昨年、お会いした奈良市二条町の歓喜寺住職が教えてくださった隆光大僧正の命日供養。
閉園になった佐紀幼稚園南裏にある「カラバカ」で法要をすると話していた。
聞いていた日時に訪れたがどなたもおられない。
花を飾っていた墓域に塔婆があった。

「平成27年6月4日 護持院大僧正隆光榮春大和尚貮百九拾壹年忌菩提也 顕彰会」とある。
本来なら命日の七日に行われるのだが、法要に参列される僧侶らの都合で今年は早めたと住職は云う。
隆光大僧正は佐紀村の出身。
慶安二年(1649)、超昇寺郷の河邊家に生まれ二男の河邊隆長(のちに隆光)。
元禄元年(1688)に江戸神田橋外に護持院を興した。
五代将軍綱吉・生母の桂昌院尼に帰依のもと東大寺大仏殿を再興した。
享保九年(1724)六月七日にこの地で没した。
昭和53年11月、遺徳を偲んだ有縁者の人たちによって墓域を整備し顕彰碑を建之した。

その年からであろうと思われる命日の日。
毎年、供養をされてきたようだ。
(H27. 6. 7 EOS40D撮影)
閉園になった佐紀幼稚園南裏にある「カラバカ」で法要をすると話していた。
聞いていた日時に訪れたがどなたもおられない。
花を飾っていた墓域に塔婆があった。

「平成27年6月4日 護持院大僧正隆光榮春大和尚貮百九拾壹年忌菩提也 顕彰会」とある。
本来なら命日の七日に行われるのだが、法要に参列される僧侶らの都合で今年は早めたと住職は云う。
隆光大僧正は佐紀村の出身。
慶安二年(1649)、超昇寺郷の河邊家に生まれ二男の河邊隆長(のちに隆光)。
元禄元年(1688)に江戸神田橋外に護持院を興した。
五代将軍綱吉・生母の桂昌院尼に帰依のもと東大寺大仏殿を再興した。
享保九年(1724)六月七日にこの地で没した。
昭和53年11月、遺徳を偲んだ有縁者の人たちによって墓域を整備し顕彰碑を建之した。

その年からであろうと思われる命日の日。
毎年、供養をされてきたようだ。
(H27. 6. 7 EOS40D撮影)