八幡宮が鎮座する大和郡山市の櫟枝町。
年中行事は四つあると云う。
詳しくは聞けなかったが、おそらく元旦祭、祈年祭、秋祭り、新嘗祭であろうか。
この日に訪れた櫟枝町。延久二年(1070)の『興福寺雑役免帳』に書かれた「櫟枝庄」に比定されている。
苗代田は集落の北側と南側に点在している。
苗代に立ててあったお札が目に入った。
2日前に訪れた郡山観光案内所に居られたボランティアガイドから提供された話題にお札があった。
集落から南側。西名阪国道の近くである。
その所在を確かめたくてやってきた。
探してみれば2か所の苗代田にあった。
お札は墨書なのか版木刷りなのか判然としない。
お札を開けてみるわけにはいかないから文字も読めない。
梵字のようにも見えるお札には朱で押した牛玉宝印がある。
まぎれもないゴーサンのお札である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/ae/c2032d4e5c536a4750516b44ccc6b143.jpg)
なんとなくザラついたような感じの墨書は版木であるかも知れない。
付近に居られた二人の婦人に尋ねた結果は、版木刷りのゴーサン札であった。
ゴーサンドーヤは2月の後半。
ヘッツイさんの煤を集めて墨にした。
話しによればどうやら「寶印」の文字らしい。
お札の周りに一本のスジがある。
版木の証しであろう。
ゴーサンドーヤが作るお札はヤナギの木に巻くように付ける。
ゴーサンドーヤでたばったお札は家で保管する。
櫟枝町の苗代作りは4月の後半というから祭日辺りであろう。
6月10日頃には田植えを始めるらしい。
八幡宮の年中行事もお聞きした。
11月は新穀祭、9月16日も祭事があるらしいが、日程的には八朔であるかも知れない。
10月17日は村のマツリであったが、近年においては集まりやすい体育の日に移った。
神社境内の北側にはお寺がある。
元は真言宗であったが、宝暦年間に融通念仏宗に改宗されたようだ。
ゴーサンのお札はかつて真言僧侶がいた名残を示すのではないだろうか。
無住のお寺は尼講の人たちが掃除をして奇麗にしている。
毎週の水曜、土曜日には念仏を申すと云って融通念仏を勤行しているそうだ。
毎週のお勤めは尼講二人が交替して勤めている。
都合が合わないときには日にちを替える。
朝は8時からのお勤めはおよそ1時間だそうだ。
11月には融通念仏の大和ご回在がある櫟枝町。
葬儀も簡略化しつつあると云う。
尼講は7日間、念仏や西国三十三番のご詠歌を唱える。
25年前に嫁入りしたご婦人が話した嫁入りの作法。
実家が用意した青竹を割って家に入ったそうだ。
その作法は嫁入りしても戻ってこないようにということだ。
青竹を割ってタライで足を洗ってから入った姿は白無垢の花嫁姿。
おそらく最後であったろうと話す婦人が話す映像がビデオに残されているらしい。
小林住宅に住む百歳の男性が大和の行事記録として捉えた映像であるようだ。
嫁入りしたときの作法は室生の染田でも同じようなことを聞いた。
白無垢姿の花嫁が嫁入り先の家に上がる前には水を入れたタライに足を浸けて清めたそうだ。
翌月の6月6日では田植えが始まっていた。
苗代のお札は見当たらない。
(H25. 5.25 SB932SH撮影)
(H25. 5.25 EOS40D撮影)
年中行事は四つあると云う。
詳しくは聞けなかったが、おそらく元旦祭、祈年祭、秋祭り、新嘗祭であろうか。
この日に訪れた櫟枝町。延久二年(1070)の『興福寺雑役免帳』に書かれた「櫟枝庄」に比定されている。
苗代田は集落の北側と南側に点在している。
苗代に立ててあったお札が目に入った。
2日前に訪れた郡山観光案内所に居られたボランティアガイドから提供された話題にお札があった。
集落から南側。西名阪国道の近くである。
その所在を確かめたくてやってきた。
探してみれば2か所の苗代田にあった。
お札は墨書なのか版木刷りなのか判然としない。
お札を開けてみるわけにはいかないから文字も読めない。
梵字のようにも見えるお札には朱で押した牛玉宝印がある。
まぎれもないゴーサンのお札である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/ae/c2032d4e5c536a4750516b44ccc6b143.jpg)
なんとなくザラついたような感じの墨書は版木であるかも知れない。
付近に居られた二人の婦人に尋ねた結果は、版木刷りのゴーサン札であった。
ゴーサンドーヤは2月の後半。
ヘッツイさんの煤を集めて墨にした。
話しによればどうやら「寶印」の文字らしい。
お札の周りに一本のスジがある。
版木の証しであろう。
ゴーサンドーヤが作るお札はヤナギの木に巻くように付ける。
ゴーサンドーヤでたばったお札は家で保管する。
櫟枝町の苗代作りは4月の後半というから祭日辺りであろう。
6月10日頃には田植えを始めるらしい。
八幡宮の年中行事もお聞きした。
11月は新穀祭、9月16日も祭事があるらしいが、日程的には八朔であるかも知れない。
10月17日は村のマツリであったが、近年においては集まりやすい体育の日に移った。
神社境内の北側にはお寺がある。
元は真言宗であったが、宝暦年間に融通念仏宗に改宗されたようだ。
ゴーサンのお札はかつて真言僧侶がいた名残を示すのではないだろうか。
無住のお寺は尼講の人たちが掃除をして奇麗にしている。
毎週の水曜、土曜日には念仏を申すと云って融通念仏を勤行しているそうだ。
毎週のお勤めは尼講二人が交替して勤めている。
都合が合わないときには日にちを替える。
朝は8時からのお勤めはおよそ1時間だそうだ。
11月には融通念仏の大和ご回在がある櫟枝町。
葬儀も簡略化しつつあると云う。
尼講は7日間、念仏や西国三十三番のご詠歌を唱える。
25年前に嫁入りしたご婦人が話した嫁入りの作法。
実家が用意した青竹を割って家に入ったそうだ。
その作法は嫁入りしても戻ってこないようにということだ。
青竹を割ってタライで足を洗ってから入った姿は白無垢の花嫁姿。
おそらく最後であったろうと話す婦人が話す映像がビデオに残されているらしい。
小林住宅に住む百歳の男性が大和の行事記録として捉えた映像であるようだ。
嫁入りしたときの作法は室生の染田でも同じようなことを聞いた。
白無垢姿の花嫁が嫁入り先の家に上がる前には水を入れたタライに足を浸けて清めたそうだ。
翌月の6月6日では田植えが始まっていた。
苗代のお札は見当たらない。
(H25. 5.25 SB932SH撮影)
(H25. 5.25 EOS40D撮影)