かつては九頭大明神と呼ばれていた中白木の高オカミ神社。
寄進年代が見られなかった燈籠がある。
同神社の拝殿前にある狛犬は2体。
昭和15年11月吉日に寄進された狛犬の台座には「祈皇軍武運長久」の刻印。
戦時前にして祈願した証しでもある狛犬の姿がユニーク。
舌をペロリと出している。
この日は中白木のマツリ。
珍しいことに拝殿前の花立てにお花を添えている。
その花は社務所にもある。
どうやら内部はお堂のようでまばゆく輝く佛像が安置されている。
この日は中白木のマツリ。
コンピラ社(稲荷社かも)、春日社と本殿に山の神の供え物がある。
木で作ったタイ、カマ、ヨキは割合と大き目にある。
それぞれに鯛魚の模様が描かれているから判りやすい。
カマは中折れで稼働式。
手がこんでいる作りである。
三社に供えるのはそれだけでなく台に乗せたモチもある。
ユニークな形のモチはガニノモチ(或いはガニモチ)呼んでいる。
その形は隣村の北白木でもなく南之郷のカニ餅に近い。
五つのユウ(柚子)は串に挿している。
そこには一尾の生サバも供えている。
奈良市北村町のマツリでも拝見した同様の供え方だ。
3年前まではエソの魚だったお供え。
お店でも売っているエソは切り身。
丸太のエソを入手することが難しくなって昨年からサバに替えた。
トーヤ座で受けたサバは開きもあるが3尾も吊るしている。
藁に通したウルメイワシのメザシは12尾。
それは2本あるから合計で24尾にもなる。
本殿と拝殿の間にある鳥居。
そこには左右の柱に括りつけた細工ものがある。
それは文様も入れた木で作ったヤリ(槍)。
それらは本殿だけに供えられる。
中白木のマツリは11月10日。
白木のマツリとも呼ぶ。
前日の9日はトーヤの家に神さんを祀る日。
注連縄を25カ所も張る。
吉野膳に盛られたトーヤ家の昼膳や山の神御供を作る。
その夜は慰労を兼ねてと思われるトーヤ家での夜膳があるようだと芹井のN氏に教わった。
その話を聞いて訪れた中白木のマツリ。
急なお願いに許諾を受けて取材させていただいた。
一年間に亘って神さんを祀り、翌年の3月に社務所で引き継ぐ。
オシメイリをして神さんを交替すると一老に伺った。
中白木における宮座は一老、二老、三老の三人衆。
終身制だと話す。
水の神さんとされる高オカミ神社にはコンピラ社と春日社の2社がある。
かつては子供の太鼓台も曳いていたそうだ。
一老の話しによれば昼のトーヤ座にはナマス、アゲ、シイタケ、ヤマノイモ、イタ(カモボコであろう)の料理膳があったそうだ。
千切りしたダイコンにぐちゃぐちゃにしたトーフを入れる。
トーフを入れた白和えであるがそれをナマスと呼んでいる。
夜の膳では菜っ葉料理や開きのアジなどだと話す。
モチも搗いていたというトーヤの座は今でも健在なようだ。
白木は北、中に南白木の三村だった。
いつしか南白木が全村廃れて中白木となった。
服忌であればトーヤの神さんは親戚筋に預ける。
四十九日が解ければ再びトーヤ家に戻ってくる。
一枚のカワラケで三献の儀式をして受けたトーヤ。
神棚に祀っていた。
次のトーヤにあたったときに古いほうのカワラケを神社の木の下に戻す。
カワラケは神さんなのである。
本社は2段の重ねモチ。
末社はコモチを供えてマツリが始まる。
神事は祓えの儀、御扉開け、オオーと神さんを呼び出す。
神饌を献じて祝詞を奏上。
その次は2本の竹を括りつけた御幣を持って奉幣振り。
左右に振って後ずさり。またもや振って下がる。
三度も振られた奉幣振りの神事である。
神事を終えればお供えを下げる。
ガニノモチも下げられるが本殿に供えたものだけである。
末社のお供えはそのままにしておくという。
それは山に生息する鳥獣たちに捧げる食べ物なのであろう。
こうして中白木のマツリを終えれば社務所で参籠する直会となった。
神事を始める前には中白木の元社とされる山のほうの神明神社へも山の神の御供を供えた。
末社と同じようにガニノモチと山の神の道具だ。
帰り際に気がついた花立て。
ゴクダイもあった庚申石。
当地も旧暦閏年の庚申を行っていたようだ。
