大安などの良い日を選んで田植えを始めると話していた山添切幡の住民。
T家ではウメゾメ(植え初め)にはススキのカヤを12本。
田んぼに挿すと云う。
旧暦の閏年は13本にするウエゾメの儀式には股になったクリの枝木を3本、フキダワラも三つ供える。
フキダワラの中にはマメとコメを入れると話すご主人。
かつてはウエゾメをするとともにナリバナのモチを煎って食べたそうだ。
この年のウエゾメは朝6時に始めたと云う。
その年、その年によって田植え初めの日にちや時間帯は都合で変化する。
旧暦の閏年には13本挿すというカヤススキは月の数。

例年なら12本となるカヤススキの本数は一年の月数である。
旧暦の閏年の月数は大の月と小の月を組み合わせた旧暦法である。
それは明治時代に移るまでの考え方。
新暦になった現在でも13という数値がみられる旧暦の習わしは江戸時代からも続く考え方である。
フキダワラは作付け一石につき1本。
二十石であれば20本も作るが、ウエゾメに供える数は3本だ。
一石で一反の面積であるから二十石であれば二十反だ。
ウエゾメをする場所も変化する。
豊作を願うアキの方角に祭るウエゾメは今年が南南東にしたと話す。
数粒のコメとマメを入れて作ったフキダワラを多く作るT家では家の竃やエビスさん、三宝さんなどに供える。
送迎の仕事を終えてやってきた切幡のウエゾメはこうしてしていたと再現してくれたTさん。


上のほうの田んぼでしていたと話す。
作付けした稲の品種はコシヒカリ。
半日かけてようやく終えた孫は田植え機に乗って下ってきた。
ひ孫も手伝うT家の田植え作業。
奈良で名高い三輪素麺を委託製造しているT家は四世帯で同居する。
近年、珍しくなった大世帯家族である。
そういう家族であるゆえ作業を手伝うことには苦にならない孫、ひ孫は逞しく育った。
次の田植えはココノエモチの呼ばれる品種のモチゴメである。
コメの品種が替るので田植え機は放水ホースで流して美しく洗浄する。
苗代で育てた苗箱を運ぶ鉄製の道具がある。
二枚の苗箱を両方からがっちりと支える道具の名は「キョウリツ」。
共立なのか、それとも橋立なのであろうかと思えば違った。
奈良市の大原農機が製作した「キョウリツ」は片手で二枚の苗箱をたやすく運ぶ道具である。

軽トラに積みこんで運び、田植え機に一枚、一枚載せる。
田植え機はあまり見られない形である。
大型車輪で移動する姿はユニークで、メカニカルな動きのように見えた。
苗箱の大きさは田植え機にぴったりはまる。
サイズが一致している寸法の規格品であるから、他のメーカーの田植え機では使えないと話す孫さん。
その四条植えの田植え機には「共立」のプレートがある。
どうやら苗運び道具の名が「共立」であったのだ。
積む位置も異なる大原農機の田植え機。
他のメーカーであれば前が乗車席で後方が苗箱である。
ところが大原農機の田植え機は前方に肥料入れと苗箱を納める形式になっている。
他のメーカーであれば後方から田植えをする様子が判るが、大原農機製は乗車席の前の機械内部の中央辺りである。

そのような機械であれば田植えの様子は見えないのである。
T家の田んぼは一町田。
十反で一町の面積であるから十石の石高である。
山間であるが、それほど広い田植え作業は2、3日もかかると云う。
すべてを終えればウエジマイ(植え終い)をする。
三輪素麺組合に加入して製造している昭和52年に創業した素麺作りが本業。
せっつかれるが余裕をもって進めたいと話していた。
取材のお礼に訪れた7月末。
取材時に失念していた辰巳製麺所のソーメンをわけてもらった。

