ヨイミヤ、マツリとも朝風呂に入って潔斎をした渡人。
8人の渡人は決まっている道具を持つ。
一老は御幣に弓、二老は弓、三老・四老はグワシヤグワシヤ、五老は笛、六老は太鼓、七老も笛、八老が鼓である。
4年前までは当家の家であった。
事情があってやむなく場を村の会所に移した山添村大字の的野。
峰寺の六所神社に奉納するジンパイは一年ごとに交替する松尾、峰寺、的野の三カ大字で行われている。
4年前といったのはそういうことである。
かつては神祭と呼ばれていた六所神社の行事は、この年当たりの的野が受け持つ。
10月2日の大安の日に張った会所の注連縄。
6日には渡人が着用する素襖を収めた衣装箱一式、保管していた見本の御幣などを宮総代から受け取った。
14日の宵宮には御幣も作っておいた。
準備はすべて整っていた。
この日も「シモケシ」で始まった的野の渡人は昼の膳を終えて装束に着替えた。
この日は台風26号の影響で朝から雨が降りだした。
そぼそぼ降っていた雨はお渡りが始まるころには本降りとなった。
前日の天気予報を予測しておいた六所神社の宮総代とも相談していた雨天のお渡りは例年よりも1時間早めて行われた。
当家が摂待する昼の膳もいただいた一行はお渡り前に記念写真を撮る。
雨天であるが、晴れの舞台に並んだ渡人。
それぞれが受け持つ鳴りもの道具を手にしている。
当家をはじめとして下支えしてきた総代、当家の親戚筋も並んで晴れ姿を装う。
本来ならば的野の氏神さんを祀る八幡神社においてもジンパイを奉納されるのだが、あまりの激しさに拝礼で済まさざるを得ない。
雨に濡れてはならないと一老が持つ大御幣にはビニールカバーをして保護した。
村内のお渡りも中断せざるを得ないこの日。
仕方なく車で移動する渡人。
御供担ぎも同乗して六所神社に参進した。
そんな雨であってもマツリに参拝する氏子たち。
いつもの婦人たちが迎えてくれる。
傘を持つことができる渡人は一人傘、鳴りもの道具を持つ渡人はそういうわけにもいかずに助け人によって保護をする。
御供を拝殿に供えて参籠所にあがっていく渡人。
その間の大御幣は鳥居下に立て掛けた。
長屋に登った渡人。
一老は「お渡りでお参りしました」と挨拶、口上を述べる。
宵宮と同様に宮方総代の歓迎を受けて宵宮と同じ5品盛りの肴とお酒の場。
肴を配ったドウゲが酒を注いで回る。
宮総代も酒を注ぎ回る。
歓迎の場を終えて参拝する氏子たちに向かってジンパイを披露される。
そうして一旦は鳥居下で隊列を組む。
手水で清めて石段を上がる。
石段を登ってきた一行は本殿左側に入った。
そこには小さな石がある。
サザレ石はと呼ばれる石は百度石とも。
そこを中心に時計回りにぐるぐる回る渡人たち。
大御幣を上下に振りながら右回りの時計回りに三周しながらジンパイをする。
サザレ石の名を聞いたのは峰寺だけではなく、西波多下津においても同じ名の石があった。
ここで行われる風の祈祷は「近くの山からサザレ石を12個拾ってきて前の川で洗う。それを燈籠下に置くのだ」と云う総代。
サザレ石は碁石のような美しい石だそうだ。
地殻変動があった山は大西領。
盛りあがった山にはそれが残っているという。
ちなみに12個を置くのは月の数。
一年間を守る数であろう。
サザレ石での立ち舞いを終えた一行は拝殿に登っていく。
宵宮と違って本殿と拝殿の間の玉砂利に菰を敷いた場で揃った横一列の体制である。
笛や太鼓、鼓の吹奏に合わせて大御幣を上下に3回振る一老は本殿間下だ。
史料によれば本来は7回とある。
ジンパイした大御幣は本殿に置いて神さんに奉納した。
ちなみに奉納された大御幣はしばらくそのままだ。
月初めに祭祀されている「さへ」で降ろされて参籠所で保管するという。
その後の一年後。次の当家で御幣を作る際の見本にしているという。
「さへ」は朔日とも書く一日参り。
3人の宮総代は白い素襖を着用してお参りをしていると云う。
氏神さんへの奉納は終えたが祭典はまだ続く。
再び長屋に参進するのである。
宵宮で見られなかった弓、グワシャグワシャ、鼓を勤める三役が作法をするジンパイの披露である。
神さんに奉納されたあとは宮方総代にもそれがなされて拍手が沸き起こった。
こうしてすべての奉納ジンパイを終えれば、渡人一同が並んで鳥居下辺りに立つ。
整列を見届けた一老・二老が手にする弓を曲げて放つ。
ぐんにゃりと曲げて放つ先は鳥居の向こう側である。
これまで拝見してきた松尾、峰寺が飛ばす場は鳥居から十数メートル離れていた。
飛ばす方角は東の方角の前方の山に向けてだった。
その先は次の当家になると話していたことを思い出す。
実は的野が飛ばす場・方向は史料に記された通りの鳥居に向けてであった。
弓打ちを終えた一老はいち早く長屋に赴いた。
8人の渡り衆が被っていた烏帽子。
それには赤紙が取り付けていた。
それを揃えて宮方総代に手渡される。
奉納儀式を終えた証しに渡すのであるが、外すことが困難であることから実際は予め用意したものを封筒に入れて差し出した。
受け取った宮総代は中に入っている赤紙の数を確認して六所神社の奉納ジンパイが終えたことになるのだ。