(H24.11.10 EOS40D撮影)
寄進年代が見られなかった燈籠がある。
同神社の拝殿前にある狛犬は2体。
昭和15年11月吉日に寄進された狛犬の台座には「祈皇軍武運長久」の刻印。
戦時前にして祈願した証しでもある狛犬の姿がユニーク。
舌をペロリと出している。
この日は中白木のマツリ。
珍しいことに拝殿前の花立てにお花を添えている。
その花は社務所にもある。
どうやら内部はお堂のようでまばゆく輝く佛像が安置されている。
この日は中白木のマツリ。
コンピラ社(稲荷社かも)、春日社と本殿に山の神の供え物がある。
木で作ったタイ、カマ、ヨキは割合と大き目にある。
それぞれに鯛魚の模様が描かれているから判りやすい。
カマは中折れで稼働式。
手がこんでいる作りである。
三社に供えるのはそれだけでなく台に乗せたモチもある。
ユニークな形のモチはガニノモチ(或いはガニモチ)呼んでいる。
その形は隣村の北白木でもなく南之郷のカニ餅に近い。
五つのユウ(柚子)は串に挿している。
そこには一尾の生サバも供えている。
奈良市北村町のマツリでも拝見した同様の供え方だ。
3年前まではエソの魚だったお供え。
お店でも売っているエソは切り身。
丸太のエソを入手することが難しくなって昨年からサバに替えた。
トーヤ座で受けたサバは開きもあるが3尾も吊るしている。
藁に通したウルメイワシのメザシは12尾。
それは2本あるから合計で24尾にもなる。
本殿と拝殿の間にある鳥居。
そこには左右の柱に括りつけた細工ものがある。
それは文様も入れた木で作ったヤリ(槍)。
それらは本殿だけに供えられる。
中白木のマツリは11月10日。
白木のマツリとも呼ぶ。
前日の9日はトーヤの家に神さんを祀る日。
注連縄を25カ所も張る。
吉野膳に盛られたトーヤ家の昼膳や山の神御供を作る。
その夜は慰労を兼ねてと思われるトーヤ家での夜膳があるようだと芹井のN氏に教わった。
その話を聞いて訪れた中白木のマツリ。
急なお願いに許諾を受けて取材させていただいた。
一年間に亘って神さんを祀り、翌年の3月に社務所で引き継ぐ。
オシメイリをして神さんを交替すると一老に伺った。
中白木における宮座は一老、二老、三老の三人衆。
終身制だと話す。
水の神さんとされる高オカミ神社にはコンピラ社と春日社の2社がある。
かつては子供の太鼓台も曳いていたそうだ。
一老の話しによれば昼のトーヤ座にはナマス、アゲ、シイタケ、ヤマノイモ、イタ(カモボコであろう)の料理膳があったそうだ。
千切りしたダイコンにぐちゃぐちゃにしたトーフを入れる。
トーフを入れた白和えであるがそれをナマスと呼んでいる。
夜の膳では菜っ葉料理や開きのアジなどだと話す。
モチも搗いていたというトーヤの座は今でも健在なようだ。
白木は北、中に南白木の三村だった。
いつしか南白木が全村廃れて中白木となった。
服忌であればトーヤの神さんは親戚筋に預ける。
四十九日が解ければ再びトーヤ家に戻ってくる。
一枚のカワラケで三献の儀式をして受けたトーヤ。
神棚に祀っていた。
次のトーヤにあたったときに古いほうのカワラケを神社の木の下に戻す。
カワラケは神さんなのである。
本社は2段の重ねモチ。
末社はコモチを供えてマツリが始まる。
神事は祓えの儀、御扉開け、オオーと神さんを呼び出す。
神饌を献じて祝詞を奏上。
その次は2本の竹を括りつけた御幣を持って奉幣振り。
左右に振って後ずさり。またもや振って下がる。
三度も振られた奉幣振りの神事である。
神事を終えればお供えを下げる。
ガニノモチも下げられるが本殿に供えたものだけである。
末社のお供えはそのままにしておくという。
それは山に生息する鳥獣たちに捧げる食べ物なのであろう。
こうして中白木のマツリを終えれば社務所で参籠する直会となった。
神事を始める前には中白木の元社とされる山のほうの神明神社へも山の神の御供を供えた。
末社と同じようにガニノモチと山の神の道具だ。
帰り際に気がついた花立て。
ゴクダイもあった庚申石。
当地も旧暦閏年の庚申を行っていたようだ。
(H24.11.10 EOS40D撮影)