20束で1000円というお買い得のソーメンには「三輪神社の鳥居」マークに「手延」べを示す束止めがある。
(H25. 5. 6 EOS40D撮影)
(H25. 7.28 SB932SH撮影)
T家ではウメゾメ(植え初め)にはススキのカヤを12本。
田んぼに挿すと云う。
旧暦の閏年は13本にするウエゾメの儀式には股になったクリの枝木を3本、フキダワラも三つ供える。
フキダワラの中にはマメとコメを入れると話すご主人。
かつてはウエゾメをするとともにナリバナのモチを煎って食べたそうだ。
この年のウエゾメは朝6時に始めたと云う。
その年、その年によって田植え初めの日にちや時間帯は都合で変化する。
旧暦の閏年には13本挿すというカヤススキは月の数。

例年なら12本となるカヤススキの本数は一年の月数である。
旧暦の閏年の月数は大の月と小の月を組み合わせた旧暦法である。
それは明治時代に移るまでの考え方。
新暦になった現在でも13という数値がみられる旧暦の習わしは江戸時代からも続く考え方である。
フキダワラは作付け一石につき1本。
二十石であれば20本も作るが、ウエゾメに供える数は3本だ。
一石で一反の面積であるから二十石であれば二十反だ。
ウエゾメをする場所も変化する。
豊作を願うアキの方角に祭るウエゾメは今年が南南東にしたと話す。
数粒のコメとマメを入れて作ったフキダワラを多く作るT家では家の竃やエビスさん、三宝さんなどに供える。
送迎の仕事を終えてやってきた切幡のウエゾメはこうしてしていたと再現してくれたTさん。


上のほうの田んぼでしていたと話す。
作付けした稲の品種はコシヒカリ。
半日かけてようやく終えた孫は田植え機に乗って下ってきた。
ひ孫も手伝うT家の田植え作業。
奈良で名高い三輪素麺を委託製造しているT家は四世帯で同居する。
近年、珍しくなった大世帯家族である。
そういう家族であるゆえ作業を手伝うことには苦にならない孫、ひ孫は逞しく育った。
次の田植えはココノエモチの呼ばれる品種のモチゴメである。
コメの品種が替るので田植え機は放水ホースで流して美しく洗浄する。
苗代で育てた苗箱を運ぶ鉄製の道具がある。
二枚の苗箱を両方からがっちりと支える道具の名は「キョウリツ」。
共立なのか、それとも橋立なのであろうかと思えば違った。
奈良市の大原農機が製作した「キョウリツ」は片手で二枚の苗箱をたやすく運ぶ道具である。

軽トラに積みこんで運び、田植え機に一枚、一枚載せる。
田植え機はあまり見られない形である。
大型車輪で移動する姿はユニークで、メカニカルな動きのように見えた。
苗箱の大きさは田植え機にぴったりはまる。
サイズが一致している寸法の規格品であるから、他のメーカーの田植え機では使えないと話す孫さん。
その四条植えの田植え機には「共立」のプレートがある。
どうやら苗運び道具の名が「共立」であったのだ。
積む位置も異なる大原農機の田植え機。
他のメーカーであれば前が乗車席で後方が苗箱である。
ところが大原農機の田植え機は前方に肥料入れと苗箱を納める形式になっている。
他のメーカーであれば後方から田植えをする様子が判るが、大原農機製は乗車席の前の機械内部の中央辺りである。

そのような機械であれば田植えの様子は見えないのである。
T家の田んぼは一町田。
十反で一町の面積であるから十石の石高である。
山間であるが、それほど広い田植え作業は2、3日もかかると云う。
すべてを終えればウエジマイ(植え終い)をする。
三輪素麺組合に加入して製造している昭和52年に創業した素麺作りが本業。
せっつかれるが余裕をもって進めたいと話していた。
取材のお礼に訪れた7月末。
取材時に失念していた辰巳製麺所のソーメンをわけてもらった。

20束で1000円というお買い得のソーメンには「三輪神社の鳥居」マークに「手延」べを示す束止めがある。
(H25. 5. 6 EOS40D撮影)
(H25. 7.28 SB932SH撮影)