立派なものだ。
丁度良いところに来たからとツルカメの一枚をいただいた。
手先は昔から起用だったと笑顔で話す婦人。
あったかいお家である。
ありがたいツルカメの造りものは我が家の正月飾りになった。

(H25. 1. 1 SB932SH撮影)
その下山田では20年に一度の神社造営。
春日神社である。
うるの庚申さんのときには既に工事が始まっていた。
工事も完了して秋祭りも終えた。
一時的に神さんを遷していた仮宮は公民館にある。
遷宮を終えた今は誰も居ないという仮宮は譲ってもらったそうだ。
何に使うかといえば山の上に鎮座するイナリサンの社。
こちらも造営にあたる。
その際の仮宮として残したという。
山のてっぺんにあるイナリサンには毎月8日に参ってアゲサンを供えていた。
いつしか年に2回の4月8日と10月8日になった。
その行事は8日に行うから八日講と呼んでいる。
夕方に参って会所で寄合。
訪れたこの日も十夜。
集まるのは十九夜さんと同じいつもの会所は八日講でも利用している。
ただ、現在はうる行事と同じように集まりやすい8日に近い土曜日にしているという。
かつては雨乞いがあった下山田。
イナリサンが鎮座する山に登って雨乞いをしていた。
太鼓を叩いて願を掛けていたそうだ。
雨乞いは東村の人たちがしていた。
太鼓を叩けば雨が降った東村。
清水や広出の垣内には雨が降らなかったからそれからは村の3垣内でするようになったという。
平成25年に造営の祭典を行う春日神社。
40年前には大神楽もあった。
費用の関係もあって参納する春日大社に頼んだ造営の祭典。
快く受けてくださり大社の巫女さんが神楽を舞ってくれたのが前回の祭典。
今回もお願いをしたそうだ。
かれこれ40年前には下山田にやってきた大神楽。
記憶によれば天理の石上町から神楽中一行が来ていたという。
大八車か、リヤカーに道具を乗せてやってきた一行は5、6人。
笛やチャンボラと呼ぶ摺り鉦を叩いて舞っていた獅子舞。
舞料を増やせば2頭の獅子になったそうだ。
毎年来ていた獅子舞は村中を巡っていた。
竃や蔵にもしていたというから荒神の舞いだと思われる組の名。
別所にも巡回していたようだ。
(H24.11.10 記)
(H25. 1. 1 SB932SH撮影)
なにかとお世話になった。
この日も大和の民俗写真展のお礼に伺ったご主人。
三日三晩もかけて作ったツルとカメの飾りもの。
陰干しをした稲藁で作っている。
ある方が作っておられたのを拝見して作ってみようと一念発起。
昨年から手掛けたそうだ。
今年も作った宝船は立派なものだ。
丁度良いところに来たからとツルカメの一枚をいただいた。
手先は昔から起用だったと笑顔で話す婦人。
あったかいお家である。
ありがたいツルカメの造りものは我が家の正月飾りになった。

(H25. 1. 1 SB932SH撮影)
その下山田では20年に一度の神社造営。
春日神社である。
うるの庚申さんのときには既に工事が始まっていた。
工事も完了して秋祭りも終えた。
一時的に神さんを遷していた仮宮は公民館にある。
遷宮を終えた今は誰も居ないという仮宮は譲ってもらったそうだ。
何に使うかといえば山の上に鎮座するイナリサンの社。
こちらも造営にあたる。
その際の仮宮として残したという。
山のてっぺんにあるイナリサンには毎月8日に参ってアゲサンを供えていた。
いつしか年に2回の4月8日と10月8日になった。
その行事は8日に行うから八日講と呼んでいる。
夕方に参って会所で寄合。
訪れたこの日も十夜。
集まるのは十九夜さんと同じいつもの会所は八日講でも利用している。
ただ、現在はうる行事と同じように集まりやすい8日に近い土曜日にしているという。
かつては雨乞いがあった下山田。
イナリサンが鎮座する山に登って雨乞いをしていた。
太鼓を叩いて願を掛けていたそうだ。
雨乞いは東村の人たちがしていた。
太鼓を叩けば雨が降った東村。
清水や広出の垣内には雨が降らなかったからそれからは村の3垣内でするようになったという。
平成25年に造営の祭典を行う春日神社。
40年前には大神楽もあった。
費用の関係もあって参納する春日大社に頼んだ造営の祭典。
快く受けてくださり大社の巫女さんが神楽を舞ってくれたのが前回の祭典。
今回もお願いをしたそうだ。
かれこれ40年前には下山田にやってきた大神楽。
記憶によれば天理の石上町から神楽中一行が来ていたという。
大八車か、リヤカーに道具を乗せてやってきた一行は5、6人。
笛やチャンボラと呼ぶ摺り鉦を叩いて舞っていた獅子舞。
舞料を増やせば2頭の獅子になったそうだ。
毎年来ていた獅子舞は村中を巡っていた。
竃や蔵にもしていたというから荒神の舞いだと思われる組の名。
別所にも巡回していたようだ。
(H24.11.10 記)
(H25. 1. 1 SB932SH撮影)