『天理市史』によれば天理市荒蒔町の野神さんは昔も今も5月28日だった。
「大字の東外れ北側。小字クモヅカ(雲塚)の西南隅に野神さんを祀る。15歳以下の男の子。小さな子に至るまで首から手造りのチマキをぶら下げる」と書いてあった。
史料にはその様子をうかがえる写真が残されている。
藁で括った五本のチマキは二組。
首にぶら下げてこの日の朝に野神さんに参る。
2本組を繋げているのは編んだアシの葉のようである。
昔はヨノミの木があった。
当時はヨノミでなくニレの木にチマキを掛けて拝んでいた。
参ったらチマキはたばって持ち帰る。
男の子が少なくなり女の子も参加していたと伝える史料の記述はチマキが転じてモチに替わった。
村の旧記によれば五月節句にムギチマキを各社に供えるとあることから、もともとは旧暦の5月5日だった。
「チマキは米で作る。アシの葉に包んでコモ草でさらに包む。それを3本のイグサ括っていた」と書いてあった。
現在の野神さんは村神主・神社衆が集まり、買ってきた和菓子のカシワモチを供える。
一同揃って拝礼する。
(H27. 5.28 EOS40D撮影)
「大字の東外れ北側。小字クモヅカ(雲塚)の西南隅に野神さんを祀る。15歳以下の男の子。小さな子に至るまで首から手造りのチマキをぶら下げる」と書いてあった。
史料にはその様子をうかがえる写真が残されている。
藁で括った五本のチマキは二組。
首にぶら下げてこの日の朝に野神さんに参る。
2本組を繋げているのは編んだアシの葉のようである。
昔はヨノミの木があった。
当時はヨノミでなくニレの木にチマキを掛けて拝んでいた。
参ったらチマキはたばって持ち帰る。
男の子が少なくなり女の子も参加していたと伝える史料の記述はチマキが転じてモチに替わった。
村の旧記によれば五月節句にムギチマキを各社に供えるとあることから、もともとは旧暦の5月5日だった。
「チマキは米で作る。アシの葉に包んでコモ草でさらに包む。それを3本のイグサ括っていた」と書いてあった。
現在の野神さんは村神主・神社衆が集まり、買ってきた和菓子のカシワモチを供える。
一同揃って拝礼する。
(H27. 5.28 EOS40D撮影)