(H25.10.15 EOS40D撮影)
8人の渡人は決まっている道具を持つ。
一老は御幣に弓、二老は弓、三老・四老はグワシヤグワシヤ、五老は笛、六老は太鼓、七老も笛、八老が鼓である。
4年前までは当家の家であった。
事情があってやむなく場を村の会所に移した山添村大字の的野。
峰寺の六所神社に奉納するジンパイは一年ごとに交替する松尾、峰寺、的野の三カ大字で行われている。
4年前といったのはそういうことである。
かつては神祭と呼ばれていた六所神社の行事は、この年当たりの的野が受け持つ。
10月2日の大安の日に張った会所の注連縄。
6日には渡人が着用する素襖を収めた衣装箱一式、保管していた見本の御幣などを宮総代から受け取った。
14日の宵宮には御幣も作っておいた。
準備はすべて整っていた。
この日も「シモケシ」で始まった的野の渡人は昼の膳を終えて装束に着替えた。
この日は台風26号の影響で朝から雨が降りだした。
そぼそぼ降っていた雨はお渡りが始まるころには本降りとなった。
前日の天気予報を予測しておいた六所神社の宮総代とも相談していた雨天のお渡りは例年よりも1時間早めて行われた。
当家が摂待する昼の膳もいただいた一行はお渡り前に記念写真を撮る。
雨天であるが、晴れの舞台に並んだ渡人。
それぞれが受け持つ鳴りもの道具を手にしている。
当家をはじめとして下支えしてきた総代、当家の親戚筋も並んで晴れ姿を装う。
本来ならば的野の氏神さんを祀る八幡神社においてもジンパイを奉納されるのだが、あまりの激しさに拝礼で済まさざるを得ない。
雨に濡れてはならないと一老が持つ大御幣にはビニールカバーをして保護した。
村内のお渡りも中断せざるを得ないこの日。
仕方なく車で移動する渡人。
御供担ぎも同乗して六所神社に参進した。
そんな雨であってもマツリに参拝する氏子たち。
いつもの婦人たちが迎えてくれる。
傘を持つことができる渡人は一人傘、鳴りもの道具を持つ渡人はそういうわけにもいかずに助け人によって保護をする。
御供を拝殿に供えて参籠所にあがっていく渡人。
その間の大御幣は鳥居下に立て掛けた。
長屋に登った渡人。
一老は「お渡りでお参りしました」と挨拶、口上を述べる。
宵宮と同様に宮方総代の歓迎を受けて宵宮と同じ5品盛りの肴とお酒の場。
肴を配ったドウゲが酒を注いで回る。
宮総代も酒を注ぎ回る。
歓迎の場を終えて参拝する氏子たちに向かってジンパイを披露される。
そうして一旦は鳥居下で隊列を組む。
手水で清めて石段を上がる。
石段を登ってきた一行は本殿左側に入った。
そこには小さな石がある。
サザレ石はと呼ばれる石は百度石とも。
そこを中心に時計回りにぐるぐる回る渡人たち。
大御幣を上下に振りながら右回りの時計回りに三周しながらジンパイをする。
サザレ石の名を聞いたのは峰寺だけではなく、西波多下津においても同じ名の石があった。
ここで行われる風の祈祷は「近くの山からサザレ石を12個拾ってきて前の川で洗う。それを燈籠下に置くのだ」と云う総代。
サザレ石は碁石のような美しい石だそうだ。
地殻変動があった山は大西領。
盛りあがった山にはそれが残っているという。
ちなみに12個を置くのは月の数。
一年間を守る数であろう。
サザレ石での立ち舞いを終えた一行は拝殿に登っていく。
宵宮と違って本殿と拝殿の間の玉砂利に菰を敷いた場で揃った横一列の体制である。
笛や太鼓、鼓の吹奏に合わせて大御幣を上下に3回振る一老は本殿間下だ。
史料によれば本来は7回とある。
ジンパイした大御幣は本殿に置いて神さんに奉納した。
ちなみに奉納された大御幣はしばらくそのままだ。
月初めに祭祀されている「さへ」で降ろされて参籠所で保管するという。
その後の一年後。次の当家で御幣を作る際の見本にしているという。
「さへ」は朔日とも書く一日参り。
3人の宮総代は白い素襖を着用してお参りをしていると云う。
氏神さんへの奉納は終えたが祭典はまだ続く。
再び長屋に参進するのである。
宵宮で見られなかった弓、グワシャグワシャ、鼓を勤める三役が作法をするジンパイの披露である。
神さんに奉納されたあとは宮方総代にもそれがなされて拍手が沸き起こった。
こうしてすべての奉納ジンパイを終えれば、渡人一同が並んで鳥居下辺りに立つ。
整列を見届けた一老・二老が手にする弓を曲げて放つ。
ぐんにゃりと曲げて放つ先は鳥居の向こう側である。
これまで拝見してきた松尾、峰寺が飛ばす場は鳥居から十数メートル離れていた。
飛ばす方角は東の方角の前方の山に向けてだった。
その先は次の当家になると話していたことを思い出す。
実は的野が飛ばす場・方向は史料に記された通りの鳥居に向けてであった。
弓打ちを終えた一老はいち早く長屋に赴いた。
8人の渡り衆が被っていた烏帽子。
それには赤紙が取り付けていた。
それを揃えて宮方総代に手渡される。
奉納儀式を終えた証しに渡すのであるが、外すことが困難であることから実際は予め用意したものを封筒に入れて差し出した。
受け取った宮総代は中に入っている赤紙の数を確認して六所神社の奉納ジンパイが終えたことになるのだ。
(H25.10.15 EOS40D撮影)