マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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本庄町兄・弟座当家のお渡り

2014年03月01日 09時14分12秒 | 大和郡山市へ
大和郡山市本庄町に鎮座する神社は二社。

右が八幡神社で左が熊野神社の並びである。

それぞれの神さんの分霊を祀っていた兄座・弟座の当家家ではオカリヤを立てて祀っていた。

当家の分霊遷しは前月の20日に行われた。

この日は再び神社に還るマツリである。

本庄町の戸数は転入した家も含めると160戸にもおよぶ町であるが、旧村は20戸で、宮座は7戸だそうだ。

これまで永らく続けてきた1戸の旧家。

正月前に飾る注連縄は簾型だった。

その注連縄を当主が「どんが」若しくは「どんがん」と呼んでいた特徴的な注連縄であった。

この年に80歳で亡くなられた当主。

引き継ぐこともなく村唯一の「どんが」が消えたと話す自治会長。

その姿を収めた記録の写真は県立民俗博物館に贈っておいたと云う。

民家で飾っていた簾型の注連縄。

今では市内で伊豆七条、番条、井戸野、今国府に大江の旧村だけなってしまった貴重な民俗の在り方は危ぶまれている。

早朝、両座の当家を出発したお渡りの一行は集落を通って神社に向かう。



先頭でイナカツギを持つのは兄座のトウヤ。

前には二荷の新穀の稲を架けている。

後ろは御供を収めた木桶である。

後続に白の御幣持ちがついてお渡りをしてきた。

その後ろは弟座のトウヤ。

兄座のトウヤと同様にイナカツギであるが、御供入れはバケツであった。



後続についていた人たちは紅白二枚の御幣持ち。

それぞれの神社に到着するやいなや稲、御供、御幣を捧げる。

兄座の稲は解けないように、であろうか上・下とも縛っている。

神饌を献じた2社とも祓え、祝詞奏上される神官。



先に行われるのが八幡神社である。

玉串奉奠は八幡神社を祀る兄座、弟座を祀る熊野神社とそれぞれに分かれて行われるが、その際には拝殿に座していた氏子たちも一緒になって拝礼をする。

かつては8戸の営みであった本庄町の宮座。

今では7戸になったが、今でもこうして恭しく宮座の行事を行っている。

座を勤める人はこの地で生まれた人。

年齢順で回ってくるトウヤであるが、婿入りした場合は、入りの日付をもっての年齢順だ。

宮座総代の親父さんが勤めていた頃の当家は斑鳩町の竜田川へ出向いて禊をしていたそうだ。

潔斎をした当家が分霊を祀る小社のオカリヤをトウヤと呼ぶようだ。



両座の玄関前に残されていたオカリヤはヤシロ(社)であった。

昔の形もそうであったか聞取りをしなければならない。

(H25.10.15 EOS40D撮影)